445 第27話06:Astrologer
星空の下、ハークたちは全員合流し、帝都近郊にいた。ただし、帝都城壁を守る兵士たちの、視界に映らぬギリギリの距離を保っている。
「ハーク。こちらは準備完了よ」
「うむ、こちらもだ」
ハイペリオンの巨木の影からモログを伴ってヴィラデルが現れると、ハークは丁度良いと思った。言った通り、こちらの準備も完了したからだ。
正確にいうならば、シアの準備が完了していた。
ハークたちはこれから一仕事を行う。それは、戦闘を伴うことがほぼほぼ確定していた。なれば使い慣れたいつもの装備に身を包むのが、最良にして定石である。
ただ、今回の仕事の目的は、いつもとは毛色の違うものだ。所謂、潜入しての調査、探索が主なのである。
であれば最終的には実力勝負となろうとも、行動を起こすギリギリまでは敵に見つからずに潜伏行動しておきたい。そのための準備であった。
潜伏したまま、敵に発見されることなく行動するにはまず音の発生に気をつけることだ。
今回、潜入を行うのはまずハークと虎丸に日毬の従魔たち、そしてシア、ヴィラデルにモログという面子である。この内シアが全身鎧、ヴィラデルが部分的に鎧を装着しているのだが、それが大体にやかましい。
歩くだけで接合部がカチャカチャと鳴ってしまうのだ。これを抑えるため、各所に布を噛ませたり、貼っていたのである。其々にモログがヴィラデルを手伝い、ハークがシアを手伝っていた。
二人は手足を軽く回したり、身体を捻ったりしている。
「ウン、大丈夫みたいだね。うまく合わさってる」
「そうネ。これなら、飛んだり跳ねたりしなければ大丈夫じゃあないかしら」
女性陣二人が互いを最終確認し合う中、モログがハークに近づき言った。
「ハークのものは大丈夫なのかねッ?」
モログの言葉はつまり、ハークの籠手のことを示している。
「ああ、全く問題は無いよ」
ハークはクイクイと動かしてみる。金属がかち合う音や擦れ合う音はまるでしなかった。
「元からそういうふうに造られている。儂の手はモログに比べると華奢だからな。斬られなくとも砕けては意味が無い」
ハークの籠手は衝撃を吸収できるように、弾力のある皮素材の上から魔物の甲殻と鉄を混ぜ込んだ装甲を張り付けた構造となっている。これが無いと斬撃を受けた際、斬られずに済んだとしても中身が砕けてしまうことがあるのだ。それでは腕が使えなくなるという事象において、結果的に同じである。
そして、こういう工夫は往々にして防音効果も同時に生むことになるものだ。出来が良ければ尚更であった。
「緩衝材かッ。なるほどなッ。今回のことでも思ったのだがッ、ハークはかなり入念な準備を行う方なのだなッ」
帝都内を粗方視察したハークたちは、その後、落日と共に閉まる城門を直前で抜け、帝都外へと出た。
そしてスケリーたちと一度別れ、虎丸の足とモログ自身の足で共に帝都外周をぐるりと回り、日が落ちてからの周囲の地形を確認していたのだ。
「思い浮かぶことはできるだけ事前に行っておかぬと気が済まぬ性質でな。無駄に終わることも多いが、それはそれで良いし、やらずに済ませた時に限って後々必要だったりもするものよ」
人生とは不可思議なもので、往々にしてそういうものである。
そして一度きりの人生なのだ。大事な命を不精がゆえで落とすなど、ハークには考えられない。
大体からしてハークからすれば、自分はまだまだマシな方だとも考えている。伝え聞く若き頃の秀吉公や信長公と比べれば、まだ可愛い方であると。
「ふうむッ、そんなものかねッ」
だが、モログからすればそれほど共感のできるものでもなかったらしい。
確かに裸だろうとも容易に傷つかぬ最強の肉体を得ることに比べれば、事前準備の大切さなど身に染みるほどでもないのかも知れない。もう時刻は真夜中なのだ。
「まぁ、良いじゃない。忍び込むには良い時間ヨ」
「そうだね。これなら敵に見つからないかもしれないね」
取り成すように話に割って入るヴィラデルとシアの二人だったが、実は恐らくは無理だろうと、ハークは思っている。
何しろ彼女たちとモログは潜入作戦の素人どころか経験すら皆無なのである。しかも、ハーク自身も多少の経験があるだけで、専門家と名乗れるほどでもない。
だからこそ逃げ道だけは徹底しなくてはならなかった。まだ帝国に、ハークたちとスケリーらの繋がりを掴まれたくはない。
「皆、潜入後の脱出経路は大丈夫かな?」
「ええ、モチロンよ!」
「施設を脱出後、3手に別れる。1つ目はハークに虎丸ちゃんに日毬ちゃん。2つ目はモログさん。そして最後はあたしとヴィラデルさんだね」
「バラバラに3方向へと別れた後ッ、追っ手を躱してからこの場所で再会の流れだったなッ」
今ハークたちが立つ場所は、周囲からすれば小高い丘になっている。しかも、巨大な樹木、ハイペリオンが一本だけ空に向かって聳え立っていた。
ハークは肯く。
正直、不安は完全には拭えない。だがそれは、こういった仕事をする際に、ほぼいつものことである。
「よし。では行くか!」
ハークは自身に気合を入れるためにも、そう強く言い放った。
◇ ◇ ◇
少女はベッドの上で勢いよく跳ね起きた。
見たもの、感じたものが信じられなかった。荒い息を抑えるようにして、華奢な自身の幼い胸に手を置きながら上を見上げると、この部屋唯一の窓から覗く外の景色はまだ深夜であるようだ。
「ん? どうかしたのか……?」
周りを見回そうとしていた少女に、すぐ隣のベッドから声がかかった。声の質は彼女同様に幼い。
壁と重厚な扉、そして架せられた鍵に阻まれて自由に出入りのできないこの部屋を自室とするならば、同居人の少年の声であった。
「ご、ごめんなさい、レト。起こしちゃった?」
少女はすぐに謝罪する。レトは非常に音に敏感であった。
少年はむくりと起き上がると、星明りしかない薄暗い中でフルフルと首を横に振った。拍子に、彼の頭部にある、特徴的な2つの耳も揺れる。
「いや、良いんだ。それよりどうしたんだよ、ウルスラ」
少年は自分を気遣い、いつものように優しい。
正直今日ほど、同居人がいてくれて心強いことはない。この施設の警備を持ち回りで担当しているという巨大な人が、強引に、ほとんど暴れて2人を同室としてくれたことに今更ながら感謝するしかない。
だが、ウルスラと呼ばれた少女は、レトに伝えるかどうかを一瞬躊躇した。下手な希望を与えるだけではないのかと。
それは美しい大自然の風の音のようだった。
囁くようなそれに、ウルスラは夢の中で大空を見上げる。
すると、黄金色の光を後に残して飛ぶ羽持つ存在が、まるで外に出ておいでと優しく誘うようにゆらゆらと飛翔していた。
ウルスラが戸惑っていると、その光を放つ存在は不意に進行方向を変え、瞬きする暇も与えぬ間に彼女の目前に達し、その指を掴んでいた。
大きくも儚く、強靭でいながら仄かな光だった。その夢とは思えぬ存在感と現実的な感触に、ウルスラは驚き、眼を醒ましたのである。
今も微かに残る、無邪気に自身の指を引っ張ろうとするその感触に。
意を決して、ウルスラはレトにも伝えることを決意した。
「よく聞いて、レト。私たち今日、外に出れるかもしれないの」
「……は?」
薄明かりの元でも、訝し気に歪む少年の表情がハッキリとウルスラの眼には見えた気がした。




