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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第三章

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第六話 兄と弟

 第二の生の大半を過ごした生家は、かつての原形を留めていなかった。僅かに残されたのは焼け朽ちた大梁、支柱の土台となった石材ぐらいなもの。靴底には住居の名残りである炭化した建築材がへばり付く。驚きはない。故郷を焼いたのは他でもないウォルム自身であり、覚悟は済ませていた。


 現状ウォルムを悩ます種は、長男ヘイズとの会話であった。墓標から場所を移し、向かい合う形で古ぼけた石材に腰を掛けている。兵役に就き二年以上の歳月が経つ。伝えたいことや聞きたいことは幾らでもある。そうだと言うのに、まるで喉に汚泥が詰まったかのように言葉が出ない。静寂が村を支配したままだ。これまでウォルムは幾つもの修羅場を経験してきたというのに、兄弟の再会で声を失うのは、情けない限りであった。唇が酷く乾く。呼吸を整え、唾を飲み込み漸く意を決したウォルムであったが、その行動は僅かに遅かった。


「なぁウォルム、覚えてるか。ルードの奴が掘り出した塊根を食べ過ぎて、腹を壊したのを」


 普段と変わらぬ日常生活を過ごす中、何かの拍子で昔話を思い出したとばかりに、ヘイズは語り掛けてくる。頭を探るまでもない。その出来事はウォルムの記憶の中に刻まれている。それに次兄の名を忘れるはずも無い。


「そんなことも、あったな。確かルードは食べ過ぎたのもあるが、隠れて塊根を生焼けのまま食べてたんだっけか」


 森での遊びは、食糧探しと直結することが多かった。僅かな蔦も見逃さずに、地面を掘り返す姿は猟犬顔負けだろう。尤も、猟犬と自称してもかつての兄弟は幼く、精々は子犬程度の代物だっただろうが。


「ふふ、そうだ。あいつ、酷い面して呻いてたよな。森中に情けない声が響き渡るもんだから、大人まで様子を見に来てた」


 兄弟を出し抜いての摘み食いの代償は高くつく。ルードは手負の獣を連想させる呻き声のみならず、その他諸々を草むらで漏らし続ける羽目となった。ウォルムは次兄の醜態に呆れながらも、駆け付けた大人達に促され、食糧探しが腹痛止めの薬草探しに変わる。とんだ後始末であった。兄に釣られ、ウォルムは口角を上げた。そうして浮かんだ思い出話を口にする。


「……ルードと言えば、隣村の悪ガキ達と小鬼を袋叩きにしたときも、貧乏くじを引かされてたな」


 つい数分前までの停滞が嘘のように、会話は滞り無く進んでいく。


「確かフーゴの奴らだな。ゴブリンの投げた糞がルードの顔面に直撃して怒り狂うのなんの」


「はは、それで追いかけたら、今度はあいつ糞で足を滑らせて全身が汚物塗れだった」


「何を食べたら、あんな悪臭になるんだかな」


 幼少期の思い出話を皮切りに、兄弟の交流は続く。その殆どがくだらない昔話。戦場では過去に思いを巡らせる余裕も無く、戦後となった今では思い出を共有する相手も消え、機会を永遠に失ったはずであった。それが今はこうして腹の底から笑えている。時間にして一時間か二時間か、一頻り話し込んだところで、会話は再び途切れた。話すことが無い訳ではない。互いに話さなければならないことを理解している故であった。口火は再びヘイズが開く。


「ウォルム、お前やフーゴの奴らが兵役に就いて、村は寂しい限りだった。次男以下が兵士になる慣例だったとは言え、送り出したことを後悔しない日はなかった。年長の俺が行くべきだった。本当にそう思ってる」


 断言できる。労いでも上辺だけの言葉ではない。ヘイズが持つ雰囲気は、思い出の中にある兄とは一線を画す。身に纏う空気や表情、その達観した目にウォルムは覚えがある。兵士として凄惨な戦場を経験した特有のものであった。一回りも増した体躯や体の節々に刻まれた傷は、繰り返された戦闘により、作られたに違いない。


 ヘイズから見たウォルムも同様であろう。お互いに察していたからこそ、此処まで村や家族がどうなったのか明言を避けていた。兵士として、兄弟として似た者同士と言える。重々しく閉ざした口を開いたヘイズは、語り始めた。


「……当時のハイセルクは連戦連勝。四か国同盟相手にサラエボ要塞で勝利を収め、帝都は戦勝ムードに湧いていた。とは言え農民の俺には縁遠い話だった。兵役経験者の年寄りが、ああでもないこうでもないと、地面を紙代わりに戦況を予想する程度だ。こんな田舎から見通せるはずもないのにな」


 ヘイズの声は一際低くなっていく。


「あの日。そう、あの日だ。俺は収穫した農作物を村の若い衆と街に運んでいる最中、魔物の群れに襲われた。当時は国中が大混乱だったんだろうな。村には事前に碌な情報が入って来なかったんだ」


 多くのハイセルク人にとってあの日とは国の、故郷の、家族の、取り返しの付かない転換点を指す。その意味するものは大暴走であった。


「護身用に、斧や鉈ぐらいはあったさ。それでもあの荒波のような魔物の前には、小枝で大河を撫でる程度の役割しか果たさなかった。それでも死に物狂いで抵抗したさ。気付いたら、辺りは静まり返ってた。俺の血かも、誰の血かも分からないぐらい、ぐちゃぐちゃに酷いもんだった。木影にルードの奴が寝転んでた。多少の傷はあったが、寝ているようにしか見えなかった。俺は揺すった。何度も何度も。早く起きろってな。何時まで経っても起きることはなかった。打ち所が悪かったんだろうな。即死だった」


 看取れなかった兄弟の死に様を前に、ウォルムは言葉一つ一つを噛み締め、何も発さずただただ耳を傾ける。


「遺体を隠して俺は村へと走った。碌に弔えない後ろめたさに後ろ髪は引かれて。それでも危険を知らせて、村を守るつもりだった。人影が見えた時は安堵した。間に合ったと……実際は遅すぎた。大暴走で押し寄せた魔物は、村を魔領へと変えた。動いてるやつは大勢いたが、もう人間じゃなかった。叔父さんも、父さんも母さんも、な」


 嫌でも記憶が甦るのだろう。ヘイズは言葉を詰まらせた。口を開き掛けたウォルムであったが、思い止まる。兄はまだ話を止めていない。


「右も左も分からないまま走った。あの時は死にたくない。それだけだった。道中偶然出会った見知らぬ奴らも、みんな状況を理解していない。ただ、分かっているのは、帝都方面が危ないってことだけだ。犠牲者や落伍者を出しながら、俺たちは逃避行を続けた。何体、魔物を殺したなんか、数えてる余裕も無かった」


 ウォルムはダンデューグ城で敗残兵となり、祖国への敗走の中で目撃した光景が次々と浮かんでくる。事前に構築された防衛線が炎帝龍に抜かれ、街道や指揮系統は次々と寸断されていった。各所で玉砕が起き、組織的抵抗が失われいくのは、戦闘の痕跡を探れば容易に読み取れた。


「魔物に進路を絡め取られ、集団というには雑多な集まりの足が止まった時には、いよいよかと全滅を覚悟した。魔物に食われるくらいなら、楽に殺してやってくれと、見知らぬ幼子の母親が俺に懇願するんだ。どうにかなりそうだった。結局、俺は剣を振らなかった。いや、違うな。振れなかった。覚悟を決め切れなかったのもあるんだろうが、信じられないことに、助けが来たからだ。掃討される魔物を見て、喜びもできず、ただただ立ち尽くしてた。それから、俺は軍に入って、一年半、魔物を殺し続けてる。今になって分かる。いや、俺が経験したのは、まだ生温いんだろうな。ウォルム、お前を戦地に送り出したのを、悔やまなかったことはない。すまない、本当に」


 まるで懺悔するようにヘイズは言う。一度に受け止めるにはあらゆる感情が揺さぶられ、全てを整理しきれない。それでもウォルムは先ずは本音を吐露した。


「済んだことだろう。兵役の慣例や家の貧困もあった。それに、結局は誰かがその代わりに行かなければならない。過去に戻れたとしても、その役目を他の誰かに押し付ける気なんてない。それに、俺も戦場で散々汚いことや酷いことをしてきた。批判できるような人間じゃないさ」


 兄の肩を叩き、ウォルムは不器用に笑った。


「情けない。どっちが兄か、分からないな」


「世辞として受け取っておく。ところで、所属は東部方面軍なのか?」


 帝都陥落から一年半、兄弟が戦い抜いたであろう方面軍を尋ねると、ヘイズの顔色がみるみるうちに変わっていく。


「……違う」


 否定の言葉を受け、残存する方面軍をウォルムは挙げる。


「それじゃ南部か」


 兄の表情からは東部方面軍でも南部方面軍でもないことを示唆していた。混乱するウォルムを宥めるようにヘイズは語り掛ける。


「ウォルム、よく聞いてくれ。俺達を救った部隊は、ハイセルクじゃないんだ」


「ヘイズ、まさか」


「リベリトアだ」


 瞬間的に兄弟の視線が交差する。あれほど温かった空気が冷気を帯び、まるで全身にへばりつくように変質していた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「なぁウォルム、覚えてるか。ルードの奴が掘り出した塊根を食べ過ぎて、腹を壊したのを」 「確かフーゴの奴らだな。ゴブリンの投げた糞がルードの顔面に直撃して怒り狂うのなんの」 「はは、…
[一言] これで本当にハイセルクが大氾濫の元凶でリベリトアが善意の第三者だったのならウォルムも躊躇なく亡命できたんだがなぁ…… お兄ちゃんももう止まれんよね 守るべき家族ができてしまった以上はどうしよ…
[一言] 近くにリベリトアの軍がいたなんてすごい偶然だー優しい国だなー(棒)
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