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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第二章

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第七十二話 天秤

 熱風と衝撃が肌を叩く。ウォルムは反射的に身体を丸め急所を庇う。重ね組んだ腕の隙間から覗き見える光景は、一変していた。四散した者達の残滓が血潮となって大広場を覆う。ウォルムは現実感を持てなかった。先程までベルガナの栄光を信じてやまなかった参列者達は、床に伏せ呻くばかり。ステンドグラス越しに輝いていた光の道は、どす黒い臓腑で彩られる。


「ば、爆発……? 何が、どうなってる」


 混乱する思考を懸命に働かせる。前後の人物が絶妙な遮蔽物となり、ウォルムの身体は無傷であった。対して、爆炎を一身に受けた来賓者は、力なくウォルムへその身を預けている。


「おい、しっかりしろッ」


 ウォルムは撓垂れ掛かった男に呼び掛けるが、返答は得られない。煌びやかな衣服は汚れ、皮膚との境界は曖昧に癒着している。それでも即死には程遠い。具合を確かめる為に、肩を掴んで負傷者を仰向けにしたウォルムは、異常に気付いた。


「ぅ、っあ、ぁ、っあ゛あ」


 顔はうっ血し、嘔吐を伴い痙攣を繰り返す。死傷、それも火傷に慣れたウォルムも初めて見る症状であった。皮膚をよく観察すれば、金属片に混じり白い異物が突き刺さっている。ただの爆発ではない。ギルドの副支部長を始めとする人間に仕込まれていたであろう爆発物は、殺傷力を増すために金属片と猛毒が詰め込まれていた。


 ウォルムが抱えていた参列者は、一際大きく背を弓形に反らし、呼吸を止める。既に手の施しようがなかった。遺体を寝かせたウォルムは、情報を集める為に周囲へと視線を走らせる。視界が晴れるに従い、被害の全容が明らかとなっていく。参列者と衛兵の実に半数が床に倒れ込んだままであった。


「治療魔術師を呼べぇえ!! 侯爵様が負傷されたッ」


「駄目だ。息が……くそ、何だこの猛毒は。ギルドの支部長は何処にいる!?」


「副支部長の破裂に巻き込まれて、即死した」


 輝かしい賞賛の声も楽器の旋律も消え失せ、大広場は怒号と呻き声だけが支配する。従者や兵が負傷者を救おうと躍起になっているが、効果の程は薄い。兵が室内を駆け回り、招待客が助けを求め、恐怖で顔を青くしたギルド職員が出口に消える。


 そんな騒乱の中で、ウォルムの眼はある人物を捉えた。捉えてしまった。喉が渇きを覚え、時が止まったように呼吸を忘れる。喘ぐように空気を吸い込んだウォルムは、濡れた床に足を取られながら、広間を駆け抜けた。心臓が早鐘のように打ち鳴る。そんな筈は無いと言い聞かせれば聞かせるほど、呼吸が乱れてしまう。壁際に辿り着いたウォルムは、懺悔するかの如く両膝を付け、呼び掛けた。


「り、リージィ、おい、リージィッ!!」


「っ、ぁ、っうぅ、ァ」


 倒れ込んでいた彼女の身体を、慎重に起こしたウォルムの視界が揺らぐ。リージィの喉と胸元に拳大の金属片が突き刺さり、唇から夥しい血反吐を流す。目の焦点は合わず、眠気に耐えきれないとばかりに、瞼が閉じられようとしている。そんな重傷を負うリージィは、ウォルムの呼び掛けに応える代わりに、手首の腕輪を微かに揺らし指を動かす。包み込むようにその手を握り返すと、死体のように冷たかった。


「治療魔術師は、治療魔術師は居ないか!?」


 百にも達する人物が毒で悶える中で、ギルド職員であるリージィを優先的に救おうと言う者など、ウォルムの他には居なかった。毒物が塗られている金属片の除去は最優先すべきであろうが、ウォルムの兵士としての経験が警鐘を鳴らす。魔力膜を張れないリージィから金属片を引き抜けば、均衡が崩れ間違いなく出血死する。焼灼止血をしようにも、喉と胸という急所を焼けば、耐えられる筈が無かった。


「寝るな、意識を保てッ」


 嘆くな、憤るな、対処方法を考えろ。感情に引き摺られ、道を逸れようとする思考の制御をウォルムは懸命に続ける。金属片を取り除いても、出血死は免れない。そもそも毒物の除去手段がなかった。治そうにも治療魔術師は手一杯、数少ない治療魔術師も、猛毒を前に有効性を発揮できていない。


 思考の片隅で、その存在が過る。癒しの三秘宝、寿命の延命すら可能とする万病を癒す真紅草。迷宮の底で命を掛けウォルムは手に入れた。死に瀕した恩人がそれを必要としている。意地汚い打算心が鎌首をもたげるが、唇を噛み切り押し殺す。濁る瞳のせいにして見えぬ振りをしても、悔いと言う新たな呪いがウォルムの身に追加されるだけだ。


「今、助け――」


 魔法袋から瓶を掴み、コルクをこじ開ける。不変の花は、迷宮の底からその形を止めたままであった。リージィに励ましの言葉を投げ掛け、どう摂取させるかを逡巡するウォルムであったが、聞こえて来る声に身を凍らせる。迷宮の底ですら落ち着きを払っていた、ユナの平静さを欠いた声が鼓膜を揺るがす。


 まるで錆び付いたように重い首を、ウォルムはぎこちなく曲げる。視線の先では馴染みのパーティが揃う。ただ一つ違うのは、統率者であるメリルだけが床へと倒れ込んでいた。猛毒の破片を浴び、その身を不規則に震わせる。傍らには、迷宮都市の重鎮達の死体が見るも無残に居並ぶ。直撃した箇所か、魔力膜と抵抗力の差によってか、彼らとは異なりメリルは即死を免れていた。


「メリル、頑張ってぇ」


「ユナ、口に布を詰めて、舌を噛み切っちゃうッ。ああ、寄与魔法で増強してるのに、なんで毒抜きが効かないのよ!?」


「ぐっぅうう、うう、これは、九頭龍(ヒュドラ)の毒だ!! 共和国の巨人の末裔が、相打ちに倒れるほどの劇物。この量、常人であれば五度は死んでいる」


 どちらを選び、救う。兵士として培ってしまった理性が両者を天秤に掛けながら、ウォルムに呼び掛ける。迷宮で苦楽を共にした戦友(メリル)か、迷宮でウォルムを支え道を示してくれた恩人(リージィ)か。


「あ、っ、あ゛あァああッ」


 眩暈で視界がぐらぐらと揺らぐ。喉には酸味がこみ上げ、嗚咽を堪える。どうする。どうすればいい。ウォルムの感情は破裂寸前であった。反して兵士としての理性が、冷酷に事実を認識する。腕の中のリージィの傷はあまりに深い。真紅草を与えて助かるものなのかと警鐘を鳴らし、感情が事実を否定する。どちらを救えばいい。天秤に釣られた二人を前に、答えが出ぬまま無情にも時間は過ぎていく。騒がしかった大広間の悲鳴が一つ、一つと減っていた。決断が迫られていると言うのに、ウォルムは選べない。そんな中、ウォルムの腕で苦しむリージィの口が微かに動く。


「どうしたんだ、何を言いたい」


 微かに口は動くが、音は発せられることはない。一言でも聞き逃すまいと懸命に口の動きで意図を探ろうとしたウォルムであったが、叶うことはなかった。強張り弛緩していたリージィの腕が床に落ち、銀製の腕輪が音を立てる。何時までも金属の甲高い残響が耳に残った。


「お、おい、リージィ? リージィ!?」


 分かり切っている。無意味で何の生産性も無い。それでもウォルムは投げ掛け続けた。


「嘘、だ。こんな、はずじゃ」


 リージィから二度と言葉は返されることはない。冷え切った身体からは、命が抜け落ちた。ウォルムは二人を天秤に掛けて選べなかった。選ばなかった。その結果がリージィの見殺しであった。過程など重要ではない。結果が物語っている。


「……すま、ない」


 許される筈もない。ウォルムは彼女を選ばなかった。それでも嗚咽混じりに謝罪を吐き出さずにはいられない。震える指で瞼を閉じ、リージィだったものを床に安置したウォルムは、這うように足を進める。歪んだ視界は、人の数だけ惨劇を映す。浅く呼吸を繰り返し、遠のく意識を押さえつける。座り込む訳にはいかなかった。ウォルムは選んだ。


「ウォルムか!? メリルがッ」


 治療に専念していたハリが、崩れるように飛び込んだウォルムに驚きながらも、メリルの容態を説明しようとする。


「このままだと、死ぬ。そうだろう」


 身も蓋もない言い方であった。それでもウォルムの形相と手にした物の重みを知る彼らに、咎める者は居なかった。


「ウォルム、それは眼の」


「分かっている。これが無ければ助からない。そうだろ。たかが眼だ」


「本当に、よいのか」


 ハリの念押しに、ウォルムは血走り濁った眼を向ける。


「……もう、戻れないんだ。メリル聞こえるか、真紅草を飲み込め」


 ウォルムは固く閉じられた口を指でこじ開け、真紅草を捻じ込むが、メリルは咳き込むばかりで一向に呑み込めない。


「飲み込む力も、残ってない」


 マリアンテがメリルの容態の悪化に絶句する。ウォルムはもう嘆くことはなかった。魔法袋からラム酒を取り出し一挙に呷り、真紅草を頬張る。唖然とする仲間を余所に、咀嚼を続けた。真紅草の錆鉄のような苦々しさとラムの甘い風味が口の中で混じり合う。


 メリルのうなじに片腕を回し、残る手で顎に指を沿わすと、口内の真紅草を流し込んだ。隙間が空くことなく重なった唇から流動物が流れ込む。メリルは咳き込み、漏れ出ようとする液を身体を密着させ、抑え込み続ける。そうして喉が鳴り、真紅草が喉を嚥下していく。


 効果は劇的であった。痙攣していた全身が、ゆっくりと静まっていく。溺れるような呼吸は、落ち着きを取り戻しつつある。脱力したウォルムは床に座り込む。苦々しい後味だった。説明も付かぬ感情が奥底で渦巻く。そんなウォルムの肩を掴む者が居た。呆けた顔で見返す。リージィと並び受付をしていたギルド職員のラビニアが、顔を歪めて叫ぶところであった。


「なんで、あの子を助けてあげなかった。何で見捨てた!! 真紅草があればリージィは……生きれたのに。あの子は、あんたに好意を持ってたのに、なんで、なんでっ」


 尤もな言い分だろう。ウォルムは黙って聞き入れる。リージィと親しかったラビニアは、ウォルムの選択肢を受け入れられる筈もない。


「この状況下、誰しも平静さを保てない。それでも貴様、言葉の分別くらいは――」


「ハリ止めてくれ。俺が選べずに、選ばなくて殺した。何も違わない」


 怒気で顔を染め上げたハリがラビニアに怒鳴り掛かるが、ウォルムは制止する。ウォルムと視線が交わったラビニアは、顔を伏せてただただ床を叩く。


「悪いのは、ウォルムの筈が無いッ。あんたは腐る眼も顧みずに――」


 言葉を続けようとしたマリアンテであったが、大広場に駆け込む兵士により阻害された。伝令であろう兵は生き残っていた将官に報告を上げる。


「エドアルド千人長、通信魔道具より連絡が!! 迷宮関連施設、兵員詰所、本城でも同様の死霊魔術式の人間爆弾が破裂し、被害は甚大。更に旧城、市街地、城門を始めとする城壁内部に多数のアンデッド及び所属不明の武装勢力が確認されています」


「総数は!?」


「不明ですが、アンデッドだけでも数千を超え、その遺骸が纏う装備の多くが、統一戦争時代のものです」


 エドアルドと呼ばれた将は、軋むほどに歯を噛み締め、罵声を放つ。


「このやり口、統一戦争時代のものだ。亡霊が、墓穴から這い出てきたかッ」


「こ、侯爵様も、ご嫡男も亡くなりました。ギルドの高官や指揮場の兵も――我々はどうすれば」


 伝令の兵を見据えたエドアルドは、声を張り上げ言った。


「狼狽えるな!! まずは近場で動ける兵と冒険者を全て動員して数を揃える。所属や部隊など構うな。指揮系統の上位者がどれほど無事かも分からない。掌握が可能な者を集め、脅威を取り除くのが先決だ!!」


 叱咤を受けた兵達は、室外に散る。既に救助すべき命など残されていなかった。ウォルムは小さく息を吐く。エドアルドの声は実に良く響き、人を動かす者の模範的な声の一つだろう。皮肉にも他国の将の檄により、ウォルムの精神が現実へと回帰した。優先すべきはこの最低、最悪で、心底反吐が出る事態を招いた者の排除であった。ウォルムはその行為に心の底から同意する。


「……メリルを頼む。俺はやるべきことができた」


「何を言っている?」


「何処に行くつもり!? ウォルム!!」


 制止する仲間の声をウォルムは無視した。半狂乱に陥ったギルド職員や来賓客を躱して通路を進む。とてもではないが、真っ当な冒険者である彼らに見せられない、見せたくない表情をウォルムは張り付けていた。幸いにして、心当たりはある。被害者達が惨劇に見舞われ困惑や悲しみに陥る中、一人、恐怖に顔を青くした者をウォルムは見逃さなかった。無関係の筈が無い。何せその男は、四散したラッファエーレの護衛を兼ねた男だった。ギルドで軟禁された時に、常にその男は副支部長と行動を共にしていた。そんな大事な飼い主が破裂して、困惑や悲しみの感情を抱えずに、ただただ恐怖に身を震わすなど、答えは決まっている。下手人を知り得る立場だとウォルムには確信があった。


「ああ、良いぞ。その気なら。……俺は殺しも、戦争も得意だ」


 ウォルムは所属する共同体の為に、自己防衛の為に、と免罪符を掲げて数えきれない人間を殺してきた。


「誰の所為にもしない。言い訳もしない。俺が、俺の意思で、殺してやる。一人残らず」


 取り出した鬼の面を装着する。あれほど乱れていた感情は、今や一つに染め上げられていた。面はかたかたと震え、持ち主の殺意を是とする。扇動する面に、ウォルムは嗜めるように言った。


「ああ、分かってる。そんなに騒ぐな。俺も我慢できない」

真紅草、花言葉、天秤、代償、犠牲。

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なんて非道いことするんだ!
ハーレム要員と見せて退場させるとは!?
[一言] また、主人公のカルマが… これははやく分隊長との邂逅を願います
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