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モブと走る生徒たち

「なんですか、あの魔族は――ッッ!!」


 戦技教練場の更衣室で、一人の女子生徒が怒りを顕にしていた。


「落ち着いてください、バニングス様」

「これが落ち着いていられますかッ」


 金髪を振り乱して怒り狂う女子生徒を他の女子生徒が嗜めるが、そんなものは何の足しにもならなかった。

 バニングスと呼ばれた少女が怒り狂うのにも訳がある。

 それが、レックス・サタノエルとかいう鎧男の存在である。

 高貴なる聖サタノエル学園に土足で踏み入ってきた、冒険者という野蛮人と言うだけで問題だが、尊敬する師であるレインを気軽に呼び、まして全生徒の憧れでもある魔法使い、イェレナ・シィエクイラに選ばれたなどと嘯くその高慢さ。挙げ句の果てに、ハーレムを作るのが夢という下品さまで備えている。

 あんなやつが、レインを差し置いて自分たちの教官になるなんて、ふざけるのもいい加減にしろ。


「大丈夫ですよ。ヤツも他のヤツら同様にしてやればいいんです」


 もう一人の女子生徒に言われ、バニングスはようやくその怒りを収めた。

 彼女の言うとおりだ。自分たちは、黒衣の戦乙女という英雄が教えているのだ。今更、誰それに推薦してもらったなどと嘘をつく卑劣な魔族に従う必要があるのだ。

 徹底的に叩き潰してしまえばいい、バニングスはそう考えて上機嫌に笑い出すのであった。

 側で起こる笑いに気づかないままで。







「よーし、お前ら集まったなー」


 レックスの気の抜けるような声に、やる気のない声で生徒たちが答える。


「さてお前ら、キチンと武装してきたか? 道具の準備は?」


 レックスに言われ、いくつかの生徒が自分たちの装備を確認し始める。

 戦技教練の始まりに際して、レックスは生徒たちにこう言った。


『お前ら、今日の戦技教練だが、お前らが思う最高の装備を身に着けて来い。実戦に出る気持ちで、キチンと道具も用意してな』


 レインからも同様のことを言われ、仕方なく武装して戦技教練場に集まった生徒たち。

 そんな生徒たちを前にして、レックスは言う。


「今日は、俺の用意したトラックで走ってもらう。それだけでいい」


 レックスが指を差す先には、地面をまっすぐ伸びる白線があった。

 長方形の縦の辺を半円にした線が一周。これが複数重なっている。あれが生徒たちが走るコースのようだった。


「あそこに横線があるだろう? あそこがスタート地点だ。お前ら、あそこに集まってくれ」


 レックスが指示を飛ばすが、生徒たちは顔を見合わせて動こうともしない。

 それもそうだろう。二年生にもなって、やることがただ走るだけ。なめられていると感じてもおかしくない話だった。

 この授業の意味を教える気がないらしいレックスを横目に見て、レインはため息混じりに言った。


「さあ、早く並んで!」


 レックスのことは気に食わないが、レインの言うことに逆らうわけにもいかず、不満たらたらと言った風に、ダラダラと移動する生徒たち。

 その動きを確認し、皆が集まったのを見たレックスは、改めて今回の戦技教練の内容を説明する。


「お前ら! 今日はこの、トラックの中をとにかく走れ。それだけでいい。全員がギブアップした時点で、今日の戦技教練は終了とする。ただ、体力の限界が来たらすぐに止まるように。絶対に無理はするな」


 それと、と前置きして、レックスは言う。


「お前ら、本気で走れよ。いいな? ()()()()()()。絶対だぞ」


 念を入れるようなレックスの台詞に、何人かの生徒が彼に対し侮蔑の視線を送る。

 全力で走る? そんなもの何になるというのか。こんな奴が教師なんて、どうかしている。


「さあ、走れ!!」


 レックスの合図と共に生徒たちが一斉に走り出した。

 だが、その速度は遅く、皆表情が締まらないのが見て取れる。

 そんな生徒たちを見たレックスは、クックッと喉を震わせるのであった。








「レックス、これには何の意味があるんだ?」


 生徒たちが走り始めて数分。レインはそう問いかけた。

 戦技教練場のギミックを使って何かをするわけではなく、本当にただ走らせているだけのレックス。

 もしかして、そうした基礎の部分が出来ていないと疑っているのだろうか?


「彼らは私が一年面倒を見てきた生徒たちだ。体力、魔力共にキチンと鍛えてある」


 自分の教師としての腕を疑われたようで、少し不満を滲ませるレイン。


「あー、その、別にお前のことを疑ってるわけじゃねーよ。装備の差こそあるが、この数分キチンと走れてる。前衛職後衛職しっかり鍛えてるのはよく分かるさ」


 ズブの素人や走り方の分かっていない人は、完全武装した時点で息を切らすか、走り出して数分もしない内に走れなくなるのがオチだ。

 しかし、生徒たちはキチンと走れていた。その事に関して、レックスは何も言うつもりはなかった。


「今回走れっつったのは、あいつらに自分たちがどういうもんか理解してもらうためだ」


 そう言って生徒たちを指差すレックス。

 今の生徒たちは、キチンと真面目に走っている上位、露骨にやる気を出していない下位の二グループに分かれていた。


「人族の連中は大体身体強化を使ってるが、あいつら、獣人系と魔族は自分の身体能力のみであそこにいる」


 レインも生徒たちを見て、なるほど、と納得した。

 人族と亜人族、魔族には、根本的に身体能力の差がある。どうやらレックスはそれを生徒に知ってもらいたいらしい。

 だが、とレインは言う。


「その事なら、他の教師も教えているぞ。他の種族は違う、と」

「言葉じゃわかるだろうさ。ただ、実感するのはちげぇ。俺たちには魔法があるから、それさえ使えばそんな差は埋められるからだ」


 人族の力を五として、魔族を六とする。

 この一の差は、大人と子供ほど大きな差ではあるのだが、その差は身体能力の魔法で埋めることができた。

 勿論、魔族も同じことができるからその差が埋まることはない筈なのだが、生徒たちはまだ未熟な子供だ。魔法という下駄を履けば、いくらでもこの差を逆転させることができた。


「数の差ってのもデケーよな。教師たちも人族が多い。増長もするさ」

「それは……」


 人族、特に貴族の出自の生徒に強く言える教師は少なく、その少ない教師も現状維持で手一杯。

 どんな権力も関係なく、全種族が平等に学ぶことができる。それが聖サタノエル学園の理想。その理想と真逆の現状を指摘されているようで、レインは顔を下げてしまう。

 そんなレインのことを知ってか知らずか、レックスはその場で大きく腕を広げながら言った。


「さて、と。じゃあ俺も走るわ」

「……俺も走る? それってどういう」

「そりゃあ俺が走ってだな。あ、そうだレイン。あんた回復魔法って使えるか?」

「魔法は使えないが、気を使った治療ならいくつか」

「オッケ、じゃあ行ってくるわ」


 レインにヒラヒラと手を振って、レックスはゴールラインに立った。

 生徒たちが迷惑そうにレックスを睨みながら通り抜けていく中で、大きく息を吸い、レックスは言う。


「お前らっ、これから俺は、このトラックを5周走るっ!! そして、その五週の後、お前らに攻撃を加えるっ!! いいか、もう一度言うぞっ! 五周走った後、俺はお前らに攻撃を始めるっ! これに当たったやつは強制退場だ、いいなっ!!」


 レックスの大声に生徒たちから失笑が漏れる。

 今から五周走って攻撃? と皆の考えが手に取るように分かり、レックスはニヤリと頬をつり上げると両手をゴールラインの手前に着き、右足を前にして膝を曲げ、腰を上げる。

 それは獲物に飛び掛かる寸前の、肉食獣を思わせる姿勢。異世界では、クラウチングスタートと呼ばれる姿勢をとったレックスは、数秒ほどその姿勢を保持し、


「速いっ!?」


 レックスが走り出した。

 魔族の持つ身体能力に身体強化の魔法を加え、グングン加速していくレックス。

 全身鎧を身に纏い、身の丈ほどの大剣を背負っているとは思えない速さでトラックを走る。

 砂を蹴り、生徒たちを追い抜かしたレックスは、瞬く間に一周目を終え二周目に入っていた。


「凄い……」


 レインの目には、レックスの身体を魔力が循環しているのがよく見えた。

 レックスの身体強化の魔法を見ていると、生徒たちのものがいかに無駄が多いか良く分かる。

 二周目も終わり、レックスが三周目の半ばまで走ったところで、生徒たちの顔に焦りが見え始めた。

 ここまで速いと思っていなかったのだろう。各々が身体強化の魔法や風の魔法などを発動して走り出すが、その頃にはレックスは四周目を終えて五周目に入っていた。

 周回する毎に加速していくレックスは、瞬く間に五周目を終える。

 六周目に入った瞬間、レックスは背中に手を回し、大剣の柄に手を掛けた。

 あっ、というのは誰の声だったか。レックスは、最下位から少し上の男子生徒の少し前へ出て、そのまま無造作に大剣を振り抜いたのである。


「あぎゃっ!?」


 生徒が受け身すら取れずにレインの足元に着弾。ビクビクと身体を痙攣させ、そのまま動かなくなった。

 走っていた生徒たちの足が止まり、信じられないようなものを見る目でレックスを見つめる。

 そんな熱視線を受けても何も感じないのか、大剣を背中に収めたレックスが、片手を曲げて掌を返し、何かを置くような手を作る。


「血よりも熱きもの、火の聖霊の子よ。汝らの迸りをもって、聖霊の身技を映し出さん」


 レックスの右手に光が溢れ、それが赤い炎となって渦を巻く。

 炎属性の初級魔法、ファイヤー・ボール。

 炎の玉を、レックスは無造作に放り投げ、それが一人の女子生徒の足元に着弾し、爆発。女子生徒は宙を舞い、そしてレインの前に「ぐへっ」と落ちた。


「よーし、お前ら。もう一度言うぞ」


 ()()()()()

 言うや否や、レックスは走りながら次々と生徒たちを攻撃していった。

 これの質の悪いところは、レックスの攻撃が完全に不定期であるということだ。

 並走されれば確実に大剣が振られるし、わざとらしく詠唱をすればファイヤーボールが。

 かといってファイヤーボールが準備されても、それがすぐに飛ぶわけではなく、その場に待機させて大剣が振られることもある。


「ひっ……はひっ……」

「っと危ねえ。ここら辺で終わっとけ」


 最後尾の男子生徒の足がもつれ、倒れそうになったところをレックスが抱えて転倒を防ぐ。

 顔色と呼吸を確認したレックスは、「ここで終わりだ」と男子生徒を肩に抱えてレインの元へ走ると、男子生徒を彼女に任せて再びトラックへ戻っていく。


――八人、意外と残ったな。


 レックスは未だに走る生徒たちを見て、凄いな、と感心した。

 レックスの見立てでは、この時間なら全滅している筈だったのだ。

 流石に甘く見すぎたな、と反省しつつ、レックスは詠唱を始める。

 そして、今までより短い詠唱で放たれたファイヤーボールは、走っていた女子生徒に向かって一直線に向かっていく。


「――なめないでッ!!」


 魔法障壁とぶつかり合い、派手に爆発するが生徒に傷はない。

 短縮詠唱は見せていなかったのだが、上手く防がれてしまった。

 自分の動きを警戒する生徒たちに対し、レックスは加速。大剣での近接攻撃を試みる。

 狙うのは八人の最後尾、獣人族の男子生徒だ。


「やべっ」


 レックスが迫っていることに気付くや否や、足を早める男子生徒。獣人らしい健脚だ。このままでは引き離されてしまう。

 だが、背後から迫るレックスを意識して他への警戒が疎かになる男子生徒の様子を見て、レックスはほくそ笑んだ。

 次の瞬間、男子生徒が何かに躓いた。


「あでっ!? なんで地面が――」


 大きくバランスを崩して転倒する男子生徒。慌てて足元を見れば、彼が踏み込んだ場所だけ、僅かだが不自然に地面が盛り上がっていたのだ。

 こんな不自然な突起なんて自然に発生するわけがない。男子生徒は迫りくる鎧男に向かって叫んだ。


「無詠唱かよぉ!!」

「ご明察ぅ!!」


 大剣が男子生徒に食らいつき、派手に吹き飛ばす。

 残り七人となったところで、レックスは生徒たちの様子を観察し、そろそろだなと考えた。

 皆、男子生徒の無詠唱という言葉を聞いて警戒を強めていた。レックスの動向をつぶさに観察し、魔法を使える者は詠唱を始める等の対策を取ろうとしていたのだ。

 だが、ただでさえ消耗している状態でそんなことをすればどうなるかは明白で。

 レックスの予想通り、レックスの行動を警戒する者ほど体力と魔力を消耗して倒れ、それ以外の生徒も同じようにスタミナ切れにレックスの攻撃が重なって、仲良く吹き飛ばされるのであった。

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