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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第三章

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第四十話 オルゼリカ坂の戦い

 両端に鬱蒼とした不整地が広がる下り坂、その突き当たりの底から人が奏でるさざめきが迫りつつあった。切り通しに集う兵は高まる不安を諦観で薄め待ち受ける。


「どうにも騒がしくなってきた」


 望まれぬ来訪者にウォルムが愚痴を零せば、中隊の中核である夫婦も同調した。


「とうとう、来たね。気配を殺すのが下手な連中だよ」


「隠す気もないのだろうね」


 いよいよ始まる衝突を前に帝国騎士は最終確認を取る。


「火属性魔法の投射を出し惜しんで、本当にいいのか」


「魔物と違って初っ端から総攻撃に出るほど奴らも馬鹿じゃないさ」


「弱点部を探る威力偵察、か」


 魔物の群れであれば、後続が尽きるまで狩り尽せばいい。だが、相手は知恵のある人間だ。半端な攻撃は対策を招く。適切な時間、場所でこそ火力は最大限の効果を生む。向こうから来てくれるのだ。ウォルムはその時をただ待てばいい。


「最初から本腰だったら躊躇いもなく吹き飛ばしてくれ。僕らの合図を待つ必要はない」


「ああ、承知した。俺も配置に就く。お互い最善を尽くそう」


 承諾した持ち主に反して、とんだ茶番だと腰に吊り下げられた鬼の面が震えた。早期に手札を晒す必要はない。持ち場である左翼の兵卒に混じりウォルムは眼下を睨む。攻勢を告げる押し太鼓がオルゼリカ坂に響く。懐かしくも忌まわしい緊張が背筋に走る。高鳴る心臓を呼吸を細めて抑える。間もなく曲がり角の先から黒い粒のような人影が次々と姿を見せ、瞬く間に軍勢と化す。


「土塁に登る敵兵を突き落とせばいい。欲張るな!!」


 教導長の補助役と小隊長を兼ねるモーイズが声を張り上げ麾下の兵に訓示する。相手が人間故か、部下を纏める立場か、やはりその声は固い。先鋒を務めるクレイスト王国軍民兵団は竹束や雑多な遮蔽物を正面に携えゆっくりと坂を進む。木陰で日光が遮られた陰鬱な土壌は、早足で迫れば将棋倒しを起こしかねない。魔領での生存競争を勝ち抜いた奴らはそれを理解している。間違いなく戦場で洗礼を済ませた類い。


「乱れなしか」


 その練度は踏み揃えられる歩調と乱れぬ戦列が物語っていた。指揮官や士官を務めるクレイスト王国軍正規兵が怒鳴り声で統率しているのであれば幾分か楽もできたが、それは望めそうにない。焦れる新兵共は今か今かと命令を待ち詫びる。帝国騎士は坂の途中に鎮座する岩を注視していた。先頭が通過し、隊の半ばまでが差し掛かる。雷鳴のような号令が響いた。


「放てぇっええ!!」


 教導長の掛け声と同時に張り詰めていた弦が弾ける。多くは兵が構える遮蔽物に遮られたが、幾つかはすり抜けその戦果を悲鳴で報告する。弓手に遅れてスリングを回転させていた投擲手が風切り音を伴い小石を飛ばす。高所と言う力を衝撃と破壊力に変えた小石は鈍い破断音を響かせ、隊列に食い込んだ。幾つかの防壁が傷付き、運に見放された者が卒倒する。


「各自、自由に放て、両脇との接触に気を付けろ!!」


 ヨーギムの命を受け、矢と石が次々と坂目掛けて繰り出される。見た目こそ壮大、幾つかの戦果も肉眼で確認できた。だが、戦列の速度は緩まない。粛々と隙間の空いた前列に兵が加わり、切り通しを塞ぐ土塁を目指す。事前に決められた有効射程に従い、魔導兵が火力の投射を始めた。隊列が見えない巨人の手で握られたように潰れ、土塁からは歓声が漏れる。だが、見た目ほどの影響はない。崩れた穴は直ぐに塞がる。


「喜ぶな、礼が来るぞ!!」


 軽装歩兵、魔導兵としての経験が警鐘を鳴らす。ウォルムが喚起した直後、敵の隊列中央部が淡く光った。それは魔導兵が魔法を投射する前兆であり警告、衝撃と共に火炎と土埃が舞う。胸壁代わりに積まれた土が崩れた。


「あ、っがっあーっ!? ァあ゛っあっ」


 顔を焼かれた兵が絶叫と共にのた打ち回る。


「落ち着け暴れるな、死にはしない」


 腰を落としたウォルムは、聞き分けのない小児のように暴れる負傷兵を膝で押さえつけ、傷の具合を確かめた。頬を中心とした顔の半面、火傷の範囲こそ広いが感覚器は健在であった。多少醜面にはなるが致命傷ではない。


「エヴラーク、奥の土壇まで連れていけ」


 切り通しと平場の奥、兵員と物資を収容する土壇状の曲輪には、治療魔術師が控えている。馬踏の二列目に控えていたエヴラークに移送を命じるが、望む返答は返って来なかった。時間が惜しいとウォルムは手を伸ばす。


「え、あっ」


 固まった兵の胸倉を掴んだウォルムは兜をこすり付けて命じた。 


「呆けるな。直にありふれた光景になる。慣れろ、いいな」


「しょ、承知しました!!」


「連れていけ。目蓋は焼かれてるが、目は無事だと治療魔術師に告げろ」


 ここにアヤネがいれば即時戦線復帰も可能であったが、セレベス六口全体への攻勢は防御側の兵を分散させると同時に、野戦治療所の設置を六口の中間地点へと追い込んだ。余程の重傷でなければオルゼリカ坂に配置された治療魔術師が担当する。最優秀とは言い難い。傷跡も残るだろうが、翌日には戦列に兵を加えさせてくれる。


 負傷兵の肩を掴み土塁の内法を下るエヴラークを見送り意識を再び正面へと正す。魔導兵に加え、敵の弓手も応射に移っている。高低差を踏まえて無駄な矢を防ぐためだろう。地形差で有利の土塁であったが、先程までの楽観的な空気は吹き飛んでいた。土弾(アースバレット)の直撃を受けた者は馬踏から平場まで吹き飛ぶ。またある者は肩に食い込んだ矢を抜こうと半べそで掴む。呆れ半分でウォルムは言った。


「腸繰の鏃が一人で抜けるか、火鋏で抜いて来い。血が溢れるから傷口に布を突っ込め」


「あ、ぁ、はァい、はいっ」


「腹に刺さらなくて運が良かったぞ」


「は……ぁはは、そう、ですね」


 帝国騎士は彼の幸運を笑みで讃えるが、新兵の顔はより引き攣ったまま。わたわたと火鋏を求めて平場に降りていく。返しが付いた鏃は一人では抜けない。一度腹に刺さればハラワタ――腸を引き摺り出す。故に腹操り。戦乱を平時とする北部諸国で、戦争という御家芸はハイセルク帝国のものだけではない。


「衛生兵でもあるまいし、何をやってるんだか、な」


 生傷絶えないハイセルク兵であれば応急手当はお手の物、要らぬ手間であった。そんな治療魔術師の真似事も現場教育の一環と帝国騎士は割り切った。魔法もスキルもなければこんな役回りだったのかもしれない。有りもしないIFを頭から追いやった。出鼻こそ挫かれた兵共も、魔法と投射物が飛び交う環境に少しずつでも慣れてゆく。負傷者は減りつつ攻め手の迎撃に勤しむ。


「土属性魔法だ、あそこを狙え。足場を作らせるな!!」


 モーイズは攻勢の足掛かりとなる箇所を鋭敏に見つけ出し、弓手へと命じた。新米の小隊長として此処までは及第点であった。ウォルムは不足を補うように危うい新兵の背を叩く。


「必要以上に覗き込むな、真下から突き上げと正面からの投擲物を食らうぞ、頭を潰されたいか!?」


 兵列の後ろを歩きながら、ウォルムは全体へと呼び掛ける。盾を掲げた敵勢の多くは土塁の縁にまで達した。兵達は赤子ほどの小岩を抱え落とし、来客用の煮え粥を振る舞う。雑多な植物と屑麦は澱粉質の粘り気を持ち、衣服や防具にもよく浸透していく。魔力膜を張り巡らせぬ者や火属性持ちを除き、歓喜の声を漏らした。


「登り切った奴を確実に殺せ。ただ、それを繰り返せ」


 帝国騎士の念押しに返事をする者は居なかったが、縋るように命令は聞いていた。切り通しに張り付いた敵勢の土属性魔法持ちによって、土塁の傾斜は更になだらかになり、取っ掛かりが作られていく。加えて幾つかの梯子まで掛けられていた。


「来た、来たぞっ」


「俺達が一番槍だぁァっ!!」


 土塁の外法と槍を潜り抜けた兵士が果敢に名乗りを上げた。一番槍の組には褒賞が付き物だ。褒美を横取りにされてたまるかと叫び意気込む。一瞬反応が遅れたガストンが槍を慌てて叩き付けるが、手練れの民兵は振り下ろされた短槍を盾で容易く弾いた。


「ぅ、なぁっ!?」


 妨害を搔い潜った敵兵が狼狽えるガストンへと斬り掛かろうとする刹那、人の合間を縫った斧槍が脇腹へと突き刺さる。


「ぁ、ぐ、ゥあ゛ッァ!?」


 手首で捻りを加え民兵の体内をかき混ぜたウォルムは、柄を脇に挟み込むと体重を乗せて突き返す。四十五度に達する斜面は人と言う障害物を効率よく滑落させる。巻き添えとなった後続が悲鳴とも怒声とも分からぬ声で、坂へと転がり落ちていく。


「中途半端な打ち方はするな。腰で突くか最上段から叩け」


 ガストンへの手解きもそこそこにウォルムはほかの新兵共の粗相の穴埋めへと走る。魔法に頼れないもどかしさ。それでもまだ手札を切る訳にはいかない。たかだか帝国騎士一人で戦争に勝てるほど、敵は甘くないのだから。


「倒れた者の代わりをしろ、敵に付け入る隙を与えるな!!」


 新米小隊長の掛け声に後方へ負傷者を移送したエヴラークが飛び込む。視線を他の者へと滑らせようとした時だった。呼び掛けを続けるモーイズを狙った敵兵二人が斜面を駆け上がる。


「モーイズっ!!」


 敵兵が掲げた盾の下から剣先が伸びる。対するモーイズは手にする槍を小さく二突きした。鋭鋒のような二つの切先を押し退け、槍先が防具越しに胴部を叩く。敵兵の姿は土塁から消え失せ、二つの罵声が二重奏のように土塁の麓から響いた。要らぬ心配であったとウォルムは唸る。あの夫婦の危惧は見当違いで、過保護だけが事実だったのかもしれない。


「守護長、無事、です」


「は、見れば分かる」


 そんな攻防が半刻程続き、前触れもなく退き太鼓が響いた。攻め入っていたクレイスト王国軍は引き潮のように後退していく。残されたのは斜面に転がる新鮮な亡骸のみ。


「そこまで、追撃をやめな!! 軽傷者は傷を洗って布で覆うんだよ。サボると傷口が腐るから覚悟しときな。そこのあんたらはヨーギムと降りて矢の回収だ」


 矢継ぎ早に響く声、教導長の生存を確認したウォルムは、溜めていた息を吐く。無事に弾き返した。初日としては上出来、そんな一先ずの安堵も土塁で横たわる死体を見るまでであった。負傷者こそ多いが死者は少ない。それでも片手では溢れる程度には屍が積み上がった。ある新兵は動かぬ戦友を揺する。ただただ虚空を見つめる目、何も語らぬ口は雄弁に物事を伝えた。


「おい、馬鹿、なんで死んでんだよ!!」


 泣き喚き治療魔術師を呼ばぬだけ死を受け入れているか。そんな軍人としての精神が、彼の順応性を高く評価してしまいウォルムは唇を噛んだ。数字としては小さいとは言え、言葉を、確かに言葉を交わした奴らが死んだのだ。真っ先に浮かぶことが、それなのか。また一歩、矮小な人間性が戦場という汚泥で希釈されていく気がした。


「……傾くな、傾くなよ。心を偏らせるな。己を保て」


 戯言のように自分に強く言い聞かせた。得体の知れない薄ら寒さに身震いを起こした帝国騎士は、蒸れたサーベリアを脱ぎ頭皮を掻く。


 全力を尽くせば死者を防げただろうか、彼らは死なずに済んだのか。そこまで考え掛けて思考を中断した。無意味な逃避だ。囚われるな。早々に手札を晒せば、結果より多くの者が死ぬ。今するべきことは生きている者へのケア。そして死んだ者を記憶に焼き付けることだ。濁った眼とは言え現実から逸らす訳にはいかない。まだ戦争は始まったばかりなのだから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 毎度よろしき汗と血と土の混臭。 [気になる点] 表記揺れかと思いました。 〉「腸繰の鏃が一人で抜けるか、火鋏で抜いて来い。血が溢れるから傷口に布を突っ込め」 〉一度腹に刺さればハラ…
[一言] ある意味、この『雑兵に紛れられる』って言うのがウォルムの一番の外見的なメリットだよね。 そして、モーイズ君はやっぱり普通に強かったのねw しかし、やはり戦死者は出ちゃうんだよなぁ…ソレを…
[気になる点]  まぁ、新兵に経験積まさなきゃならんから矢面に立てないのは辛い。 [一言]  でも、矢面に立って蒼炎付けたらハッスルじいさん来て敵の圧力強くなっちゃうだろうし、儘ならないねー。
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