第三十三話
「マイヤード派のレフン守備隊は土砂崩れで身動きが取れないんだろ。こんな所を守って何の意味があるんだ」
切り株にだらしなく腰を掛けた男が自らの存在意義を嘆いた。思慮深い訳ではない。兵士には事前に配備理由が通達されている。その内実はただのぼやきに過ぎない。
「少数の兵なら旧道や獣道を通れる。此処もその一つだからだ」
形式上は指揮下である兵の疑問に十人長であるイアサントが答えた。兵卒から十人長への抜擢は、戦闘経験や人員掌握が巧みであると素質を評価された訳ではない。ヤルクク領主により徴兵された民の中で頭の程度がましであったというだけ。故に経験の浅いイアサントは兵員から敬われておらず、十人隊には厳格な上下関係が構築されていなかった。
「それこそ馬鹿も通らねぇだろ。この先は関所だぜ。何かあれば領主様の兵が直ぐに駆けつけてくれる」
「まぁ、そうだな」
伝令の類にしてもわざわざ好んで関所を通る奴は居ない。前歯が抜けた間抜け面の考えも間違ってはいないだろう。問題は隊の役回りだ。セルタからの逃亡兵や単独の伝令ならば十人隊でも対処は容易だ。杞憂すべきは小隊規模以上の襲撃であった。イアサント達は良く言えば前哨、悪く言えば鉱山の小鳥そのもの。
戦闘という囀りで、後方への危険を知らせる役割。体力も装備もちぐはぐで、小道を塞ぐ馬防柵ですら急造品でみすぼらしい。本当に必要とされる者達は、イアサント十人隊が臨時検問を張る先の関所に詰めている。
「セルタ方面の配属なら役得もあるんだろうがよ」
槍を地面に転がし、手持無沙汰となった兵士は乾燥豆を奥歯でかみ砕く。一粒ずつ咀嚼する様子は宛ら鳥のようであった。尤も、可愛げのある小鳥ではなく怪鳥の類であったが。
「は、大口叩くなよ。徴兵されて慌てふためいてた癖に」
その姿と口調に歯抜けは仲間からも不評を買い横合いから失笑が飛ぶ。イアサントは擁護しなかった。
「んだとっ。領主様がクレイストに寝返るなんて誰も考えてもなかっただろうが」
「落ち目のマイヤードに付くよりマシだろ」
「セルタの連中は分配だなんだと、煩かったからな」
「ふん、領主様が溜め込むなら理解も出来るが、余所者の腹なんか知ったことか」
歯抜けが特別邪悪とも言えない。見知らぬ他人よりも、家族や隣人を優先するのは当たり前だろう。人は大なり小なりそうして生きている。イアサントも例に漏れない。領主もヤルクク領の繁栄を第一としたのだ。
「だが、寝返りだぞ」
「寝返りで生活が豊かになるんなら、幾らでも寝返ればいいさ」
「どうせ、マイヤードの弱兵が相手だ」
他の兵も歯抜けに同調する。十人長が危惧するのは腹が膨れぬ道義よりも、敵に回した存在であった。イアサントはその名を口にする。
「だが、ハイセルク兵も居るぞ」
一言で緩んでいた空気が重く変質する。フェリウス人にとって、ハイセルクという言葉は忌み嫌われていると同時に畏怖の対象であった。北部諸国の大半を敵に回して戦い抜くなど正気ではない。理性が残っていれば、同盟軍が結成された時点で妥協を選び国家の存続を優先させるものなのだ。それなのに奴らは己が武力だけに頼り解決した。イアサントにとっては理解し難い連中だった。
「ハイセルクの奴らはセルタ方面所属だろう」
「ま、クレイスト王国軍が対峙してくれるさ」
「ひひ、イアサント十人長様は心配性だな」
図星を隠すかのように歯抜けは普段呼びもしない十人長と宣う。露骨な当て付けに流石のイアサントも黙っては居られなかった。
「おい、付け上がるなよ。奥歯も揃って無くしてやろうか」
「お、おい。怒んなってっ――!?」
歯抜けが驚愕に目を瞠る。こいつは根は小心者だが同時に見栄っ張り。イアサントが詰めただけで此処まで驚くものか――幸か不幸か疑問の答えは直ぐに訪れた。布を裂くような風切りが響く。屯ろっていた二人の兵士の首と胴部が唐突に泣き別れた。
「っぅ!?」
イアサントは目を疑うが紛れもない現実。鮮血滴る惨劇の中心で、鬼の面を被った化け物が槍を携え身を捻る。ただの槍ではない。側面に斧頭と鉤爪を有した斧槍だった。重厚な穂先を小枝のように振り回すそいつは、麦刈りでもするように魔力を揺らめかせ斧槍を振り上げた。
「ひゅ、げぇっ」
斜めに構えられた短槍を腕ごと切り落とした斧頭は、また一人の兵士の下腹部から顎先までを両断する。粗悪とは言え防具越しの致命傷、理を斬り伏せる《強撃》が成す技であった。
「うわぁあああっ!!」
迫る死に、地面へと転がしていた槍に手を伸ばす歯抜けだったが、あまりに緩慢だった。無造作に突き出された鉤爪状の側刃が喉元を毟る。何だこいつは、冗談じゃない。イアサントは声も上げずに、腰骨で構えた短槍を突き出す。
視線を逸らさず、身体ごと当てるように槍を食い込ませる。邪念を捨て教練に縋るイアサントであったが、化け物はそれを見越していたように反転した。まるで手間が省けたと言わんばかり。
「う、っぉ゛――」
槍が魔法のように掻き消えた。最短での刺突――直感が死を告げる。咄嗟に死の恐怖を雄叫びで弛緩させようとしたが、側頭部に走る衝撃がそれさえ許してくれない。大地へと倒れ込み撹拌される視界の中でイアサントは見た。
鬼の面を被った兵士以外に敵は二人居たのだ。既に十人隊で息があるのは、皮肉にも横槍で側頭部を強打されたイアサントだけであった。それも何時まで続くか。靴底で踏みつけられた身体は地面に縛られ頸には鋭利な刃が張り付く。確信があった。僅かにでも動いたら殺される。
「おい、ウォルム。全部殺す気か」
「……悪い。つい反射的に殺しそうになった」
「はぁ、これだからハイセルク人は」
殺し合いをした直後、それも新鮮な死体が周囲を彩っているというのに襲撃者達は何事もなく会話を続ける。道端で些細な雑談に興じるように。先に逝った歯抜けどもを恨んだ。何がハイセルク兵は居ないだ。とびきり厄介な《鬼火》使いが眼前に居るじゃないか。生殺与奪を握られたイアサントに、内心で嘆く以外の選択肢は残されていない。
イアサント十人隊という鉱山の小鳥は囀らず沈黙のまま死んでいく。その危険を友軍に知らせることは永遠になかった。
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