324 第21話08:犬人と鬼人
ハークが掴んだままの刀身から手を放す。次いで、その左手を開いて、ぴらぴらと三人に良く見えるようにした。
「……え? アレ? 斬れてねえ……?」
オットーが瞠目しながら言う。シュクルやクヴェレも全く同じ状態であった。
「え? なんで? なんで?」
「ど、どういうこった……?」
驚きを通り越して動揺を見せる三人の様子に、ルナも乾いた笑いで同意を示す。
「はは……、アタシも正直、いつ見せられてもヒヤッとするんだけれどね。ハークによると『カタナ』に限らず刃物ってのは、引くことで初めてその本来の斬れ味ってヤツを発揮するらしいんだけどね」
「引く?」
発言したのはクヴェレだったが、三人が揃って首を傾げていた。
「まァ、気持ちは良く解るよ。アタシもその感覚は知らないが、それができないと『カタナ』の斬れ味、解り易い言い方をするならば攻撃力付加値のことだけれど、これが半減しちまうらしいのさ」
「半減!? そんなカラクリが……。いや、ちょっと待ってくれ! それにしたってちょっと落ち過ぎやしねえか!? 浅い傷すらつかないなんておかしいだろ!?」
「おっ、そこに気がつくとは、さすがは高レベル冒険者なのだな」
ハークが言う。言葉面といい表情といい、称賛を受けたような気もするのだが、どうも額面通りに受け取る気になれない。
「ほ、褒められてる気がしねえな」
「本心さ。それで、この大太刀なのだがな、長く戦いを共にしたせいか、最近、自分の手足と同等にまで感じられるようになったのだ。おかげで今では斬りたい時に斬り、斬らずに済ませたければそうすることができる」
「そ、そんなバカな」
「本当だよ。ほれほれ」
そう言いつつ目の前の少年は先程と同じように、軽くとはいえ自らの左手にカタナの刀身を落としてはキャッチを繰り返し始めた。全く邪気のない表情で、ぱちんぱちんと音がするくらいである。
「分かった分かった! もういい! 止めてくれ! こっちが怖えよ!」
「む? そうかね?」
素直にハークは大太刀に素手で触れた部分を自身の上着の袖で拭い、そそくさと元の鞘に納める。
「ったく……。アンタは心臓に悪いぞ!」
「ははは。またも驚かせてしまったようだな。ところでどうだね。丁度今、儂らもすぐそこにて食事中なのだが、交ざらぬかね?」
「は!?」
「う!?」
「いいっ!?」
ハークの突然の誘いに、クヴェレたちは三者三様の反応を示した。
横でルナが納得顔をしている。
「ああ、そっか。今日はウチの酒場で夕食中だったのかい」
ハークの言ったそこ、とはつまりギルド併設の酒場を指していた。このオルレオンの大体の店もそうだが、酒場といいつつ食事メニューは非常に充実している。
「うむ。声が少し聞こえたのでな」
「え? 酒場まで聞こえたのかい?」
ギルド併設の酒場と医務室は、同じ冒険者ギルドの建物の一階に位置しているとはいえ、間に受付ホールや吹き抜けなどがあって、距離的には多少離れている。さらに酒場というだけあって周囲の雑音も多かった筈だ。
そこにいた者にまで声が届いてしまうというのは、いかに大きな声であったのかという証明のようなものだろう。しかし、実際はそういうことでもなかった。
「ま、儂の耳は特別製というヤツさ」
「ああ。その長い耳は伊達じゃあないってコトだねえ。そうだ、アタシもご一緒していいかい?」
「おお、勿論だよ。仕事の方はもう良いのかね?」
「まぁね。今日やらなきゃいけないのは今ので終わったよ」
「そうか、それは良かった。それで、どうかな? お三人方」
エルフの少年が、その美麗な顔をクヴェレたちに向けながら訊く。
「……う」
この時、即座にクヴェレたちが答えられなかったのは、ハークの顔に見惚れていたのでは勿論なく、ひとえに自分たちが一方的にハークへと抱いていた、敵愾心に似たもののせいであった。
則ち、ハークの名声に対する反発である。
先に功を上げたのはそちらの方だったが、自分たちだって機会さえあればやれるんだ、そうに違いないという、ある種根拠の無い、若気の至りにも近いものだ。
負け惜しみとも言えるだろう。だが、これこそが彼らを若くして現在の位置へと上らせた原動力でもあった。
逆境に立つも、なにくそと思い立ち上がってみせる。そういった思いを胸に宿せぬようでは、可能性というものさえハナから存在しなくなってしまう。スタートラインに立つことさえ、できないのだ。
それでも、迷惑さえかけた自分たちに対して、なんの隔意も見せずに、食事に誘って交流を図ろうともする姿勢は、外見的な大きさではなく、人物としての内なる大きさの違いを見せつけられたようなものだった。
痛感させられてしまったのだ。器が違うのだと。
「ア……、アタシたちは、遠慮しておくよ」
断ること自体が自分のみみっちさを肯定してしまう気がしたが、それでもこの時のクヴェレが首を縦に振ることはできなかった。最後の最後の意地のようなものでもあった。
「そうかね。気が向いたらいつでも来てくれると良い」
それだけ言ってハークは踵をくるりと返し、ルナと連れ立って共に部屋を出ていく。
クヴェレたち三人は、結局、返事をすることさえもできずに、無言でその背を見送るしかできない。そのことが、より、自分たちとあの少年の差を教えてくれるようでもあった。
◇ ◇ ◇
「ちっっっきっしょおおおおおおおおお!!」
ドカドカと荒地を猛疾走しながら、パーティーの先頭を走るクヴェレがここ数日でたまりにたまったストレスを吐き出すように叫ぶ。
「あ~、うるせーうるせー。荒れてンなあ、まったく。ま、モンスター誘き寄せる、いい餌になるから良いけどよォ」
「だな。おおぉい、クヴェレ! 先頭を突っ走るのも良いけど、壁役は俺なんだからな! 忘れんなよ!?」
「わぁかってらぁー!!」
シュクルは相も変らぬ仲間内に対してだけの毒舌を吐き、オットーはパーティーリーダーに注意を促し、そしてそれに全力の大声を返すクヴェレ。
彼ら三人は現在、オルレオンから十数キロ以上離れた荒地上を駆け抜けていた。
目的は冒険者の本分、モンスター退治のためである。ただし、依頼を受けてのことではない。
「なぁ! クヴェレ!」
「なんだ! シュクル!」
「言いにくいんだけどよォ、もう諦めたらどうだ!? ありゃあホンモノってヤツだぞ!」
「ぬぐっ!」
「そうだぜ! モログさんと引き分けたのだって、きっとマグレじゃあないぞ、あれは!」
「うっせえ、オットー! だからこうして、レベル上げに勤しもうとしてんじゃあねえか!」
「やれやれ」
走りながらシュクルは溜息を吐く。
クヴェレが言った通り、本日彼らが街の外へと出向いてきたのは、モンスターを見つけて戦って倒し、そしてレベルを上げるつもりなのである。そうしてハークとの実力差を補い、もう一度彼に挑戦する。クヴェレはそう考えていた。
ただ、もう彼らのレベルは相当に高レベルである。
クヴェレが三十八でその他の二人が三十七。そうそう都合良く上げられる筈もない。
さらに、この地ならではの懸念もあった。
「言っとくがヒュドラはダメだぞ!? 俺は火魔法が使えねえんだからな!」
シュクルは高レベルの『魔術師』だ。
得意魔法系統は水と氷。双方共に上級の一部を使用できるほどの得手である。この属性魔法構成は、海運都市であるがゆえに水生系モンスターの相手をすることの多いコエドでは重宝するが、この地の二大強敵モンスターであるヒュドラとタラスク相手には分が悪い。どちらも火魔法を扱えるパーティーメンバーがいないと討伐の難易度がはね上がってしまうからだ。
「分かってるよォ! そう何度も言われなくたってな! お!? 右前方にジャイアントリザード発見! オットー、鑑定を頼むぜ!」
「了解!」
ジャイアントリザードとは、比較的西大陸中に多く生息する、かなりメジャーなモンスターだ。大抵の冒険者は戦い慣れている存在である。
だが、レベル二十六以上から炎を吐き出すようになるため、注意も必要な相手だ。だからこそ、強モンスターたるヒュドラ蔓延るこの地でも生き抜くことができる。
とはいえ、オットーの口から三人としては問題のないレベルが告げられ、彼らはクヴェレの大声に誘われてか襲来する巨大蜥蜴に対して迎撃態勢を取った。
十分後、クヴェレたちパーティー三人はまたも突っ走っていた。
ただし、反対方向に。
「だあああああ、ちっきしょおお! なんでヒュドラまで来やがるんだよ!」
クヴェレが悲鳴に似た文句を走りながら空に向かって叫ぶ。
ジャイアントリザードは難無く討伐したのだが、完了したとほぼ同時にレベル三十五というヒュドラが現れたのである。
彼らにとって戦えぬほどでもないし、勝てる可能性がないわけでもない。
しかし、やりにくい相手であることは明白だし、依頼を受けた標的でもない。せめてあと一人でも同レベル帯が味方にいれば話は別だが、今の状況では無理をして良い場面でもなかった。
冒険者である以上危険はつきものだが、命も賭け時があると、経験とたくさんの反面教師らが教えてくれた。さもなくば仲間を失うことになる。
「いいから走れ! アイツ早いぞ! 差が開かねえ!」
「分かってらぁ! シュクル、足止めに良い場所はあったか!?」
「おう! この先を左に行った辺りだ! けど、結構距離があるぞ!」
チームの魔術師役がそう返した時であった。
どこからともなく声が聞こえてくる。
「こちらワレンシュタイン軍防衛隊のモンだ! あんたら、助太刀はいるか!?」
荒地は細かな山あり谷ありで見晴らしが悪い。声の発信源は確認できなかったが、戦力になれば攻勢に出れると思い、クヴェレが即座に許可を出す。
「頼む!」
「了解したぜ! 『龍翔咆哮脚』ォオオオオオオオオ!! ほぉあぁったぁああああアアアーーー!!」
突如、凄まじい勢いで横合いから突撃する影があった。
爆発にも似た強烈な打撃音が響くと同時に、ヒト族の何十倍もの質量が真横に吹っ飛ぶ。
「うっっおおおおおお!?」
「な、何だぁ!? あの巨体が一発でぶっ飛んで行ったぞ!?」
驚愕する彼らの前に、まるでここから先には通さんと言わんばかりの一人の青年が大地に降り立つ。
三か月の謹慎期間を終えて軍に復帰した上級大将が一人、フーゲイン=アシモフその人であった。
強烈な先制攻撃を受けて地に転がったヒュドラであったが、再生しつつも無事な首を使って器用に、そして素早く身を起こす。
が、その巨体の懐に迫るもう一つの人影があった。
「っしゃあ! 行けぇっ、エリオット!!」
「『D・ロール・コンビネーション』!!」




