400 第24話03:いつもの『キセキ』
始まってすぐ、観覧席はどよめきに包まれた。
というのも、一見アルティナ軍に動きが視られなかったからだ。
貴賓席、国王の座す位置より些か離れた席に座る貴族の一人が、遠慮がちに口を開いた。
「ううむ……、アルティナ殿下はどうも噂以上にお優しいお方のようだ……。『模擬戦争』であれ、兵の犠牲を惜しむか……」
発した言葉自体には直接的な批判などは微塵も含まれていないが、声音にはわずかではあろうとも、明らかな失望が混じっていた。
あえて解説するならば、こうである。
アルティナが率いる軍は今、アレス軍に対して城攻めを行っている態であり、それに対し防衛側のアレス軍は、本来なら待ち伏せや罠など様々な策を事前に用意することができる。
実際の戦場ではそれが常道だ。ゆえに城攻めの際、攻め手より受け手の方が圧倒的に有利であるのがほとんどである。
しかし、今回は特殊な事情で両者同条件の野戦が、王城に場所だけを移して置き換えられたのみで、公平のために、そういった有利不利をもたらす事前工作の類は、両軍共一切許されていなかった。
つまりは、あくまでも『疑似』であるのだ。
実戦での城攻めならば、彼も評した通り兵の犠牲を惜しみ、無理に攻めることなくあえて時間をかけて持久戦を挑むのも手は手だが、前述の通り両軍の場所的な条件はあまり変わるものでもない。ならば、レベル的に有利なアルティナ軍が一気呵成に攻めて、ささっと終わらせてしまえば良いだけではないだろうか。
彼はそう言いたいのである。
そんな彼の隣に座る別の貴族は、そういった裏の機微も充分に把握できる男だった。
或いは隣の男と同じ思いを内心抱いていたのかも知れない。肯いて返す。
「うむ。まァ……、そうは言っても地の利が完全に排されたとも言えぬ、とお考えやも知れん。貴殿の言いたいことも解るが、今少しお手並み拝見といこうじゃあないか」
「……そうですな」
彼らの会話は、ある程度周囲の騒めきに吸収されると思ってのものであったのかも知れないが、現国王の傍に座るアルゴスたちの耳にも、しっかりと届いていた。
「どうやら、見ていなかった者が多いようですな」
右隣のドナテロがそう話しかけてきて、アルゴスは肯いて応える。
「そのようですな」
「無理もありませんでしょう。恥ずかしながら私も、彼が何をしてくれるのか、と着目していたからこそ、でしたから。しかも、跨った後は一体どこに移動なされたのやら……」
会話に参加してきたのは、アルゴスの左隣に座るレイルウォードである。
「レイルウォード殿でも、ですか?」
ドナテロが少し意外そうに訊く。この三人の中で、王国第三軍の将軍を務めるレイルウォードが最もレベルが高い。
アルゴスもそのレイルウォードと全く同様で、注目し続けていたからこそ彼らの姿が消えたことに気づけていた。現在位置も杳として知れない。しかし目標の位置には、予想がついた。
「あの噂の天才剣士殿は、ドナテロ殿、まず貴殿の不安を取り除かれるおつもりなのでしょう」
「私の、ですか?」
不思議そうに訊くドナテロに向かい、アルゴスは深く肯いた。
「はい。アレス王子殿下やあの帝国貴族どもが何を考え、何を計画していようとも、それを実行できる時間すら与えなければ、問題の起こしようも無い、ということなのですよ」
「速度で、全てを解決するおつもりか、あの御仁は」
「ええ。レイルウォード様の仰る通りなのでしょうね」
彼は実に不思議な人物であった。
顔や姿形だけを見れば、明らかな子供だった。もうすぐ十五歳の誕生日を迎えるアルティナ王女より、外見的には若く見える。
声も同様だ。
しかし、話せばその思慮深さと頼もしさに、いつの間にか安心している自分がいたことを、アルゴスは思い出していた。
ふと、視線を遠くに送ると、姉妹のような間柄の幼馴染と、この一年間パーティーを組んできたという大柄な女性に周囲を守られ、なんの心配も無いと言わんばかりに堂々と立つアルティナ王女の姿が見える。
しかしアルゴスには、彼女にあれだけの余裕を持たせる要因は、決して周囲の仲間二人のみではないと思えてならなかった。
(信じていらっしゃるのでしょうね。疑いようもなく)
まるで自信満々に微笑んでいるようにすら感じられるアルティナの表情に、アルゴスがそう確信した頃、ようやく王城のバルコニーに見えるアレス陣営に動きがあった。
「あのエルフのガキ、どこに行った!?」
指揮役のゼルモンティが、王城最上階のバルコニーからほとんど身を乗り出して叫ぶ。
第一王子アレスのために最早ヤル気のほとんど無い王国第一軍にとって、レベル差があって勝ち目などゼロとすら言える『模擬戦争』の指揮など、正に苦行中の苦行でしかなかった。
誰もがやりたがらない中、ゼルモンティが最終的に指揮役を得たのは、彼だけが特別ヤル気を見せたからだ。しかも強烈に。
ゼルモンティはある意味当然に、モーデル王国第一軍所属の上級軍人が一人である。
レベルは三十六と、同軍所属兵の中では最も高い人物だ。
しかし、だというのに彼の影響力は第一軍内にて皆無に等しい。
レベル的に軍内でナンバーワンの者など、黙っていたとしてもその戦闘集団の中で本来、影響をいくらでも及ぼすものだ。実際、他の地域の他の軍内であればそうだろう。ゼルモンティもわずか半年程前までは上司同僚部下問わず、強烈な影響力を誇っていた。
それが崩れたのが、ワレンシュタイン領領都オルレオンで行われた『特別武技戦技大会』に参加したことからだった。
彼は未だにこの時の参加を悔いているのだが、ゼルモンティは前述の大会にて予選の第一試合、つまりは初戦にて早々に敗れてしまったのである。
彼に勝った対戦相手は、その後次々と勝ち進み、最終的には最強冒険者モログと引き分けて優勝を分け合うほどだったのだが、それでもゼルモンティの評価が上がることはない。
何故ならその初戦である予選第一試合は計八人による集団戦で、しかもゼルモンティを含めたその内の七名は徒党を組んだ上にたった一人に向かって一斉に襲い掛かり、逆に一撃にて全員まとめて返り討ちにされてしまっていたからである。
このことによりゼルモンティのレベル三十六という数字は、ただ数が多いだけのハリボテと化し、周囲の評価どころか、何よりゼルモンティ本人が自身をレベルが高いだけの存在だと痛感させられる結果となっていた。
そんな彼が、いかな『模擬』とはいえ、屈辱を与えた本人相手に直接報復を遂げられる機会を逃すハズはなかった。
「お前たちもさっさと探せ!」
仮初とはいえ、尊敬もしていないとはいえ、一応の上司の命令に第一王子の側近役を務める二人の上級騎士も渋々ゼルモンティの近くにまで移動を始める。
一人、大将であるアレスの他に、場を動かぬ人物がいたが、ゼルモンティも気にしない。
それは今回の『疑似戦争』の審判役兼、内部調査員だからだ。彼らが注視し、発見すべきものは他にある。
側近役を務める二人組の騎士は双子同士だった。そのためか仕草がそっくりで、タイミングもほとんど同じである。
彼ら二人がバルコニーの柵を掴んで上司役のゼルモンティと同様に身を乗り出そうとした瞬間であった。
背後の内部調査員の息をのむような、そして守るべき大将の、驚き過ぎて声にならぬ声をゼルモンティは聴いたような気がして、最悪の悪寒と共に彼は後ろを振り返った。
空から、いいや、屋根の上からアレス王子の目前に降り立つ白き魔獣に跨った仇敵の姿を、彼は眼にする。
「あーーっ!!」
抑えが利かずに思わず叫ぶゼルモンティは、アレスのもとに駆けつけるべく足元の大理石でできた敷石にヒビ割れを起こさせるほどに強く踏み込んだが、間に合うハズもない。
ハークの静かだが良く通る声で宣言がなされていた。
「頭上より失礼する。アレス王子、儂と一勝負していただこうかね」




