第六十一話
風切り音を伴い、鋭く伸びた矢が暗闇を切り裂く。薄暗がりから顔を覗かせていたリザードマンは、眉間を射抜かれ、細長い舌をだらりと晒して地面に転がった。同胞の死を気にも留めず、残る三体のリザードマンが駆け込んでくる。これまでのウォルムであれば一対多数を避けるため、魔法による魔物の漸減に励んでいた。それがパーティー加入後は、動きの確認と魔力の温存を兼ね自制している。
リザードマンはそれぞれ一人の人間を相手取る事を決めたようだ。尤も、その動きすらも両隣の探索者によって誘導されたもの。ウォルムと同じ前衛役の武僧ハリは、リザードマンにより繰り出される剣技など関係ないとばかりに、六角形の戦棍でサーベルを押し切り頭部を砕く。一方の三魔撃と称されるメリルは、振り下ろされたカットラスを上半身の重心移動のみで躱し、踏み込んだリザードマンをロングソードで撫でる。まるでバターでも切り分けるように、手首と頭部が抵抗も無くするりと落ちた。
なんとも器用な芸当。こうなっては残ったウォルムの仕事は少ない。リザードマンの槍先を斧槍で逸らし、枝刃から伸びる鉤爪を動脈に差し込むだけ。重心を真後ろに傾け斧槍を引けば、首筋がぱっくりと開き、血が噴き出る。たったそれだけで迷宮は静寂さを取り戻す。あまりの呆気なさにウォルムはかえって動揺してしまう。手持ち無沙汰に陥り、斧槍を手のひらで回しへばりついた血を飛ばす。
「ご不満でもあるのかい」
剣を収めたメリルがからかい混じりに言う。所在無く斧槍を回すところをウォルムは見られていた。子供が暇を持て余し、小枝を振り回すようなものだ。僅かな羞恥心が疼く。
「いや、不満はない。順調すぎて戸惑っていた」
「制覇者を目指すパーティが、たかだか中層で梃子摺っている方が不条理さ」
御尤もな意見であろう。兵役時代から数的不利を常にしてきた弊害であり、ウォルムは一人で潜るのに慣れ過ぎた。数で嬲る側になると落ち着かないとは、笑えもしない。幸い更なる追及は無く、ウォルムも魔物の遺品漁りに混じる。射手のユナはリザードマンの頭部を踏みつけて矢を回収。メリルは周囲に目を向ける中、残りのメンバーも貴重品を集め終えた。
立ち塞がる魔物は等しく迷宮に還し、パーティーは階層を深めていく。群がるデュラハン、ドールスライムはウォルムの火属性魔法で打ち払われる。同胞を犠牲に間合いを縮めても待っているのは、ハリが精神注入棒と呼ぶ六角形の戦棍。デュラハンやドールスライムご自慢の鎧は、出来損ないのブリキ人形のように凸凹に破壊される。それらを潜り抜けようにも、メリルやマリアンテが進路を潰す。
顔合わせを兼ねた迷宮潜りだというのに、気づけば深さは三十階層に到達していた。錆び付いていたとは言え、あれほどウォルムが苦心した階層に容易く辿り着く。ここまで肩を並べたメリル達の技量の高さを感じずにはいられない。ウォルムという真新しい異物が紛れ込んだというのに、その動きは最適解を選び続ける。
早撃ちに射抜かれたオーガが頭から仰け反り、まるで滑り転がるように倒れ込む。障害物と化した同胞を飛び越えた大鬼に対し、ウォルムが形成した火球を見舞う。空中で直撃を受けた大鬼は、まるで霧散するように血肉を撒く。残るは四体だが、どの個体も余波を受け、身体の一部の機能を喪失している。
「後ろから新手だよ」
メリルの警告と同時に、ウォルムの五感も新手を知覚する。地響きを響かせ襲歩で迫るのはケンタウロスの一団、迷宮きっての重騎兵であった。
「ウォルム、ユナは正面ッ」
メリルの短い号令で、パーティの陣形は変化する。危険度の高い重騎兵にメリル、ハリ、マリアンテが対応に向かい、ウォルムはユナと共にオーガを迎え撃つ。ウォルムが斧槍を交える為に飛び込むと、背後から飛翔物が背中を追い抜かしていく。
弓手であるユナの援護であろう。ウォルムとオーガの動きを予測した上で、斬り合う個体を優先して射抜く。一撃必殺とはいかないが、鎖骨から肩の付け根に入り込んだ矢は、大きな仕事を成した。まるで糸が切れたようにオーガの片腕が力を失い、ウォルムへと突き出された戦槌があらぬ方向へとねじ曲がる。槍先の位置取り合いの手間が省け、一直線に斧槍を繰り出す。顎下から入り込んだ刃は、オーガの脳にまで達する。
柄を捻り込み、脳内を蹂躙したウォルムは次なる大鬼を横目で睨む。一撃目の火球で顔面の半分が焼けただれていた。この弱みに付け込まないウォルムではない。何せ、片目が嫌がることは身を以て知っている。下段に斧槍を構えたウォルムは、死角から足首を刈り取る。
支えを失ったオーガは自重を支えきれずに、前のめりに倒れ込む。起き上がろうと石畳に手を突いたオーガを待っているのは、斧槍の斧頭であった。側頭部から入り込んだ刀身は輪切りとはいかぬものの、半ばまで入り込む。
残るは二体のうち一体は抱き着く勢いでウォルムへと飛び込む。右に傾いていた重心を急速に逆方向へと倒し、素早く側面に回る。二体目のオーガがその進路上にロングソードを叩き入れた。斧槍の側面から伸びた鉤爪状の枝刃で受け止め、刀身を擦る。
鍔迫り合いに持ち込もうとするオーガだが、斧槍の槍先は競り合うどころか甲高い音を立てて表面を滑り、母指を除く四本の指を削ぐ。指と共にロングソードを落としたオーガは、掴み掛かって来る。ウォルムは畳んでいた肘を突き出し柄を切り返すと、石突きでオーガの両眼を擦る。
硬質な石突きが眼球の表面を蹂躙、視界を奪われたオーガの拳が空を切り、無茶苦茶に腕が振り回される。ウォルムは止めを刺さずに小脇をすり抜けた。置き去りにしていた一体目のオーガに備えての行動であったが、見当外れに終わる。ウォルムに夢中になり過ぎたオーガは、ユナにその無防備な背を晒していた。
側頭部に矢を受けたオーガは白目を剥き、顎を突き出したまま力尽きる。残るは一体ではあるが、両目の視力を失ったオーガは既に詰んでいる。半狂乱で虚空を殴打するオーガはまるで地上で溺れているよう。間合いの外から静かに槍を突き入れ、オーガの群れは全滅した。
新手を受け持っていたメリル達の救援に向かおうとするウォルムであったが、既に戦闘は止んでいる。哀れなケンタウロス達はその頭部を、ハリの精神注入棒とマリアンテのメイスでモグラたたきのように潰されていた。両前脚と頭部を斬り落とされた個体は、メリルの仕業であろう。
「良い援護だった」
「んっ」
一時背を守って貰ってくれていたユナに礼を述べれば、短い返事を返される。基本的に喋るのが億劫なのか、ユナとの会話は極端に短い。決して嫌われている訳ではないとウォルムは自身に言い聞かせる。
「そっちも、もう終わったんだね」
「元々弱っていた相手だ。ケンタウロス四騎を葬ったそっちに比べれば遅い方だろう」
「まあ、早ければいいって訳でもないよ」
メリルが手首を捻り、ロングソードに付着した粘着質な液体を振り飛ばす。ウォルムも斧槍から汚れを取る中、背後の気配に気付く。視線の主はハリのものであった。その真剣な眼差しに、異変でも生じたかと危惧する。
「何かあったか?」
「いや、大したことではない。色彩豊かなメリルの眼とウォルムの濁った瞳、どちらも甲乙付け難いと思ってな。ああ、そんなにまじまじと見ないでくれ。興奮してしまう」
「……はっ?」
言葉を咀嚼するが直ぐに理解が追い付かない。それでも本能が危機を訴える。ウォルムは顔を歪めて一歩下がる。アイツ、少しばかりおかしいのではないか、と抗議の視線をメリルにぶつける。三魔撃と称される冒険者は静かに首を振った。
「性格も、能力も申し分ないんだけどね。アレだけは治らないんだ、僕はもう諦めてる」
「また、パーティメンバーをいやらしい目で見てたの。止めなさいよ」
メリルが管理者責任を放棄する中で、マリアンテが一連の騒動に気付き叱責した。
「人聞きが悪いぞ。高峰や大海のような美しい物に目を奪われるのは人間の性であろう。安心しろ、マリアンテの怒気交じりの眼も、いいッ」
「ッぅ――そんなんだから教会を追い出されるのよ!!」
我慢の限界を迎えたマリアンテはメイスでハリの尻を叩いた。乾いた音が響き、筋肉質な臀部に金属製の突起が食い込むが、ハリは微動だにしない。加減をしているとは言え、本質的にはフルプレートの兵士を殴り殺せる武器の一撃だ。それを尻で受け平然としているとは、どういう肉質をしているのかウォルムは不思議でならなかった。
「そう怒るな。怒りは動きを鈍らせるぞ」
「あぁ゛あッあ!! ハリにだけは言われたくない」
「見ての通りハリを睨んだり、怒ったりすると逆効果だから駄目だよ」
「……ああ、留意しておく」
血だまりの中で交わすタチの悪いジョークであれば、ウォルムも談笑に混じったかもしれない。だがどう考慮してもアレはガチであった。マリアンテという供物を捧げたウォルムは静かに距離を取る。この騒ぎはパーティにとっては日常茶飯事なのだろう。ユナは気にも留めずに矢の回収に勤しむ。そうして数本の回収を終えたところでユナは声を漏らした。
「ウォルム、矢を壊さないのは偉いね」
安くはない矢を傷めずに再利用できるのであれば、それに越したことはない。懐事情が寂しいハイセルク帝国軍では利用できる物はなんであれ利用してきた。何せ、腐乱死体に突き刺さる矢でさえ、弓兵は喜々として回収する。
「昔の癖でな」
付き合い短いながら、感情に乏しいと感じるユナは心なしか嬉しそうであった。もし不必要に矢を粉砕していたら、知らずの内に粗暴者の烙印を押されていただろう。
ハリとマリアンテは口論を終え、ケンタウロスの死骸を漁り始めた。隣の芝は青く見えるというが、なんとも曲者揃い。一癖も二癖もある連中であるが、ウォルムも人のことを言えるほど高尚な人間ではなかった。
「どうしたんだい、ウォルム」
視線を落とし、一人思考に耽るウォルムであったが、鮮緑の髪が視界に入り込んでくる。虹彩異色の両眼がウォルムを見据えていた。まるで見えない何かを覗き込まれているようであり、考えが見透かされているようにさえ感じてしまう。ハリが気に入るのも少しばかり理解できる。
「賑やかだと思ってな」
「他人事みたいに言ってるけど、ウォルムもその賑やかな奴らに組み込まれているんだよ」
「はは、違いない」
陰鬱な迷宮だというのに、ウォルムの口からは自然と笑みがこぼれた。




