第三十七話
「ウォルム殿、良くぞご無事で!!」
「道中は厳しかったがなんとかな。ジュスタン、こっち来い。モーリッツだ」
「良く来てくれた。戦況はどうなっている」
「奇襲と先制により主導を握られ芳しくありませんな。クレイスト王国軍はゼレベス山地外郭線に到達、水上路を除き外部への連絡線は寸断されました」
壁を隔てて流れ込む会話の断片は、再び国同士の戦争が始まったことを明確に告げる。当事者の一人だと言うのにアヤネは現実感を得られなかった。まるでラジオから響く無関係の情報のように感じてしまう。
「寸前の差だったか」
「ええ、その通りです。フリウグ殿の中隊が後退するガラ岬を除き、ゼレベス六口は完全に封鎖されています」
「もう少し遅れていれば、封鎖網に絡め取られていたな」
薄氷を渡るように監視網をすり抜け、敵地を横断している間のアヤネは極度の緊張状態であった。支えながら付いて行くので精一杯、先のことを考える時間などない。それがセルタの地を踏み、文字通り一息を吐いたところで一変した。今のアヤネにとって暇は猛毒であった。思考の袋小路に陥り、底なし沼のように過去の記憶に囚われる。小さな選択、何気無い会話、過ぎてしまった時の中で覆りもしないのに何度も悔いた。
楽しかった思い出すら歪んで見える。いっそこれが夢ならどれほど良かっただろうか。鉱山街で親友に向けられた剥き出しの殺意、エスキシュ砦での凄惨な戦闘は紛れもない現実であり、心を蝕む痛みは本物であった。
「やっぱり現実だよね」
セルタの地に戻り、最悪な想像は確信へと変わった。既に全面戦争は避けられない。いや、既に戦端は至る所で開かれていた。何をすればいい、また人を癒すのか。そしてまた次の戦争でも。終わりが見えない。自然と視線は塞いだまま、前なんか見れる訳もなかった。
ほぞを噛み締めるアヤネに影が差し込める。顔を見上げれば日々を共にしたマイアが居た。腰を落とし膝を抱え込んだ彼女は、座り込んだままの治療魔術師と視線を合わせた。
「マコト様のことを悔いているのですか、それとも戦争が始まってしまったことを?」
「……どっちも」
絡み合った糸のように二つの凶事はアヤネの心、信念すら揺るがし根深く絡み付く。
「寝食を共にしたマコトの凶行、祖国の暴挙は受け入れ難かったです……正直に言えば、今も完全には呑み込めていません」
アヤネにとって、クレイスト王国は異世界に迷い込んで保護された地であり忘れ難い居場所であった。右も左も分からない異世界人であれば皆そうであろう。そこではたと気付く。クレイスト王国人であるマイアにとっては祖国への執着や価値は、自分達以上であろうと。
「あの……マイア、その」
愚かにも自分のことで精一杯になっていた。またマコトの時のように繰り返すのか。言葉に詰まるアヤネにマイアは優しく微笑む。そうして口調を変えて語り掛けた。
「安っぽく聞こえるかもしれない。でも私はあなたを妹のように想ってるの」
「……え、あ?」
突然の告白、固まったままの治療魔術師に口調を戻したマイアは語り続ける。
「昔話になりますが、私は戦争孤児で家族が居ません。教会の孤児院で育つうちに、魔法への適性を認められてクレイスト王国軍の治療魔術師補助となりました。それが生きるためだったからです」
混乱する頭、それでも一言も聞き逃すまいとアヤネは聞き入る。
「人を助けたい、役に立ちたいなんて崇高な意志は持ち合わせていませんでした。無色無味、言われるがまま生きている人生。アヤネの補助役を命じられた時も――だけど、あなたとクレイストやマイヤードで過ごす内に家族が居たら、妹が居たらこんな感じなんだろうかって。ふふ、妹は居たことないのにね……私にとってアヤネは一緒に生きていたい人です。何が正しいかなんて分かりません。それでも精一杯、迷って足掻いて生きていくしかない。だから頑張って生きていきましょう」
真っ直ぐ向けられる瞳はただただ温かい。身震いするような不安や孤独感が薄れていく。
「……うんっ」
短い返答だからこそ込められた意味と感情は雄弁に語る。唇を綻ばせたマイアは、開け放たれていた扉の先を見つめ言葉を漏らす。
「あそこで盗み見してた人も、ですよね?」
思わぬ不意打ち。半開きの扉から慌てて離れようとするのは百戦錬磨の帝国騎士であった。普段の頼り甲斐のある姿とは掛け離れたわたわたとした動きに釣られ、アヤネは口角を緩める。
「ふふっ、そうだね」
まだ気分は重く明日への不安も恐怖も残る。それでも暗中を手探りで進む覚悟はできた。
「ウォルム、さん」
「……どうした?」
帝国騎士は平静を装っているが、普段よりも僅かに声色が高い。誤魔化す時の癖であろう。ウォルムと日々を共にした中での気付きであった。この人は痛々しい程に自分を偽り殺すのが上手い。アヤネはマイアにして貰ったように、瞳を覗き込んで宣言した。
「辛いことは沢山あります。それでも諦めるなんて嫌です。精一杯、この世界で生きていきましょう。私もまた、頑張って生きますからッ!!」
「そう、か そうだな……俺も、頑張って生き抜く」
ぎこちなく、それでもウォルムは笑ってくれた。アヤネは幾分か肩の荷が降りた気がした。
「前線治療所入りして、早く怪我した人を癒さないとね」
暫定国境地帯から逃れた兵、民には多くの負傷者が生じていた。未だガラ岬での退き口で傷付いている人も居る。軍港都市アンクシオの治療所へと運び込まれてくる間に、亡くなる人も出てくるだろう。アヤネは要請に従い前線の野戦治療所に着任する覚悟を固めていた。
「アヤネ様、マイア様、俺達は蚊帳の外ですか」
「実に、心外ですな」
「お前ら……離せ。やめろ、狭い扉に押し掛けるなッ」
亡者の如く恨み言を述べたのは、ジュスタンを初めとする護衛者や連絡員のモーリッツであった。帝国騎士をアヤネの視界から押し出そうと揉み合いとなっていた。
「ふふ……っぅ、本当に、誰も死んでほしくない、な」
悟られぬよう笑い声に混ぜてアヤネは本音を吐露した。望まぬ現実に押し潰されて諦めるのも折れるのは簡単だろう。時には屈し潰れるかもしれない。それでも人は生きている限りは抗い続けなければいけない。決意を胸にアヤネは再び前に進み始めた。隣人達の生を心の底から願って。




