426 第25話14終:You’ll Be in My Heart.
「戦を行うとして、どこまでやるつもりであろうか?」
「どういうことでしょう?」
レイルウォードが首を傾げる。さすがに漠然とし過ぎていたらしい。
「例えば、戦の途中で帝国が降伏し、こちらの同盟改定案を全面的に受け入れた場合です。逆に、最後の最後まで帝国が降伏をせぬ場合、モーデル王国軍に帝国を滅亡させるつもりはおありか?」
ハークの言葉が終わると同時に、レイルウォードは腕を組んだ。
「……難しい問題です。どの程度の段階で帝国が降伏を表明するかにもよりますが、元々の同盟改定案が非常に向こうに対して厳しい内容ですので、全面的に受け入れるようであれば恐らく追加のペナルティは行わないでしょう。あっても賠償金の追加が精々だと予想します」
「……」
「逆は……、現時点では難しいですね。というのも、協議はこれからなのです。それに、我が国は他国を侵略した歴史がありません」
「存じております」
モーデル王国が建国以来約300年、他国を侵略したことはただの一度も無い。それはつまり、力で他国の領土を奪った経験が皆無であることを示している。内乱状態となり勝手に滅亡した周辺国を、混乱状態を治めるがために吸収併呑した歴史が過去に存在するくらいだ。
この事に関しても侵略行為と同じだと定義する敵対的な国家もあるようだが、そうであっても200年以上昔の出来事であるという。
約25年前、帝国との決戦地『不和の荒野』を領土とし、ワレンシュタイン領とした以外、長い間モーデル王国の支配領域は増えても減ってもいなかった。これはある意味、モーデル王国にとって他国から奪う土地など必要のないことを表している。
「ここからは完全に私個人の予想となりますが、恐らく我が国としては余程の状況とならない限り帝国を滅亡に追い込むまではやらない、いや、やれない可能性が高いでしょう」
「帝国が最後の最後まで抵抗を見せても、ですか」
「ええ。滅ぼせば、誰かがあの広大な土地を管理、占領することとなります。それはつまりは、帝国を滅ぼした我々ということになるのでしょうが、非常な困難を伴うことが予想されます。相手は文化の違う東の民です。安定した統治は、恐らく不可能でしょう」
「……その通りでしょうな」
ハークの前世でも、無理矢理占領した土地の統治に失敗した戦国大名はごまんといる。また、配置換えが行われた大名もほぼ例外なく苦労していた。同じ文化圏ですらこの有様では、別の文化圏を支配など推して知るべしというものだ。
ただ、ハークからすれば些か消極的というか、慎重に過ぎるとも感じた。まるで、過去の出来事によって痛い目に苛まれた民族のようだ。
この国の歴史にそういった経験は無い筈だが、先見の明が利き過ぎるとこのようなこともあるのであろうか。
「最も現実的な案としては、同じ東の民、元帝国人の手によって統治、管理させ、我らはその選出と援助にまわるというものです」
「成程。その案であれば、噴出する不満も少ないと?」
「はい。ですが、選出には相当の気を遣う必要があります。もししくじれば、異国の民に恐怖と憎しみの醸成をしただけで終わってしまいますから。また、帝国は広大ですから中央だけでの集中統治は難しく、いくつかに分割しての統治となりましょう。が、分割統治するとなると管理と援助に更にかなりの人員を必要とすることになります。占領から数十年単位は面倒をかけられるだけこちらがマイナス、ということも充分に考えられるでしょう」
「となれば帝国の支配体制維持の方が、モーデル王国としては望ましいということですか。なれば、皇帝個人に対する処罰は如何する?」
「つまりは処刑ということですね? ……それも簡単には踏み切れぬ問題と思われます。実は、帝国の皇帝には、未だ世継ぎがいないのです」
「世継ぎがいない? 子供がおらぬのですか?」
「不明です。子供がいる、あるいは産まれたとの噂が流れたこともありましたが、正式な発表が無く、後継者も決められてはおりません」
〈秀吉公でもあるまいに〉
ハークは半ば呆れる。
豊太閤こと豊臣秀吉も、最終的に正式な世継ぎとなった秀頼が誕生したのは50を超えてからであった。ただ、秀吉公の場合は実子の夭折など紆余曲折あってのことだ。ここに、後の大御所徳川家康公との大きな違いがある。
「皇帝は帝国を維持していく気が無いのか? 自分が死した後の事を微塵も考えぬのだろうか」
「解りません。正直言って、私には理解できかねる思考です」
「他に血縁は?」
「帝国内にはおりません。帝国の皇帝は自身の地位を脅かす肉親や血縁をほとんど全員くびり殺し、淘汰しています。唯一残った実姉も我が国に差し出しましたが、彼女も既に亡くなってしまい、彼の血縁者はもう甥子にあたるアレスしかおりません。しかし、今更アレスを担ぎ出すのは不可能でしょう」
「うむ。では皇帝を処刑したとしても、帝国は潰れることとなる可能性が高い訳ですか。もしや皇帝は、後継者をわざと決めぬことで、こちらが直接的な手段に訴え難いと分かって……?」
「……その可能性はあるのかも知れませんね」
「こちらが手出しできぬと解って好き勝手やっているかも……、と。業腹ですな。本当に一度、ぶった斬ってやりとうなりました」
まったくです、と言って同意こそ示したが、この時のレイルウォードは、ハークの言葉が真実そのまま本気の言葉であったとは微塵も気づけず、思い至ることもなかった。
無理もないことであったのかも知れない。この後、両者は円満に最後まで食事を楽しんでからこの日の会食を終えたのだから。
「とは言え、我らとしても元凶をいつまでも放っておく、などということはできません。帝国、もっと言えば皇帝がこちらの要求を愚かにものまぬのであれば、最も苛烈な制裁を下す他なくなるでしょう。ただ、これまでの説明通り、我々としてもそれは苦渋の決断ともなるワケですから、しっかりとした事前の計画と入念な人員選びは必須です。そこに更に、全面戦争への準備が重なるとなれば……」
ここで、レイルウォードが一旦黙り、考え込む。脳内で莫大な計算処理をしているところだろう。
やや焦れたハークは、促すために一言発する。
「戦支度には、どれほどの月日がかかり申す?」
「……そうですね、最短で半年といったところでしょう。帝国の対応如何によっては、1年、2年と遅れが生ずるかもしれません」
仕方のないことだ。準備期間無しで戦争を行う馬鹿はいない。
軽んじれば負けるのみだ。古今東西、これは変わることはなく、ハークも充分に理解していた。
しかし、もしこの時の話し相手がランバートであったならば、ハークはこう言っていたであろう。
そんなに待てぬ、と。
◇ ◇ ◇
その日、久しぶりの祝賀ムードにモーデル王国王都レ・ルゾンモーデルは揺れていた。
つい先日まで不安から来る暗い雰囲気に、街中の人々が包まれていたのだ、無理もない。
王都の人々は心から笑い合い、語り合い、踊り、一人の少女の即位を祝福した。
そう。前々から入念に準備されてきたアルティナ王女の戴冠式が、遂に執り行われたのである。
モーデル王国において、王はそれほど絶対的な権力者ではない。それでもその交代は一つの時代の終焉と始まりを示し、時には民衆の不安も煽る結果ともなるが、今回に限ってはほぼ全ての人々がアルティナの即位を歓迎し、希望を見出していた。
というのも彼女を主役として事実に基づいた舞台が制作、上演されて大変な人気を博しているのである。
アルティナは元々王位を目指してはおらず、公の行事などでその姿を現した回数も少ない。従ってどのような人物かは身分の上下にかかわらず、把握している人間はごくわずかでしかなかった。
人となりなどをよく知らぬ人物に対して警戒感をあらわにするのは、思考能力を持つ生物として単純かつ当然な反応だ。
だが、人となりとは行動が示すものでもある。奇跡とも称えられる『トゥケイオス防衛戦』、その事実を描いた舞台にて、彼女の人格はほぼほぼ一般に対して公表されたとも言っていい。
一言一句を再現された主演の演技によって、アルティナへの信は一気に、特に一般の間で最高潮にまで高まった。
新政権が描いた脚本通り、いや、それ以上に事態が進行した結果である。
正に国民の期待と信頼を背負い、アルティナは即位した。
そんな彼女が大事な戴冠式の直後、戴冠式を終えたそのままの衣装で、一番の側近と共に王都の中央通りを全速力で駆け抜けていたことはあまり知られてはいない。
公式にて他人の空似と結論づけられたからである。
更に愉快犯の可能性もあるとして、その後の噂の流布も憚られた状況となったことも大きな要因であった。
が、その日、確かに彼女は第一の側近、リィズと共に王都一番の中央通りを駆け抜けていた。
理由は第一の側近リィズの父ランバートにより、一枚の手紙を渡されたからであった。
ランバートより、何となくこうなるかもしれんという気はしていたんだがなぁ、という言葉と共に手渡された自身の最も敬愛する人物からの手紙を握り締め、彼女らは王都の城壁門を守る門兵の制止も聞かずに外へと出た。
そこで、目撃者によれば涙さえ浮かべながら、二人はその人物の名を全力で叫んだ。
ハークは弾かれるようにくるりと背後に振り向いた。まるで誰かに自身の名を呼ばれたように感じたからだ。
次いで困ったような、それでいて嬉しげでもあるような、ある意味微笑ましいといった感じの表情を浮かべ、言った。
「泣くでない、二人とも」
つぶやくような小さな声であったが、すぐ近くにいたシアが反応する。
「何か言ったかい? ハーク?」
「いや、何でもないよ、シア」
「大方、残してきたあの娘たちに、ごめんなさいとでも言ってたんじゃあない?」
内容以外はすべて合っているという掠りまくったヴィラデルの言葉に、ハークは一瞬だけとはいえ戦慄すら覚える。
言い返そうとも思ったが、ヴィラデル相手に充分な用意の無いままに下手な口答えをしても袋小路にはまるだけなので話題を変える。
「それにしても二人とも、本当に儂らについていく気かね!?」
風の音が強くなってきたのでハークは声量を上げた。今、ハークは胸元に日毬を忍ばせた状態でシアやヴィラデルと共に馬上の人ならぬ虎丸に乗り、東に向かって移動しているのだ。
「当然さ! ハークの行くところ、常にあたしもついていく、って決めていたからね!」
「最悪、この国にはもう帰ってこれないかもしれないぞ!?」
「そんなのオランストレイシア遠征に行った時だってそうだったじゃあないか!」
それはそうなのだが……、と反論しようとしたハークにヴィラデルが畳みかける。
「そうよ、乙女の決意に水差すものじゃあないわよ、ハーク! ま、アタシはアナタのお祖父さんに、必ず孫が帰るようにと見張っておいてくれって頼まれただけなんだけれどネッ!」
「なんじゃい、貴様は儂の監視役か!」
久しぶりにハークはヴィラデルに対し『貴様』という言葉を使った。無論、意識的にである。次いでカッハッハ、と空に向かって笑い声を上げた。伝播するようにシアとヴィラデルも笑う。
そんな調子で進んでいると、前方に奇妙な人影が現れた。
角のついた兜に紅いマントという特徴的極まりない人影に対し、ハークたちは方向も変えずに進み、やがて直前にて虎丸が速度を落とし、その眼前に停止する。
「何かご用かね、モログ?」
何の気なし、世間話程度の口調で話しかけたつもりだった。しかし、突然現れたナンバーワン冒険者の返答はハークを驚かせる。
「バアル帝国に行くつもりかなッ、ハーク?」
半ばこの男ならばとも思っていたが、それでも驚かされ仰け反りそうになるのを耐える。ハークの口から出た返答はほとんど反射的だった。
「何故、そう思う?」
対するモログの答えは淀みがなかった。
「よりにもよって君たちの仲間ッ、その晴れ舞台の日に王都をわざわざ抜け出すなどッ、それ以外考えられんッ!」
ハークたちは顔を見合わせる。恐るべき洞察力だった。
「だとしたらどうするね? 儂らを力づくででも王都に連れ帰す気か?」
モログは首を振った。横の方向に。
「いいやッ! 俺も共に行かせてくれッ!」
「何!?」
今度こそ本当に予想外の言葉にハークは驚き、仰け反りかける。
「俺の本分ッ、人々の安全を守るという目的達成に今一番の障害があるとするならばッ、それは間違いなくバアル帝国とその皇帝だッ! 俺にとっても夢への第一歩ッ、その近道だと俺の勘も言っているッ! それにこの国では、しばらく俺の力が必要であるほどの問題は起こらんであろうッ」
「成程、それもそうかもしれんな……」
この一年間、ハークたちのように突出した戦力でしか対処できないような大事件、そのほとんど全てが帝国由来のものであった。彼らがこちらの国に手を出せる余裕がなくなれば、ハークたちほどの戦力もまた必要無いのだ。
正に元凶、そうとしか帝国を表現できるものではない。
この国にて安全に日々を過ごしたい者たちの敵、それがバアル帝国とその皇帝なのだ。
「わかった。共に行こう、モログ!」
ハークはすぐに答えを返した。目的を同じくする者同士、拒絶するいわれはない。即断即決。充分過ぎる能力の持ち主であれば、尚の事である。
「良いのかねッ?」
「無論さ。頼りにさせてもらうぞ、モログ。……それで、例によって貴殿を乗せられる隙間は無いのだが……」
「走るさッ。いつものことだッ。それに、トレーニングにもなるしなッ」
モログが片膝を上げて柔軟のような仕草をすると、虎丸が右前脚で大地を引っ掻く動きをする。対抗しているのだ。
「ふふっ、競争でもするかね、虎丸?」
撫でながら訊くハークに対して、返事の代わりに虎丸は、ふんっと鼻息を荒げた。
「はははッ。これは、夜には帝国領に着いてしまうかもなッ」
「やれやれ、のっけからこれじゃあ先が思いやられそうだワ。ねェ、シア?」
「あはは……。まァ、賑やかな旅になりそう、だっ、……ねぇーーーーーー!?」
ヴィラデルの嫌味めいた言葉に対してのシアの返答が終わらぬうちに、両者は地平線に向かって走り出していた。
一人の女性の声を後に残し、ぐんぐんと速度が上昇する中、ハークは後ろに振り向いて呟く。
「さらばだ。今まで楽しかったぞ。……息災でな」
その言葉は風音と未だ続いていた悲鳴に阻まれ、地平線の先に沈んだ王都の二人はおろか、誰の耳にも届くことはなかった。




