377 第23話09:故郷の足音
「……つまり殿下は、エルフ族には、何故かこの新開発されたばかりの洗脳魔法に対する何らかの対抗策がある。そうお考えになっておられるのですね?」
「アルゴスの言いたいことは解る。確かに不可思議だ。論理的におかしい。ボバッサも最初はそう言っていた。しかし、王国筆頭魔術師と古都三強のエルフ、どちらかの答えがこちらの考え過ぎ、あるいは思い違いであったとしても、妙な偶然に過ぎる。調べてみたが、このモーデルで、当時、王都以外にエルフが住んでいる大都市はたった三つしかない! そして今現在はどういうワケか二つに減った!」
アレスの言う通りだった。エルフ在住の大都市というのはこの王都を抜かせば軍都アルヴァルニア、古都ソーディアン、そして辺境領領都オルレオンしかなかった。確率で言えば二分の一だ。
そして半年ほど前から、丁度、オルレオンで『特別武技戦技大会』が行われた辺りである。その辺りから、遂にソーディアンからもエルフの姿はなくなった。
上記の事情についてはアルゴスも詳しく聞かされている。アルティナがソーディアンで一年前当時、同市に二人しかいないエルフ、その両方を自身の味方へと引き込んだからだ。
あの子には王器がある、とはアルティナの父と祖父の言葉だが、彼女の護衛を買って出た方が『特別武技戦技大会』で西大陸最強と言われる冒険者モログと、堂々優勝を分け合ったと聞いた時は、それすらも超えて、運命という言葉すら信じるまでになったほどである。
「確かにそれは、私が殿下の立場であっても、関連性があるとの考えに至るに違いありませんね」
うんうんと頷きながら、アルゴスの頭の中はこの後の予定でいっぱいとなる。
具体的に言えば、国王陛下についてもらっている王国筆頭魔術師ズース=アー=ルゾン=アルトリーリア=クルーガーに、多少詰め寄ってでも話を聞かねばならない、ということである。
ただ、内心、あまり気は進まない。あの御仁は先王以外は国王陛下としか真面に話をしてくれないからだ。ヒト族が作った王国の権威なぞ、何するものぞという思いがあるのだろう。
ある意味、その気持ちも解る。王国三百年の歴史ですら、彼の生きた年月の半分にも達しないのだから。
自分に置き換えてみれば良く解るというものだ。アルゴスが成人に達した頃にはまだ存在もしていなかった国の者に、自分はその国の重鎮ですと言われても、その人物自体の尊厳以外は認められないだろう。
とはいえ、事はアルゴス自身の気持ちがどうとかは、とっくに二の次だった。どうすればズースからスムーズにでき得る限りの話を引き出させるかと思案しつつ、アルゴスはアレスの言葉にも耳を傾ける。
「そうだろう!? 他にも調べれば調べるほどに関連を紐づけられたが、それは今のところはいい。とにかく、そんなワケでロウシェンは洗脳魔法の影響下から脱した状態で王都に帰ってきた。そしてそれ以来、一度もこのサロンへは足を踏み入れない。これは恐らく、洗脳魔法を解いた者、古都三強のエルフが何がしかの注意喚起を促したものと、俺は確信している」
アルゴスは肯いた。その可能性を認めたということだ。
しかし、実際のところこれは考え過ぎであった。ロウシェンは何となくだが、自分がしばらくの間おかしな考えに囚われており、同時にソーディアンにて解放されたことにもおぼろげながら勘づいていた。そしてそれが、第一王子のサロンに出向いた時期であるとも確証こそ全くないが関連付けており、本能的に避けていたのである。
尤も、ソーディアン寄宿学校にて学んで以来、空いた時間は自己鍛錬に忙しく、第一王子のサロンになど出向く暇が無いというのが本当のところでもあるが。
アレスが息を一吐きしてから続ける。
「俺からはこんなところだ。……他に質問はあるか?」
「はい。洗脳魔法を人間種以外、例えば魔物などに使用することは可能なのですか?」
「不可能だ。先にも言ったが、洗脳魔法は心の在りようの一部を徹底的に増幅し、操ってこちらに従わせる魔法だ。相手の心が、こちらのものとあまりにも違い過ぎれば理解ができず、どこを増幅して良いかも分からん、ということになる。従って魔物に関しては不可能だ。……ただ、な……」
「どうされましたか?」
「いや、今思いついたのだが、人間種とある程度同じように考えられる魔物であれば、従えるのは難しくとも影響を与えることは可能であるかも知れん、と思ってな。例えば、怒りや苛つきなどに心を支配させ、暴れ回させる、とかな」
アルゴスは顎に手を当てて、アレスの今の言葉を真剣に吟味してみた。確かに今まで聞いた理論からするとあり得るかも知れない。が、いずれにしても推測の域を出ない。
「可能性はあるかもしれませんが、確証は中々難しいですね」
「ま、人間種と同じように考える魔物なんてものがいればの話だ。忘れてくれ」
「いえ、大変参考になりました」
「そうか。……それで? もう話は終わりか?」
「いえ、殿下。今少し……」
「やれやれ」
アレスはわざと辟易した表情を見せたが、内心、決して悪い気分ではなかった。丸二日、他人と話すことすらできなかったのだから、ある意味当然と言えば当然であった。
城から出たアルゴスは、既に大分西の空に傾きつつある太陽を横目にして、この後の行く先を街の外の第二王女派閥とするか、国王と共にいるズースとするかで迷っていた。
(行方をくらませた親衛隊連中も気になる……。特に洗脳魔法実在の確証が得られた今、ボバッサは絶対に無視できん。昨日までとは彼の、彼だけの危険度が違う。派閥の方々と対応を協議せねば……。しかし、まずはズース様より正しい知識と対応策を得られるならばそれを先とするのが望ましい、か。とはいえ、あの御仁との話が円滑に、そして簡潔にいくとはとても思えない。その間に王都の門は閉まり、街の外には出られなくなってしまうだろう。派閥の方々との話し合いであれば、事情を話し簡潔に済ませて双方とも今日中にお会いすることも可能だが……、致し方ないか)
結局、考えた挙句にアルゴスはズースのもとへとまず第一に向かうこととなる。
この時の選択が、今や王国の未来にとっても非常に重要な存在である、とあるエルフにとって重大な事態を招くことを阻止する、或いは最低でも事態の発生を遅らせられた可能性を潰してしまう結果になろうとは、この時のアルゴスは当然に知る由もない。
◇ ◇ ◇
デメテイル=マリサ=アルトリーリア=スナイダーは、名の通り森都アルトリーリア出身のエルフである。
成人してからしばらくして、彼女は森都から出立、生きる場を外界へと移した、所謂『珍しいタイプのエルフ』だった。もう七十年の昔になる。
デメテイルはレベル二十九の王国第三軍団所属の軍人である。既に六十年近く、同軍に所属し、他を圧倒する魔法の知識で教官の地位に就いていた。
あまり一般的ではない知識だが、エルフを雇うのは大きなメリットとデメリットがあると言われている。
メリットは、ヒト族よりも遥かに長い寿命と、現役でいられる時間により、非常に長い期間、安定して仕事をこなしてくれる、ということだ。雇い主にとっては自分の後の後の代になっても、変わらずに活躍してくれるという安心感がある。これに関しては他の人間種では決して得られないものだった。
デメリットは逆に、雇い主が代替わりした際に、一時期非常に扱いにくくなる可能性がある、ということだ。自分が産まれる以前から同職に就いていた者に、成人後、上司になったからといって、気軽に命令を下すのはヒトの心理として中々に難しい。
また、何らかの理由で職務を離れられてしまった際に、代わりの人員が見つけ難い、というのもある。その職務が単純な強さによるものではないとなるともうお手上げだ。知識と経験では絶対に敵わないからである。
しかし、デメテイルの場合は前述の通り、既に六十年近く同じ地位に就いているというのにもかかわらず、上記の問題は発生していなかった。
一つには彼女の性格が非常に気さくであり、偉そうだったり高圧的な態度を取ることが全く無いということがあり、もう一つには、第三軍側が昔から彼女と同じ地位と立場の人物を常にもう一人以上用意しており、知識と経験の伝達を怠らせなかった、という対策が挙げられる。
とはいえ故郷の里、森都アルトリーリアからの急な呼び出しにより、長年の積み重ねのせいで貯まりに貯まった有給を消化して、半年ぶりに帰還した彼女の姿を見た直接の上司の瞳は、些かに輝いていた。
「良くぞこの時期に還って来てくれたよ……! 今年も新人が先日、数多く入隊してきたんだ。明日にでも職場復帰を頼みたい!」
新人の頃にデメテイル自身が面倒を見た上級仕官が、地方領主たちが集まるテントの中から出てきて実に嬉しそうに言ってくれる。
彼は自分たちの最上司から頼まれて、その最上司の代わりに自分よりも遥かに上の立場の人物、場合によっては雲の上の人物たちの会合に出ていたのだ。
極度の緊張感から解放された彼の表情を崩すのはツラいが、デメテイルとて言うべきことは言わねばならなかった。
「ごめんね。もしかしたらもう一回トンボ返りしなきゃあならなくなるかも知れないの。レイルウォード様はどこ?」
上級仕官の男性はデメテイルのいきなりの言葉に一瞬戸惑いを見せたが、いつも朗らかだった彼女の表情が真剣そのものだったのを見て、態度を改めた。
「案内するよ。国王陛下やズース様と一緒だ」
二人は即座に連れ立って、王都の方角へと歩き出した。




