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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第三章

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第二十八話

 神をも恐れぬ荒くれ者ですら、思わず何かに祈り縋りたくなる悍ましき濁流。巨人の手で掴まれたように教会堂そのものが揺れ動く。鮮やかなステンドグラスが絶叫を奏でて砕け散り、漂流物が宛ら破城槌と化して外壁を叩く。そんな危機的状況に陥りながらも、ウォルムは恵まれていた。有事に備えられた教会堂と異なり、木製建築ばかりの家屋は為す術もなく住民ごと山津波に嚙み砕かれていた。


 支柱どころか基礎ごと掘り返され住民の足跡すら許されない。瓦礫が汚泥と混ざり合い一帯を覆う。破滅を齎す喧騒を経て静寂が場を支配する。疎ましいはずの雑踏を今やウォルムは切望していた。だが、覆ることはない。人の営みは絶え、街は死んでいた。


「っ、ぅ」


 有事には慣れ切っていたつもりであった。それでも眼下に広がる光景に言葉が詰まる。敵兵や魔物であれば話は簡単だ。殺せばいい。だが、街を襲ったのは土石流という災害。人為的に引き起こされたのであれば質量攻撃に分類されるだろうが、どう対処すればよかったのか。呆ける面々に混じり思考を停止させる訳にはいかない。握り締めた拳の中で爪を立て、ウォルムは正気を保つ。


「ジュスタン、今後の行動を決めよう」


 震えそうになる声を取り繕ったウォルムは元近衛兵の肩を揺する。合理性という狂気、事態を呑み込んだ帝国騎士に理解し難いとばかりにジュスタンは目を瞠る。


「お前は、いや、その通りだな……教会堂は放棄する」


 当初示した作戦の前提が覆っても無理はない。土石流により半壊した教会堂は堅牢とは言い難く、砦としての価値は喪失したに等しい。籠城に固執すれば却って危機を招く。


「伏兵は――いや、この有様か」


「そうだ。もう伏兵の心配はない。街そのものが無いからな。だが、全員は連れて行けない」


 葛藤に満ちた声。ジュスタンが言わんとすることをウォルムは察した。兵とアヤネだけであれば足は鈍るが移動は可能だ。問題はそうなったときに自力で動けぬ負傷者達をどうするか。


「どちらにしろ山城への救援の要請は必要だ」


「……痛手だが、希望者を募り兵を残す。居なければ俺が残ろう」


「指揮官が離れてどうする。酷だが他の者を残すべきだ」


 餅は餅屋、戦時昇級も指揮系統の継承もウォルムは二度と御免であった。所詮は殺しが上手いだけの徴兵組。士官には職業軍人としての責務を果たして貰わねば困る。


「俺が、残りますよ。あんたらは護衛に必要だ」


 名乗り出たのはハイセルク帝国軍出身の護衛者だった。膝下まで泥に塗れていたが外傷はなく顔付きにも強い意志が宿る。自暴自棄で名乗り出た訳ではない。


「すまない、ダグラス。騎兵組からも一人選抜して――おい? 聞いてるのか?」


 顔を突き合わせて移動の段取りに興じるウォルムであったが、あろうことか余所見をしてしまった。放心を咎めるジュスタンの声も耳に入らない。何せ、余所見をせざるを得なかった。大通りであった一角、暗闇に光が灯る。それは投射炎であった。全身に寒気が走る。正円状に迫る火球。ウォルムは真正面から火球が迫ると正円状に見えることを経験則で知っていた。鉱夫の止血に汗を流すアヤネに腕を伸ばす。


「伏せろぉッ!!」


 呼び掛けへの反応の差異が命運を分けた。実戦経験で培われた危機回避能力が兵士を動かす。一方の攻撃魔法に晒されたこともない鉱夫達は戸惑いの表情を浮かべたまま。


 そんな彼らを目に焼き付け、アヤネとマイアを胸板へと押し付け覆い被る。直後、衝撃が走った。鐘楼に火炎が踊り、紅蓮が鉱夫達を呑み込む。直撃を避けた騎兵の一人も立ち位置が悪かった。鐘ごと虚空へと投げ出され、共に金切り声を叫び地上へと滑落していく。つくづく護衛には向かない《スキル》であったが、火属性魔法の盾には唯一適する。用は済んだとウォルムは腕の中で身を縮める二人を押し出す。


「ぇ、あ、ウォルムさん? 何が――」


「階段を下れぇ!!」


 有無を言わさず口早に告げ、斧槍を外壁に突き立て鐘楼から飛び降りる。忍び寄っていた新手達は居座り猛攻を始めた。頭上からは灰色と淡紅色の破片が降り注ぐ。好き勝手に暴れ回った弊害。容易に火点を特定したウォルムは汚泥に沈む足を引き抜き、瓦礫を足場に進む。


「集中しろ、精神を平坦に保て」


 譫言のように繰り返す。どうしようもなく、新兵のように気持ちが浮つく。落ち着け、呼吸を自然体に努めろ、とウォルムは感情の自制に努める。それでも尚、癒えたはずの眼が波打つように疼き、鬼の面が嗤う。忘れられる筈が無い。あの魔法で代え難い眼と分隊を失ったのだ。幾ら装備を着せ替えたところで魔力までは誤魔化せない。仇敵にウォルムは吠え掛かる。


「奇襲で戦端を開くか、クレイストォぉ゛おお!!」


「やっぱ、バレてるよ」


 誤魔化すこともなく、戦場とは不釣り合いの少女の声が響く。クレイストの三英傑の一角、伊崎真琴であった。出会い頭に火球を撃ち込むウォルムだが、標的は汚泥の上を滑るように回避していく。水上、海上で水属性持ちが猛威を振るう一因。彼らだけが持つ特有の歩行術、或いは《水澄》と呼ばれるスキルであった。厄介な異界の魔道兵は群島諸国の海上魔術師並みの練度に加えて、小集団を粉砕する火力を持つ。風の刃と氷槍が動きを妨げ、帝国騎士の接近を阻む。


「おい、あそこにはアヤネが居るんだぞ!!」


「うん、知ってるよ」


 サラエボでの野戦治療所のように、異世界人の動きが乱れることを期待したウォルムだが、呆気なく裏切られた。言葉が通じている筈なのに話は通じない。ウォルムは眩暈を覚えた。何かを根本的に間違えている。


「何故だ!? 数少ない同郷だろうが!!」


「そりゃ、アヤネに死んで欲しいから」


 はにかむように笑う少女。だが、眼の奥は靴底に張り付く汚泥のように澱んでいた。何故、幼馴染の死を願う。疑問に頭が支配されそうになる中で、文字通りの横槍が迫る。斧頭で槍先を弾き、槍同士が絡まるような軌道で刺突する。胸元に滑り込んだ穂先を捻り抜く。会話で見落とすほど耄碌した覚えはなかった。


 続く二人目を《強撃》を以って薙ぎ払おうとしたウォルムであったが、瓦礫混じりの泥が鎌首を擡げて降り掛かる。瞬間的に《鬼火》を纏い、熱風を以ってその場を離れた。斬り掛かって来た偽装兵も《水澄》で泥濘の表面を滑り離脱していく。


「この汚泥で僕に随伴できる兵は少ないから、止めて欲しいなッ」


 一秒でも早く殺すべきだ。直感的にウォルムは悟った。教会堂も多少炙られるだろうが、泥や水属性持ちのマイアが居る。死にはしない。本格的に《鬼火》を発動しかけたウォルムだが、聞き慣れた少女の声により《鬼火》が詰まる。


「っ、ぅう、なんで、マコトっ!!」


 ウォルムですら魔力の痕跡を覚えていたのだ。異界に誘われた彼女達は長く行動を共にしていた。馴染み深い魔力を見落とす訳もなかった。制止を果たせなかったジュスタンを罵倒したいが、あちらも群がる厄を払うために忙しい。


「なんでって、本気で言ってる?」


 クレイスト王国が誇る魔導兵も行動を停止していた。視界の端でウォルムを捉えながらも、能面の如く無表情で崩落しかけた鐘楼跡を見つめる。


「ごめん、なんでか、分からない。分からない、よ」


 アヤネの力無い声。平静を保っていたマコトの顔が険しく歪む。


「……僕にとってアヤネは親友“だった”。それなのに異国で敵を助けてるから帰れない!? ふざけるな。僕らが反吐を吐いて殺し合った奴らと馴れ合って、平和の架け橋なんて、偽善に酔って。ああ、ユウトは手放しで喜ぶだろうね。アヤネはユウトにとってずーっと一番だった。人を殺し眠れない日々を共にしても、戦場で敵兵をバラバラにしても居ない奴の話ばかり。ふざけるな、ユウトは何時までも僕を二番手扱いだ!!」


 感情の決壊。呆れた理不尽な言い分。だからこそ、ウォルムにだからこそ分かる。凄惨な現実を前に、戦場で精神を摩耗し尽くしたのだ。人命が軽い世界の中で人を殺し続ければどうなるか、その答えが目の前にあった。人間性の変質、それも塑性的な変形。こうなっては永久にひずみが暗く心に残る。ウォルムは現実と折り合いを付けながら人間性を保ってきたつもりだ。そんな自身とマコトの差はなんだ。置かれた環境か、戦闘への適性か、重ねた年齢か、考える余裕も時間も残されていない。狂気に満ちた顔で少女は叫んだ。


「邪魔なんだよ。今更ァアああ!! 三人じゃ何があっても僕は選ばれない。この世界で痛い程分かったよ。邪魔者は殺した方がいい……裏切り者(マイヤード)と仲良く早く死んでよ、アヤネ」


 離別を告げる言葉。教会堂に投射されようとする攻撃魔法は脅しではない。悔恨など無意味だが、有無を言わさず殺すべきだった。言葉での和解は既に叶わない。


「別れは、済んだなッ!!」


保護者(ナイト)気取りが、邪魔するなぁあ!!!」


 ウォルムは《鬼火》を解き放つ。放たれた攻撃魔法と蒼炎が鬩ぎ合い混ざるように弾けた。衝撃と猛炎が地上に降り注ぐ。泥濘む大地が熱風に炙られ乾いていく。立ち込める蒸気、蒸発する水分は宛ら悲鳴のようであった。落ちかける陽に代わり蒼炎が地上を照らす。

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― 新着の感想 ―
[一言] わかっていたことでしたが 三角関系は悲しい結末になります。
[気になる点] そりゃこんだけ性格も顔もブスなら選ばれんわなw
[良い点] おもしろ! [気になる点] 奇襲で先端を開くいうけど、敵方の主戦力(異世界人)の動向とかハイセルク側は見張ってないのかな… 敵方の要人の行方とか戦略上かなり大事な話だし,行方知れずになって…
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