第四十三話
護衛役に就き1週間、ウォルムは今日も治療室に居た。重傷者の殆どは戦列に復帰を遂げ、治療は軽傷者が中心となっている。四ヵ国同盟は曲輪群から大きく距離を取り、再編成に徹しており、一部の斥候や間諜を除けば新たな負傷者は出ていなかった。
公然とはされていないが、アヤネは捕虜としては異例なほどハイセルク兵からの人気が出ていた。部下や戦友が致命傷を負って死に瀕しているところを治療する者が居れば当然の事態であった。その上、若く麗しい少女と来れば、人肌恋しい兵隊達が恋心や羨望の眼差しを向けるのも仕方ないとウォルムは諦めている。中には貢物すら届く始末であった。危険の無い物はウォルムも手渡しているが、最早呆れるしか無い。
「ウォルム殿、次は城壁での作業中に落下した兵の治療になります」
愛嬌のある若禿の兵士がウォルムに言った。護衛や身の周りの世話をするモーリッツという兵士だった。元々は参謀の小間使いとして司令部付きの兵であったが、その忠義心と毒耐性のスキルを評価され、監視役を取り纏めている。
ウォルムとしては軍歴の長いモーリッツに敬語を使われるのはむず痒かったが、騎士爵持ちで鬼火使いのウォルム殿に恐れ多くてと、改めてはくれなかった。愛嬌の良さと細かい気配りの利く、戦場には勿体ない男だとウォルムは評価している。
「診療台へ乗せてください」
担架で運ばれて来た兵は左足と左腕を骨折していた。城壁の階段から落下した間抜けであるが、今は腕の良い治療魔術師がいる。
「うっ、つうう」
苦痛に兵は目を瞑り、歯を喰いしばった。マイアが兵士に木の猿轡と手に布を渡す。
「痛みますよ」
呼び掛けたマイアは曲がった足を正しい位置に戻した。兵は呻き声を上げる。
アヤネが折れた足に手をかざし、治療を始めた。脂汗を流していた兵の苦痛の顔が緩んでいく。腕の治療は足よりも早く終えた。流石の技量だ。単純な骨折程度など5分も掛からず完治させてしまう。治療を終えた兵士から猿轡と布が返却される。寝台から降りた兵はアヤネとマイアに感謝の言葉を述べた。
「助かりました。こんなに早く治るなんて」
手術中握りっぱなしとなっていた兵の手は堅く閉ざされたままだった。1週間治療者を見て来たウォルムは違和感を感じる。手術を終えた者の殆どは弛緩するものだ。それが何故拳を握り締めたままでいる。ウォルムは注意深く視線を走らせながら一歩距離を詰める。
男はウォルムの接近に気付いた。愛想笑いを浮かべる男だったが、目の奥は笑っていなかった。指を滑らせ腰から何かを取り出す。その正体は握り込めて使う暗器の一種だった。
「《バースト》!!」
地面を蹴り上げながら、風属性魔法を使用したウォルムは一挙に加速する。アヤネの腕を掴み、姿勢を入れ替える。
甲高い音が治療室に響く。暗器がウォルムの鉄甲により弾かれる。アヤネを背後に庇ったウォルムは腰のロングソードを引き抜き、そのまま下段から斬りかかるが、男は上半身を器用に逸らし、そのまま飛び退いた。
「暗殺者だッ!!」
護衛のモーリッツが叫んだ。暗殺者は暗器と逆に腕を突き出す。瞬間的に魔力が高まるのを感じ取り、ウォルムは身構えた。
「《リリース》」
手の中から発射された棒状の飛び道具が、圧縮空気により飛び出す。狙いは後ろのアヤネである事を視線で悟ったウォルムはロングソードで叩き斬った。
再度腰に手を伸ばそうとする暗殺者だが、ウォルムは飛び込み、ロングソードで肩を貫き、壁に貼りつけにする。それでも空いた片手で暗器をウォルムに突き刺そうとするが、傷口に火を流すと絶叫を上げて硬直する。そのままウォルムは喉と腕を押さえ込む。
「縛り上げろ。舌を噛ませるな、猿轡をさせろ」
一足遅れてモーリッツと護衛の兵が殺到した。拘束される暗殺者だが、目を見開き、猿轡越しに絶叫を上げ動かなくなった。
「自決したのか」
目を見開いたまま動かない暗殺者にウォルムは息を飲む。モーリッツは口内をこじ開けると手で煽ぎ匂いを嗅ぎ始める。
「あー、火毒を主体とした毒ですな。奥歯に仕込んだのでしょう。猛毒の火蠍火と火毒草を混ぜた劇薬です。昔毒味の時にコレに当たりましたが、刺激的な味わいに相応しく一週間臓腑の痛みに苦しみました」
毒に耐性のあるモーリッツが恍惚とも取れる表情で言った。
「これを食して無事だったのか」
スキルは戦闘外でも世の理を捻じ曲げている。ウォルムは絶対に口にしたくなかった。
「回復魔法持ちや強い火属性持ちなら耐えられますよ。おっと、暗器にも塗られておりますな」
高所からわざと滑落し治療所に入り込む、暗殺者の豪胆さと覚悟の深さに背筋に寒いものを感じてしまう。視線を後ろに向けるとアヤネは部屋の隅で固まり、マイアが壁になる形で立っていた。
「二人とも無事か?」
ウォルムの問いに、アヤネは小さく頷いた。
「どうして、私を……」
「奪還が出来ないと踏んだリベリトアかフェリウス辺りが仕掛けてきたんだろう」
クレイストの線も拭えないが、ウォルムがわざわざ口を滑らせる必要は無い。
「嘘で、すよね? 私は、み、味方なのに」
「癒える筈の無い者を癒し、死の淵に立っていた者達を引き戻す。軍事上の脅威そのものです。大変失礼な物言いですが、もしその者達が戦場で敵兵を殺めれば、間接的に人を殺しているのとそう変わりはありません。排除を狙うのは当然かと。まあ、兵糧を生み出す農民、軍馬を育てる牧場、言い出したらキリはありませんがね。戦争です。誰もが無関係では居られませんよ」
モーリッツの自説に、アヤネは座り込んでしまった。
「そんな事って……」
脅威という観点だけ見れば、かつてのウォルムが危険を冒してでも殺すべきだと判断した魅力的な相手だ。
「今日の治療は中止しよう。安全が確保出来ない。2人とも動揺している」
能力の高さ故に周囲に振り回される少女を見て、同情心を抱きそうになるウォルムであったが、それだけは抱いてはいけない。曲げてはいけない。兵士と捕虜の関係を逸脱する訳にはいかない。仲間から引き剥がし、死が徘徊する異国の戦場に連れ去ったのはウォルム自身であり、今更少女を慰め偽善者ぶる事など、人間としても到底許されなかった。




