第三十話
か細い呼吸は不規則に乱れ、瞳に映る世界はまるで湾曲したように歪む。駄々を捏ねる足は、些細な段差ですら天険の地のように歩行を拒んだ。満身創痍という言葉すら控えめ、マコトの外見は酷い有様であった。《重爆》の暴発により左腕は破裂。肘から先は彼方へと吹き飛び、残る部位も肩口付近まで喪失した。不完全な魔力膜だけでは余波を受けとめられず、火傷と裂傷が全身を蝕む。
「よく、みてよ。僕、だよ」
亡者のような足取りで歩んでいたマコトは、気怠げに暗闇へと呼び掛けた。薄暗闇に紛れていた影が姿を現す。
「驚きました。あの爆発で生きておられるとは」
襲撃に参加していたリハーゼン騎士団の一人であった。再会を喜ぶ間柄でもないが、その態度は実に事務的。腕が捥げ全身が爛れた少女が居るというのに、励ましの言葉一つすらない。つくづくリハーゼン騎士団らしい。
「泥が、緩衝材になった。泥中に紛れてた死体も、まあ、良い囮になった、ね」
「集合地点に待機していた補助要員の中に治療魔術師がいます。暫しお待ちを」
騎士は再び暗闇に消えた。座り込んだマコトは鈍痛に耐え兼ねて隻腕を伸ばす。脇腹を探れば鋭利な白片が突き刺さっていた。
「あの放火魔、僕を、傷物にしてっ、くれ、たな」
何処の箇所かも分からないが破裂した骨の一部。出血過多で視界が狭まり左右に揺らぐ。意識を手放しかけたマコトだったが、頬を叩かれ目を瞠った。
「痛った、いなぁ」
重くなった目蓋、半目で下手人を睨めば悪びれた様子もなく、リハーゼンの騎士は宣う。
「意識を飛ばさないでください。魔力膜が途切れたら出血と痛みで死にます。傷口を塞ぐまで会話を」
「この、状況でお、喋り?」
火遊びが好きな帝国の騎士も、感情が欠落する王国の騎士も、どいつもこいつも頭のねじが緩んでいる。文明や文化よりもまずドライバーやスパナが必要だと、マコトは逃避を始めた。
「肩の先はどうしましたか」
「肘から先は、千切れてダメ、だった。肩の手前までは、魔法に耐え切れず、弾け飛んだ」
所詮は付け焼き刃。その代償が暴発であった。閃光で目が眩んだ《鬼火》使いから逃れる布石にもなったが、片腕を餌に敗走する羽目になるとは、尾や腕部を自切する生き物と変わらないとマコトは自嘲した。
「木っ端微塵ですか。そうなると結合は不可能ですね」
随伴する治療魔術師に指示を与えたリハーゼンの騎士は、話題を変えた。
「深入りはするな、とグラン団長からの厳命を守って貰わねば困ります」
「わかっ、てる。僕が、欲張った。でもさ、君らが言う?」
「それに関しては、耳が痛いですね」
口にした言葉とは裏腹に、リハーゼンの騎士は憎らしいほど平然としていた。忌々しい歴代の騎士団長達の薫陶の結果、この騎士団は自他共に命の価値が薄い。戦友が死んだとしてもそれは騎士団、国家の戦力が損なわれたという認識。この騎士はまだマシな分類、ヨハナや一部の例外を除けば、人を個体ではなく数字で見ている。事実、補助要員を除けば、襲撃に参加した兵員の残存数は片手で数えられる程度。損失を嘆きはすれど、個人を悼んではいない。
「グラン、煩そう」
「グラン様です。マコト様。尤も、今回の作戦の目標の一つであるレフン鉱山と山城の閉塞は達成されています」
「撃ちっぱなし、でさっさ、と逃げれっば、良かった。なんだよ、あいつ。前、よりヤバいじゃん」
「ええ、我らも欲張ったものです」
共感性が著しく低いリハーゼンの騎士も、《鬼火》の余波で全滅しかけたのは余程堪えたらしい。珍しく感情が一致した。
「はぁ、ぁ、っ、本番はこれからでしょ。前哨戦で死んだら、世話がないよ、ね」
◆
その価値故にレフン鉱山一帯は常に争いが絶えず、同鉱山の統治を盤石とするため、山城が普請されていた。有事の際には策源地としての機能も果たす城内には、鉱山街やその下流で土石流を受けた民が次々と運び込まれる。
あの戦闘から二日が経つが、治療魔術師組は救命に奔走、護衛を取り仕切るジュスタンも現地守備隊及びセルタ領との協議に勤しむ。多くの戦場を経験してきたウォルムであったが、普段以上に心身の損耗が激しい。それはアヤネの幼馴染であり、同郷であるマコトを焼いたからだろうか。ジュスタンから与えられた小休止に紫炎を燻らせ、吸殻を重ねるが結論が出ない。
「これまで数えられない人間を殺した身だぞ。何を今更、それが一人増えただけ」
人気のない城壁の片隅で苦々しい白煙を吸い込み、自問自答するが腑に落ちることはない。
「正当防衛、正当な殺人……か。は、詭弁だな。何であれ殺したことには違いない」
何より問題なのは、多忙を理由に事実をアヤネに伝えられていないことだ。
「いつかは、話さないといけない」
遅いか、早いかの違い。理屈では分かり切っていたが、感情を切り離すというのは、幾つ歳を重ねても慣れはしない。思考を妨げるように、かつかつと歩哨が城壁通路を巡回する足音が響く。
釣られて見上げれば、城壁の角で切り取られた小さな空が映る。雲一つない青空。ため息混じりに白煙を噴き出し、無垢なる空を汚す。逃避もいい加減限界だろう。観念を始めたウォルムであったが、不意に訪れた喧騒と共に人の流れが変わったことに気付く。
「今度は何が起きた」
城内側で兵が走り回り、情報の伝達が口早に繰り返される。ただ事ではないのは確かであったが、戦闘音も血の臭いも無し。流血に敏感な鬼の面が黙り込んだままであることも踏まえれば、奇襲の類でないことは確かであった。靴底で煙草を踏み消しウォルムは小走りする。そうして持ち場である治療場に駆け付け、併設された客室で見知った顔を探す。一塊で論争を交わす者達の中にハイセルク出身者の護衛者が混じっていた。
「ダグラス、何があった?」
苦虫を潰したかのような面、碌な事ではないと向き合った瞬間に分かった。
「……ヤルククで、旧フェリウス王国軍を名乗る勢力が武装蜂起しました」
ウォルムは記憶を探る。レフンとセルタの中間に位置する小規模な街であった。旧フェリウス王国に分類される地域とは言え、今ではマイヤードに組み込まれ蜂起したところで孤立無援。短期間の制圧が関の山であった。問題は、レフン鉱山襲撃に呼応した蜂起なのが誰の目にも明らかな点だ。裏で糸を引くのはクレイスト王国に違いない。
「急報ォ、急報だァ!!」
入室と共に急報を叫ぶのは、通信魔道具が備えられていた通信所に連日詰めていたジュスタンであった。
「ヤルクク蜂起なら既に――」
嘆かわしいことに、情報伝達が上手くいっていない。ウォルムは既にヤルククでの蜂起は伝わっていると述べようとしたが、ジュスタンは言葉を被せて否定した。
「違う、そうじゃない。バルボアード、ラナイスフィアでも反乱が起きた」
「まさか、クレイストとの暫定国境線付近!?」
ヤルククよりも更に厄介な知らせであった。隣国との国境戦での反乱は他国の介入を生む。故に迅速に、徹底的に鎮圧しなくてはならない。
「レフンは主道が塞がれてる。セルタ領軍だけで対処できるのか」
一帯を睨む山城も鉱山ごと陸の孤島と化している。持続力こそないものの、各種属性魔法は瞬間的には重機に匹敵する作業能力を発揮する。月単位で見れば問題も解決するが現状、レフン地域の守備隊である二個大隊は腐っていた。
「常備だけでも可能だろうが、守りが薄くなり過ぎる」
ジュスタンの懸念は尤もであった。セルタは多くの兵員を有すとは言え、常備の隊ばかりではない。即応可能な兵力は限られている。
「セルタに駐留するハイセルク帝国軍も派兵されるでしょう。全て合わせれば大隊規模にはなる筈です」
帝国兵と繫がりが深いダグラスが戦力の一つを上げた。同盟国の繋がりの象徴として派遣された部隊だ。戦力のやり繰りに四苦八苦する帝国軍の中でも、優良と称される部類であった。それに現地での憎まれ役に関してはハイセルク帝国兵ほど適任もいない。飴と鞭の役目も果たすだろう、とウォルムは渋面となった。論議を重ねる面々であったが、張り裂けんばかりの呼び声に中断を余儀なくされる。
「ジュスタン殿はどちらに!?」
「此処だ」
間髪容れずに、ジュスタンが答えた。意中の男を見つけた伝令兵は、息を切らしながらも報告を始めようとする。
「続報だな。一つ、二つ呼吸を整えてから話せ」
呼吸で胸が膨らむのが見て取れる。十分な酸素を取り込んだ伝令兵は、堰が切れたように捲し立てる。
「セルタの司令部よりアヤネ様、及び護衛隊は即時の帰還を果たせとの厳命です」
「分かった。直ちに撤収に入る。それで――まだ何かあるな?」
鎮圧が始まる前に、治療魔術師を前線近くに配置するのは定石。呼び戻されるのは妥当であった。ウォルムは続く言葉を待つ。
「は、はい、クレイスト王国並びリベリトア商業連邦が……マイヤード公国に宣戦を布告しました。戦争が、戦争が始まりますっ」
困惑、動揺、怒りと表情が移り変わったジュスタンは、仔細を伝令に問い詰める。他の兵からも矢継ぎ早に質問が投げかけられた。狂乱とも呼ぶべき状況。そんな輪から逸れたウォルムは独り言を繰り返す。
「……あれだけ殺して、殺されたのに」
燻り続ける火種、不穏な情勢、水面下での衝突。何れ、何処かで大規模な衝突が起きる。軍人としての経験が警鐘を鳴らしていた。それでも各国が魔領の削り取りと復興で軍事資源を費やし、緩やかな緊張状態が続けばいい。ウォルムはそう願っていた。だが、拒むように告げられたのは宣戦布告。
「結局、何も学ばなかったのか。そんなに、北部諸国の覇権は魅力的かよ……残るのは瓦礫と屍だけなんだぞ」
無数の亡骸の上に立てられる覇権国という玉座。人々の安寧は崩れ去り、平和という二年の準備期間を経て、北部諸国を二分する戦争が再び始まった。
『濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記Ⅱ』
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