248 第17話11:Run away , If you can
ワレンシュタイン領の大地は基本的に荒地とはいえ、それは砂漠などのように見通しが効くものではない。岩が突き出たり逆に窪んだりと、幾重もの高低差を孕んでいた。
中には天然の見張り台の如く天空まで伸びつつも、ヒト族の集団をその内に悠々と包み隠せる窪みを有するものが幾つも存在していた。
「あそこだ」
遥か先、地平線にすら届きそうな地点に、地味だが確実に聳える岩山があった。垂直に伸びる崖の様な中腹を指差し、ハークは隣のランバートへと報告する。
無論、感知したのは虎丸である。
「……確かに窪みがあるな。……ん? 奥に洞窟らしきものもあるのか……」
『ボーエンキョ』を覗きながらランバートが呟くように言う。エルフの特別製たる瞳であれば詳細まで視えるだろうが、ヒト族では流石に距離があり過ぎる。
「殿、ここまで来れば我が嗅覚でも感知出来まする。……ただまぁ、正確な方角は掴めませぬが……」
荒地は常にと言っても良いほどに強い風が吹き続けている。しかも短時間で風向きがすぐに変わってしまう。それ故、嗅覚に自信を持つ獣人たちでさえ目標の居場所を特定することは困難極めていた。匂いが散ってしまうのだ。
しかし、虎丸は正味僅か一時間少々でハーク達を含めたランバート達を侵入者の集団が潜むであろう地に導いていた。
「恐るべきは精霊種だなァ。……良し、見張りの姿は無いな。近付こう」
『ボーエンキョ』から眼を離し、立ち上がろうとするランバートをハークが制する。
「待った、ランバート殿。見張りならいるぞ」
「何⁉ どこだ?」
「洞窟の入り口らしきものの向かって左側に、小高く積み上がったような岩が視えないか?」
ランバートは元の体勢に戻り、再び『ボーエンキョ』を覗く。
「視えるな。あの奥に潜んでいるのか?」
「いや、あの岩自体をよく観察してくれ」
「岩を?」
ランバートは『ボーエンキョ』の中に拡大されて映る何の変哲も無い人間大の岩を数秒じっと眺めていたが、本当に何の変哲も無いのでハークにそれを言おうとした瞬間、岩の下部分が不自然に揺れた。
「ん⁉」
思わず二度見してから再度注視する。するともう一度同じ部分が揺れた。
「何だ、あの岩は⁉ 自然物ではない?」
「うむ。恐らく、枠の外側に岩の模様などを描いた布を被せて端を周囲の小岩にでも噛ませておるのだろう。あの内部に見張りが潜んでおるに違いない」
「へぇ~、随分と手の込んだ細工を施すモノねェ」
ハークとランバートの会話が聞こえていたのかヴィラデルが感心したような声を出す。彼女もエルフ族だ。耳も眼もハークと同じく特別製である。
「存在を希薄とするような法器や、周囲と見た目を同化するかのような法器だけでは、我々エルフ族が稀に持つ『精霊視』の能力では逆に目立って視えてしまうワ。けど、あの方法なら余程注視しない限り、気付くことすらも困難でしょうね。相手はこのワレンシュタイン領が亜人の領と知って対策を立ててきた、ってトコロかしら?」
「かもしれんなぁ」
納得しかかるランバートに対して、ハークは全く別の事柄を思い起こしていた。
前世で似たような手段を使用する連中の事である。
〈あれは忍びの術だ〉
だからこそハークは逸早く見破れたのだ。
確か隠れ身だとか、空蝉の術とかであったか。
ランバートが再び口を開く。
「王都の仲間たちがとある情報提供者から得た情報によると、奴らはどうも三百年くらい前に生まれた勇者、今で言う『ユニークスキル所持者』の子孫である可能性が高いらしい。保護されていた教団と対立して東大陸に逃げたっつう話だ」
「ナーールホドねェ。人や集団にも歴史ありネ。そうなると、西大陸側の魔法技術の高さを警戒しているとしても、不思議はないわネ」
「うむ」
ヴィラデルの推察に穴は無い。
が、ハークだけが知っている、『ユニークスキル所持者はハークが前世を生きた同じ世界からの記憶と人格を持った人間かも知れない』という推理に準じるならば、その逃亡した勇者とやらは、前世がハークが知るような忍びの者だったのではないか、ともハークは思うのである。
ハークの脳裏に思い起こされるのはかつてソーディアン東の森の中、木々に囲まれた中で死闘を演じ、ハークに魔法戦闘の奥深さを教え、最後は見事に自らの手で果ててみせた無骨なる武人、ゲンバのことであった。
彼の姿と、かの賊の開祖が嘗ての勇者であったという情報がハークの頭の内で重なる。
あの日あの時あの場、彼が名乗ったゲンバと聞いて、ハークは武田が忍び唐沢玄蕃の名を思い出していた。
まさかそのまま本人だった、ということは無いであろう。ヒト族はそれ程長く生きる種ではないと聞いているし、追い詰められてもあのコーノのように『ユニークスキル』を使った様子は一切視受けられなかったからだ。
〈名を継いだのかも知れん。服部半蔵のように〉
江戸城西端、半蔵門の名の由来となった服部半蔵正成、通称鬼半蔵こと二代目服部半蔵の事である。恐らく世界一有名な実在忍者の名である服部半蔵も、服部家に代々受け継がれる当主の名前であった。
北条の忍びであったと言われる箱根の風魔衆、風魔小太郎も同様であると聞く。忍びにはそういった風習があるのかも知れない。
〈だとすれば、尚の事、要注意か〉
投げた鎌が独りでに戻ってくる、くらいの事は警戒して然るべきなのかもしれない。
「皆、背後に気を付けよ。ジョゼフ殿もそれでやられている。投擲武器が魔法も使わずに戻ってくるくらいの事は頭に入れておいた方が良い」
「うん、おっちゃんもそうだったね。ケド、武器が魔法も使わず操れるなんて聞いたことないけど?」
「要はそれぐらいの心構えが必要という事だ。相手はこちらの考え方とは別の思考と感覚を持っておる。どんな未知なる技術を隠し持っているか分からんでな」
「なるほど、良く解ったよ」
納得したようでシアが頷く。
「皆も完全に相手を無力化するまでは、決して油断するな」
「了解!」
「はい!」
「分かりました!」
「ガウッ!」
「キュンッ!」
各々、ハークのパーティーメンバー達が応える。日毬はどうも虎丸の声に続いただけかもしれないが。
更に彼らに続いて、ベルサ配下のワレンシュタイン防衛隊の猛者十二名とエヴァンジェリンにヴィラデル、最後に今回だけの参戦を許されたフーゲインが頷く。彼らに比べればハークのレベルはまだ低いが、侮るような者は一人もいなかった。
「よし。ではハーク、手筈通り頼む」
「了承した」
ハークはすぐに虎丸、そして日毬にと連結して念話を接続する。
『虎丸、あの中には何人潜んでいる?』
『あの岩モドキの中には二人ッス』
『ふむ。洞窟らしき方はどうだ?』
『三十人程度ってとこッスね。ジョゼフ殿の背中を斬ったヤツもそこにいるッス』
『そうか』
侵入者達は一網打尽を防ぐためか、三つの集団に別れて蠢動しているらしい。だが、ゲンバの相方を務めていた女暗殺者がここに居ることは分かっていた。虎丸は彼女の匂いを覚えていたからこそ、主たちを導けたのだから。
『その他に、洞窟の外にいる、見張りを務めていそうな連中はいるか?』
『いないッス』
『よし。では、念話を維持したまま日毬と共に見張りの排除開始だ』
『了解ッス!』
小さく鳴いた日毬を背に乗せたまま、虎丸はいつものようにするすると目標に近づいていく。
乱立する岩の林の影を伝い目標地点へ足音も無く進むその姿を、主であるハークすら次第に捉えにくくなる。虎丸が自身の持つSKILL、『野生の狩人』を発動させたからだ。
やがて、小高く垂直に聳える岩山、見張りの潜む隠れ身の模造岩の真下へと到着した虎丸の背中より、小さな小さな存在が飛翔するのが、ハークの瞳には映る。
合図のように、日毬は一瞬だけハークの方角に光を発したのち、舞う木の葉のように風に乗り、見張り台と思しき模造岩の横に並んだ。
距離は殆ど離れておらず三メートルといったところだ。しかし、羽を広げても人の手の平サイズの存在を、然程気に留める者などあろうか。
ハークの予想通り模造岩の中に潜むであろう者達からは、何がしかの反応も無い。
ほぼ限界ギリギリの位置から、ハークは念話にて日毬に攻撃開始の指示を送る。
『日毬、『突風』だ』
極々小さな「キュンッ」という囀りには、「はいー」という言葉と同時に魔法発動の為の言葉も含まれていた。
瞬間、巨大で強烈な突風が一瞬だけ発生した。
『突風』はその名通り突風を発生させて、その勢いと力で物を少し横に押したりする便利な魔法だ。攻撃力は全く無い。
しかし、これがハークやヴィラデルのような『魔導の申し子』とすら他の人間種に囁かれるエルフ族を優に超越する魔導力を秘めた日毬が使用すれば、全てを薙ぎ飛ばすが如き暴風を発生させる。
潜んでいた見張り役二人は、瞬きする間も無く隠れ身の岩モドキごと引っぺがされ、気が付いた時には宙にいたことだろう。
反応しかけるが遅い。
彼らの眼前には神速の獣、虎丸の姿があったからだ。
虎丸は爪を出さぬままに空中に投げ出された二人の喉を前足で突く。虎丸をして加減をしたその攻撃は喉を潰しかけ、首の骨も砕く寸前であったが、見事に相手の意識を遥か彼方に吹き飛ばしていた。
気を失って抵抗の意思すら奪われた二人の襟首を食み、虎丸はこれまた音も無く崖下の大地に着地すると、見張り役二人の身体をその場に横たえた。
一仕事終えた虎丸の背に、再び日毬が戻って来てから引っ付くのを視て、ハークは安堵と共に込み上げる達成感で拳をぐっ、と握った。
《良し、成功したぞ!》
教育者の充てもなく、加減の全く出来ぬ日毬を戦闘に参加させるが為にハークと虎丸、そしてエルザルドまでもが知恵を出し合ってこねくり出した方法がこの、『使用する魔法をハークが選択して指示出しをする』というものであった。
日毬は魔法に細かいコントロールを付けることが出来ない。常に最大出力である。
ならば一段階も二段階も、威力を落とした魔法を使用させれば良いのである。
しかし、使用は出来得るようになっても、一つ一つの魔法の効力でさえ、まだ幼い日毬の頭には完全に入っているとは言い難い。そこで、ハークがその場面場面で必要な使用魔法を選択し、指示するのである。
無論、一番良いと言える方法ではない。だが、現時点では最も効率良く日毬の魔法才能を活かす方法であり、選択だった。
これが一流の魔法の使い手であれば、一々他人の指示で使用する魔法を選択させられるのはストレスであり、或いは屈辱でさえあったのかも知れない。
が、幼い日毬はハークの役に立っているという実感だけで幸せであった。
更に、この方法で実戦を重ねていけば、いつか本物の知識として日毬の中に帰結もし易くなるだろう。
上々の結果と言えた。ハークのパーティーメンバー、ランバートにベルサを除いた他の面々が、ヴィラデルでさえも一様に眼をまんまるに剥いていなければ。
「さて、と。これで作戦の第一段階は成功だ。皆、聞きてえことや言いてえことがあるだろうが、後にしろ。近付くぞ」
ランバートの言葉に殆どの連中は、はっとして立ち上がった。




