544 記憶の中で
『儂はずっとこの世界を異界、儂が前世を生きておった世界とは別の、異世界だと思っておった。しかし、違うのだな』
『うむ』
ハークの自嘲のような心のモノローグに返事を寄越すのはエルザルドであった。
彼らは今や1つの身体に同居する一心同体のようなもので、心の中で互いに会話が可能だ。
念話とも違う。念話は、言わば有線での会話のようなものだが、これは線ですら必要が無かった。
『やれやれ、実に滑稽な話だ』
溜息を吐きたい気分になるが、場所が場所なだけに、実際に行う訳にはいかない。
『そう気に病む必要は無い。我とて今の今まで全く想像だにしなかったのだからな。どこの世界に四角いコンクリート状の長大な建物が立ち並び科学という原理に完全支配された世と、魔法によって文化的な生活の発展が支えられた世とを結びつけて考えられる者がいるというのかね』
正直な気持ちが伝わってくる。エルザルドの方が記憶や経験が長く積み重ねている分、ヒントも数多く得られていたことになる。
だが、結局、エルザルド単体の記憶では、結論に至るにはパズルのピースが全然足りていなかった。証拠もヒントすらも全く皆無に近いのでは、どんな思索や模索も意味を成すものではない。
『全くだ。エルザルドの言う通りよな。まさか儂の記憶と地続き、時として1万4百年から5百年後の世界であるとは思えぬよ』
自嘲するような響きが籠った。実感である。
年代測定が凡そ100年もの違いがあるが、これでもマシな方だと言えた。『可能性感知』を計算の補助として使用したことで、誤差1パーセント以内に抑えたのだから。
『例えばハーク殿が今の世ではなく、貴殿が生きていた凡そ400年後、旧世界の末期に転生していたとすればどうだね?』
エルザルドの物言いに、ハークはほんの少しの滑稽さと同時に微笑ましさを覚える。
今のエルザルドはハークの左胸に融合し、自身の能力の一端を司っていた。それに伴い、圧縮空間に疑似脳とも言うべき器官を造り出し、直結させている。従って、以前の彼とは違い意識のようなものを持ち、機械的な反応のみではなくこうした思考実験も提案できるようになってきていた。
『どうだろうな……。なってみないと結局は判らんが、今の世よりは大分納得がいくであろうな』
『ほう。その心は?』
『ふむ、今にして思えば、だが、儂が前世を生きたあの頃は、言わば科学が世を統べる予兆となっていた時期かも知れんのだよ。それまでは風水やら占いの結果などで都の、今で言う首都の位置を決めていたが、段々と儂が生まれる、前世の儂の話だが、儂が生まれる少し前くらいからそういった宗教的で神がかり的な理由ではなく、港が近いとか湾の中であるとか川によって水源が確保できるとかの利便性で都市が建造されることが多くなった。言わば、宗教的観念と実際の政、政治との境目が、緩くもできあがった時期であったのだろうな。未だ坊主が政治に口を出すこともあったであろうがの。それと呼応するように、世界でも、……これは逆なのかも知れんが、勇気ある一部の人々が神話とは違うあるべき世界の姿を詳らかにさせておった。神の教えに忠実であろうとも、世界と人間の本当の姿を受け入れる、そんな一見矛盾した知識人が尊ばれる世だったのだよ。こういう時代が真っ当に続き、進化しておれば4~500年の内に科学万象とまで言われる時期が訪れたとしても、何ら不思議ではないよ』
『成る程。貴重な意見であるな。逆に旧世界の滅亡以後の生命体である我からすると、理解が全く及ばぬ。人がその気になれば次の日にでも、この眼下の美しい星を破壊できる……、いいや、実際に破壊してしまったなどと、とても信じられない』
『儂もだ。異常進化の果て……なのだろうか、な。儂の種族が過度に技術を伝聞せぬようにしているのも、こういった歴史への反省であり、畏れでもあるのだろう』
重要な『事変』は2つあり、1つ目の直接的な原因に関しては今のハークが『可能性感知』に全力を注ぎ込んでも突き止めるには至らなかった。
が、3つには絞られた。
『事変』、その直接的な原因である第3次世界大戦には大きく3つの要因が考えられる。
1つが食糧、資源危機に起因するもの。1つが大国間の緊張による偶発的な事故によるもの。最後の1つが小国で起きた一見全く関係のない政治的事件が雪だるま式に影響を大きくし、発展したというもの。
ここまでが本命の要因であり、大穴として、隕石などの宇宙からの飛来物によって混乱を増長されたというものもあるが、いずれにしろ決定付けるにはその時代の情報が絶対的に足りなかった。
とはいえ、今ここで重要なのは第3次世界大戦を起こした出来事ではなく第3次世界大戦中に起こった出来事の方である。
第3次世界大戦は、恐らくは初っ端から核の撃ち合いとなったのであろう。
この時点でもう被害がとんでもなくえげつないが、どんなに強力な威力を秘めた兵器で破壊した後の地であろうとも、直接そこを踏みしめる歩兵は絶対に必要となってくる。
それが戦争であり、占領というものだ。
とある国は、この歩兵隊の安全を担保、更には強烈な放射能状況下でも安全に活動を行えるようにと強力な量子型ナノマシンを開発、兵士たちとその装備品に注入する。
そう。イローウエルたち天使を名乗った魔族共が、自分たちに使用したものと全く同じものであった。
これらは、非常に多大な戦果を生むことになる。
撃たれても装備と共にすぐに再生して、時に致命傷からであっても蘇り、放射能に侵されても変異した細胞が外部に押し出される形で、彼らは無事に戻ってきたのだから。
が、問題が無かったのは最初だけであった。過度な細胞分裂による再生能力は寄生させた宿主たちの寿命を急速に縮め、ナノマシンを注入された兵士たちは数年経たずにバタバタと全員死んでいったのである。
この量子型ナノマシンは完全な一世代型として設計されており、どのような接触においても他者に宿主を代えるようなことはなく、ましてや遺伝することもないよう厳重に処置を施されていたため、この時の問題はここで一旦終息する。
その頃には大戦も末期を迎えており、泥沼の状態から各国持てる力を全てで戦う事態にまで発展していた。
つまりは、残りの核爆弾も使うだけ使うという選択である。
泥沼も泥沼の、悪魔の選択であり、最悪の流れだった。
こうして地上は死の星と化し、人々は地下での生活を余儀なくされる。
汚染された空気が風に乗り拡大、雨と共に定期的に降り注ぎ土壌に、そして海に蓄積されていく。
舞い上げられた煤が上空に厚く汚染された雲を形成し、核の冬が訪れた。
徹底的に地上の環境は破壊され、氷河期が到来する。
数十年後、生き延びた人々は少しは状況が改善されたかと地下から外に出て、更なる絶望に陥った事であろう。
環境は改善されるどころか悪化の一途を辿っていたからだ。
原因は舞い上げられて長期間滞留した煤の雲がオゾン層にまで浸食し、破壊していたことにある。これによって宇宙からの有害な紫外線が筒抜けとなり、植物の数と種類を大幅に減少させる結果となってしまった。
人間達が想像よりも多く生き残っていたことも影響としてあっただろう。
二酸化炭素を基本とした温室効果ガスの大量増加により、地球は灼熱の星となりかけていた。
南極の氷は消え失せ、海は4分の1が蒸発。長年の酸性雨によりすっかり酸化して赤く染まった大地が太陽からの熱を吸収しまくる状況にあった。
ここにきて、太古の人々は地上に生きる手段の模索を断念。
未だ国としての体裁を保っていた日本国が、比較的汚染の少ない地域を壁で閉鎖することによって、半地下のような状態で人々が生活できるような都市形成を目指すことになる。




