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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第二章

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第七十九話

 迷宮都市は変わってしまった。何の前兆もなく決定的に。ペイルーズは汚泥の如くへばりつく疲労感に息を漏らす。迷宮での探索は泊まり込み、或いは昼夜通して戦闘に従事する。タフを気取るつもりなどなかったが、工夫さえすれば一日動き回れる自負があった。それも今や崩れつつある。戦闘を始め、一刻ほどにも関わらず、脚が沼地に囚われたように重く、腕は血が通っていないように不自由であった。手元に顔を伏せれば、べっとりと血に濡れた剣が存在を主張する。舗装された通りには骸が晒され、その中にはペイルーズが斬り殺したばかりのグールも含まれていた。


 グールは迷宮で戦闘経験のある魔物。それが顔見知りに変わるだけで、身体は緊張で凝り固まり、思考が妨げられる。すれ違えば挨拶するような冒険者から、嗄れ声で客引きに精を出していた亭主までもがアンデッドと化し、ペイルーズの前に襲い掛かる。嘆く暇などなかった。ペイルーズは下段から剣を斬り上げた。突き出されていた腕が肘関節からだらりと折れる。


 亭主だったものは、尚も吶喊を続ける。ペイルーズは頭部を下げ、小脇を抜けた。肘から先が使い物にならなくなったグールが背を擦るように叩く。片足を軸に急反転したペイルーズは水平に剣を振るう。うなじから入り込んだ刃は、脊髄を断ち、躓くようにグールが倒れ込んだ。間髪容れずに、次の亡者が斬り込んでくる。冒険者としての技能を残す厄介な個体であった。剣の腹で受け止めたペイルーズに対し、グールは押し切りを狙うが、左右から伸びた二本の槍がグールを串刺しにする。パーティメンバーであるリークとマッティオが叫ぶ。


「押さえ込んだァ!!」


「早くやれっ」


 脇と首元に槍先という楔を打ち込まれたグールは、鉄の束縛から逃れるために、激しく身を揺すり、剣で柄を叩く。ペイルーズが斬り込む前に、助走を付けたドナがウォーハンマーを振り下ろす。弧を描きながら槌頭がグールの頭部を陥没させた。手を下したドナは、死体から視線を外さない。ペイルーズはドナの肩を揺さぶり、視線を誘導する。


「よくやった、ドナ。助かった」


 歳下の仲間達は、突如生じた動乱に心構えも出来ず、精神が揺らいでいる。足元も覚束ない戦場で、未熟なペイルーズが贈れる最大の配慮であった。


「この辺も、掃討したな」


 迷宮付属の施設で招集を受けたペイルーズのパーティは、守備隊と冒険者の共同で城門の確保を命じられた。当初、報告されていたアンデッドの総数は大きく下回り、城門を陥落させた武装勢力も、その姿を見せない。待ち伏せや罠の類も危惧されたが、結局は徒労に終わる。


 集合を告げる笛が鳴り響く。荒れた商店や内部から崩れ落ちた家屋に視線を走らせつつ、ペイルーズは集合地点へと戻る。終結した隊の規模は、一回り小さくなっていた。ペイルーズのパーティは負傷者を出さずに帰還したが、全ての者は無事では済まない。頬を噛み、思考を切り替えたペイルーズは仲間を引き連れ、指揮官である百人長の下へ向かう。損耗や担当した地区についての情報を報告しなければならない。幸いにして、百人長は直ぐに見つかった。数人の兵を連れ添い地面を睨む。喉まで出かけた声は、彼らの足元に転がる死体により詰まった。


「……ファウスト、さん」


 冒険者ギルドの元教導役、人狩りが判明してからは、ギルドから懸賞金を掛けられた男が骸を晒していた。喉は裂かれ、胴部は十字に斬撃が刻まれる。手足の一部は焼け焦げ、炭化していた。今回の騒動にも関与していたのだろう。迷宮都市を裏切った大罪人、嫌悪すべき相手であった。そうだと言うのに、ペイルーズは完全に憎み切れない。新人時代に、教練で地面を転がされた記憶が蘇る。身に付けた剣技や身のこなしと言った基礎は、ファウストから得た物が大きい。やりきれない感情に、ペイルーズはただただ立ち尽くす。そんな中、百人長は死者の侮蔑を始めた。


「こいつが襲撃者だ。カビ臭いグンドール家の残党だ。時代に取り残された亡霊が、都市を無茶苦茶にしやがって!!」


 唾を吐き捨てた百人長は、遺体を蹴りつけた。止める者は存在しなかったが、その行為に追従する者は居ない。ペイルーズもただただ見ていることしかできなかった。


「都市鎮圧後に、この死体は晒される。顔は傷付けるなよ、見せしめだ!! この馬鹿騒ぎも直に終わる。国境部からの増援も到着した。我々は、旧王城の鎮圧に加わる。集結した残敵を完膚なきまでに排除しろ!!」


 百人長は次なる指示を下しながら、士気を高めるために兵や冒険者を鼓舞する。ペイルーズは耳を傾けながらも、ファウストの死体に後ろ髪を引かれて一瞥する。焼け焦げた指が微かに動いた気がした。


「お、おい、今動かなかったか」


 動揺で言葉足らずになったペイルーズの意図は、正しく伝わらなかった。リークが内容の説明を求める。


「え、何が?」


「ファウストの、死体だ」


 疲労による見間違いを疑い、ペイルーズは目蓋を擦る。再び目を開いた時、爛れた死者が立ち上がっていた。両隣のリークとドナが驚きに呼吸を忘れる。


「後ろだァあああ!!」


 鬼気迫るペイルーズの叫びに、百人長は反転と同時に剣を振った。実に鋭敏な動きであったが、炭化した腕が鋭く伸びると百人長の首を掴み、飴細工のように潰す。ファウストは咆哮を上げた。


「ま、ァだ、終わ゛って、いィな、あい」


 全身は焼かれ一部は炭化、割かれた首は支えを失い折れ曲がっていた。人間ならば生きている訳がない。騒ぎに駆けつけた兵がファウストに殺到する中、まるで脱皮するようにファウストの皮膚が割け、中から黒々としたものが現れる。兵士の一人が正体を言い当てた。


「し、死霊騎士だぁあああ!?」


 死後の魔物化。アンデッド上位種の中でも、取り分け厄介な存在として語られる死霊騎士は、生前の技能を色濃く残した魔物であった。腕と一体化した槍が無造作に振るわれる。斬り込んだ兵の上半身が掻き消えた。


「おおお、わ。る、じかん、を、か、かせ。くんれ、ん。のり、こえ、みせ。ぼう、け゛んしゃァっあアアッ!!」


 既に言語とも分からぬ声を上げ、死霊騎士は産声を上げた。隙を見た兵が背後より槍を突き入れ、冒険者の一人が脇腹に剣を突き立てる。死霊騎士の光沢のある表面は、まるで重装備の甲冑を着込んだように刃を弾いた。黒き線が走る。その正体は槍であった。兵が木の葉のように虚空へ投げ出され、冒険者の胸元が穿たれる。


 圧倒的な力の奔流、ペイルーズの顔が引き攣る。荒事を生業とする兵士や冒険者が蹂躙されていく。組み合った槍は一方的に折られ、矢が空中で叩き落とされる。近距離に居たペイルーズも無関係ではいられない。


 眼前に居た兵士が、槍の振り下ろしで地面に磔にされる。言葉も出ぬペイルーズだったが、咄嗟に腰を落とし、硬く保持した剣を頭上に構える。僅かな間もなく、鈍痛が全身を駆け巡った。頭部を捉えるはずだった槍先が頭上を掠めていく。衝撃で手が痺れ上がり、剣は不規則に回転しながら背後へと飛んでいく。


「やらせんなッ」


「ペイルーズ、早く―」


 パーティメンバーがペイルーズを庇うべく武器を見舞うが、死霊騎士は揺るぎもしない。ペイルーズは仲間に呼び掛ける。


「駄目だ。下がれェ!!」


 黒い線が迫る。受け流すことなど許さないとばかりに、死霊騎士の黒き槍が横薙ぎで払われた。せめて仲間だけでもと、腕を組み仁王立ちしたペイルーズだったが、予期した衝撃は訪れなかった。代わりに響いたのは、魔力を帯びた鉄同士が激しく鬩ぎ合う轟音。止まることを知らない槍に斧が食い込む。


「かぁーッ、痛てぇええ!! なんじゃこの魔物は!!」


 野太く酒焼けした声が、真横で響く。三大国の一角、森林同盟より迷宮に派遣された探索隊の主力を務めるドワーフが、ペイルーズのパーティを救った。


「その槍と臭いファウストだ!!」


 探索隊唯一の獣人が、魔物の正体をドワーフに告げる。


「ふん、槍筋を見ればわかるわい!!」


「どんな爛れた志があったかは知らぬが、魔物にまで落ちぶれたのか」


 死霊騎士は見覚えのある構えを取る。ファウストが教導役を務める人間であった頃、強請るリークに一度だけ本気の構えを披露したことがあった。姿形は変われどペイルーズは見間違えることはない。


「棒切れ、振り回すだけの馬鹿になった訳じゃ、無さそうじゃのぅ」


「は、叩き甲斐があるわい」


 あるドワーフは巌のように分厚い肩を回し、またあるドワーフは手の平と拳を打ち鳴らす。


「覚悟せい。死霊騎士狩りじゃあ!!」


 魔力を纏った斧を突き上げ、蓄えた豊かな髭を揺らしたドワーフが誘う。死霊騎士は槍を振い、それに応じた。死闘を告げる第二幕が開く。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ドワーフが来たときの安心感
[気になる点] 既に言語とも分からぬ声を上げ、死霊騎士は産声を上げた。 声を上げ、産声を上げた。 一つの文に同様の行動が二つある
[一言] 今回が投稿される前に言うならともかく、後から違和感のなんの……
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