第四十七話
地上に帰還を果たしたウォルムは、望まない悪しき聖域を身に宿していた。迷宮、その中でもアンデッド階層に長居した者なら誰しも纏ってしまうそれは、悪臭と呼ばれるもの。悍ましい暗褐、腐り、腐敗したアンデッドの血肉は、討伐された後も呪いのようにウォルムに纏わり付き、その臭いによって人を遠ざける。
擦れ違う者の反応は実に様々だ。露骨に進路を捻じ曲げる者、事態を察し鼻を押さえる者、中には共感めいた同情の視線を向ける者もいた。清潔を保ち辛い迷宮では多少の臭いなどご愛敬であったが、アンデッド階層はまた別格と言える。
「これじゃ、歩く汚物扱いだな」
どうにも居心地の悪いウォルムは、受付で割符を返し、さっさと何処かの安宿で身を清めるつもりであった。幸いにして昼は疾うに過ぎ、日差しも落ち着きを見せている。混雑の時間は抜け、受付は実に閑散。
不夜城としての一面を持つ待機場ではあるものの、やはり人の営みというのはそう簡単に変えられるものではなく、早朝時や夕方には、かつての役所や特売日のような混雑さを見せる。
悪臭を共にしたウォルムは、待機場を横断する形で受付へと足を進める。そこには迷宮都市でも数少ない顔見知りとなった受付嬢が、普段と変わらぬ様子で業務に勤しんでいた。
気配か、臭いを察知されたかは、五分と言ったところであろう。紐で纏められた台帳と睨めっこをしていた受付嬢は、表情に乏しいながらも薄らと笑顔でウォルムを出迎えてくれた。
「おかえりなさい。アンデッド階層から無事に戻られたのですね」
まるで遠回しに臭いますよっと告げられているようであり、実に奇襲性が高く手痛い一撃。ウォルムとて面と向かって女性にそう言われ、全く気にしないほど図太くも無神経ではない。
「まあ、外見上はな」
内心の動揺を抑えながら、すっかり染みついた悪臭に心底、辟易しているとばかりに、ウォルムは自身の腕や衣服に視線を下げる。
アンデッド階層では、腐敗汁や血肉を浴びないよう細心の注意を払ったが、ボーンコレクター相手では、そうにも行かず、忌々しくも取り巻きのアンデッドウルフの血肉が腕に降りかかっていた。
「気になさらないで下さい。よくあることです。それにウォルムさんの被害は少ない方ですよ。極端な方だと、頭から被り、全身を汚されて帰ってこられる方もいますから」
迷宮で実体験を済ませてきたウォルムの身としては、想像するだけでも嫌になる。何せ目に染みる程の強烈な臭い。水洗い程度では哀れな被害者の臭いを消し去ることはないだろう。
「運が良かったんだな。割符を返却したら、宿で桶を借りて行水をするさ。流石にこのまま休む気にもならない」
「この迷宮管理場にも水浴びが出来る施設はありますよ。利用料こそ掛かりますが、食肉目的のオークの処理や迷宮内での汚れを落とすために、皆さん利用されています」
ウォルムが迷宮から帰還した初日に、転送室付近の扉を気に掛けていたが、迂闊にも中の探りまでは入れていなかった。待機場で感じた非難の視線の中には、水浴びの金を惜しみ待機場まで来た粗忽者、又は無知な傭兵と言った意味合いもあるだろう。
「……知らないことばかりだな。世話を掛けてすまない」
「私は冒険者をサポートするギルドの職員ではありますが、迷宮の運営を担う一員でもあります。冒険者でなくとも給料分を出ない程度には、助力します」
「感謝してる。あんたになら何か奢ってもいいくらいだ」
「リージィです。一応名札にも書いてあるんですよ? ふふ、まあ、感謝して頂いているのなら、何か貢いで貰うのも悪くないですね」
リージィは冗談めいた口調で言う。ウォルムは硬貨袋を覗き込んだ。腐り墜ちようとする眼の薬代には届かないものの、迷宮入りしてからはそれなりに実りがあった。情報源が乏しいウォルムにとって受付嬢のリージィの情報は貴重だ。多少の身銭を切るくらい、細やかな報酬であろう。
「冗談ですから、硬貨袋を取り出さないで下さい。誰が硬貨をそのまま渡されて喜ぶのですか、そんなに私は守銭奴ではありません」
リージィは呆れ混じりに、首を振った。ウォルムはわざとらしく顔を顰めて答える。
「見た目通り、お洒落には無縁な生活を送っている」
「見れば、わかります」
間髪容れずの返答にウォルムは抵抗する術を持たず降参する他なかった。
◆
迷宮を有する都市ベルガナに於いて、都市を囲む城壁内は特別な意味を持つ。幾度も支配者が移り変わり、その度に補修、増強を受けてきた城壁は、実戦により培われた頑強さを訪れる者全てに誇示していた。当然、その規模に見合った兵により秩序と治安を保たれている。
その中心地では、群島諸国でも最大の迷宮が鎮座しており、語られることのない探索者達の無数の悲劇や歓喜の上ではあるが、絶えることのない富が約束されていた。
城壁の中での暮らしは、一種の社会的地位を意味する。それでも壁内全ての人間が成功者ではない。使い古した装備の補修を行い、狭い一部屋で集団生活を送り、保証無き迷宮への挑戦を続ける者達は大勢存在する。寧ろ多数派とも言えた。
彼らは迷宮の産出者であり、一種の労働者でもあった。当然、危険と隣り合わせの日々を送り、運良く成果が得られた日には酒場に乗り出し、酒と食事を片手に、まだ見ぬ明日への希望を口にする。
「ここに来て、一気に階層を深められたよな。やっぱり才能が開花しちゃったんだな」
「何馬鹿なことを言ってるのよ。運良く食べこぼしを拾って装備を整えただけじゃない」
「でもよ。それって装備さえ有れば、行けたってことだろう」
「それが慢心だって言ってるのよ。大体あんた前のめりになり過ぎて頭からグール汁被ってたじゃない」
「出だしで数減らせたからいいじゃないかよ。ベテランのおっさんやあの怖い傭兵だってやってただろ」
「アレは同じ人間の動きじゃないわよ。あんたじゃその内、事故って頭割られるのがオチ」
酒も入り、同郷の二人の意見の相違は広がっていく。パーティーリーダーであるペイルーズは普段通り調整役に入った。
「リークの言い分も一理はある。初手で数を減らすのは間違ってないけど、ドナが言いたいのはやり方を工夫しないとダメってこと。無駄なリスクは減らさないと」
お調子者のリークは、言い分を認めたのか小さく唸り、ドナは勝ち誇ったように頷く。この二人は衝突しがちではあるが、戦闘ではなんだかんだと息が合っている。普段もそうであれば、ペイルーズの仕事も減るのではあるが、高望みだと半ば諦めている。
せめて補佐役でもと横目で同じテーブルに着くマッティオを確認するが、挽肉と酸味のある果実を絡めた小麦料理を頬張るのに勤しんでいた。麺状に形成された小麦粉料理をこれでもかとフォークで絡め取り、飲み込んだまではいいが、喉に詰まり慌てて水で押し流している。
「マッティオ、パスタは逃げない。落ち着けよ」
「おい、マッティオ意地汚ねぇぞ。全部食う気かよ」
「あんた、食事の時だけ悪霊にでも取り憑かれてるんじゃないの」
先程までの言い争っていたことを棚に上げたリークとドナは、マッティオを非難する。ペイルーズに言わせれば彼らに大差などない。
「また、頼めばいいだろ。マッティオの食い意地は度が過ぎるが、身体をでかくするには、食い過ぎでも困らない」
マッティオは歳下にも関わらず、ペイルーズよりも身体が大きく、恵まれた膂力による槍捌きはアンデッド階層でも活躍を見せた。
「オークの挽肉パスタ二皿とオークの炙り焼き追加で!」
ペイルーズがテーブルから呼びかけると、厨房からしゃがれた返答が返る。そう時間は掛からず、テーブルが皿で埋まる。
ペイルーズは三人よりも四つ歳が上であった。本当は農村部から一人で飛び出すつもりが三人に懇願され、連れてきてしまったのだ。その上歳を理由に、なし崩しにリーダーに祭り上げられてしまう。迷宮での働き振りは優秀なのもまたタチが悪い。お陰で酒と煙草が増える日々を送りながらも、パーティーは悪くなく機能している。寧ろ順調とも言えた。
「水取って」
「ちっ、あたしを使わないでよ」
「たまには魚が食べたい」
「オーク肉が安いんだからそれで我慢しろ」
海洋国家と言える群島諸国では、漁業が盛んであり、魚は安価な存在であったが、ベルガナではオーク肉が無尽蔵に得られるために、逆転現象が生じている。ペイルーズも三食のオーク肉に辟易はしているが、安価で活力の源になる為、食べ続けなければならない。
「そういえば、魚じゃないけど、どっかの武装商船が中型のクラーケン仕留めたんだってさ」
「中型でも良くクラーケン仕留めたわね。海上魔術師が凄腕だったのかしら」
「クラーケンか、食べてみたいな」
「あんなバカ高い物買えない。どうしても食べたきゃニシンの塩漬けだ」
手の届かない食材に夢見るマッティオを現実に回帰させたペイルーズは、食事を再開させようとするが横合いからの声に手を止める。
「おいおい、なんだよ。ちょっと見ないうちに装備が立派になったな」
第二十階層を活動拠点とする中堅グループの冒険者であった。ペイルーズ達がベルガナの迷宮に潜り始め、交流のあるパーティの一つだ。
「十三層まで潜れるようになったからな」
リークは自慢するように、第十三階層で手に入れた新たな装備を取り出した。ペイルーズに言わせれば、趣味の悪い骨が合わさり溶け合った盾と槍であった。それでもダークスライム由来の黒色は鋼鉄並みの強度を保ちながら、骨の軽さを持ち、武具としては上等な一品。
「まさか、ボーンコレクターの盾と槍か!?」
中堅と呼ばれる冒険者ですら驚く品なのは間違いはない。ペイルーズですら知っているイレギュラーと呼ばれる魔物の一種だ。危険度で言えば第二十層後半から第三十階層の魔物であり、低層で出くわせば、手慣れた中堅パーティでも死傷者が出かねない厄介な相手であった。
「で、何処から盗んできたんだ」
冗談混じりに言う中堅冒険者に、持ち主であるリークが抗議の声を上げる。
「酷いっすよ。盗んでいません。落ちてたんですッ」
「はは、ボーンコレクターが落ちてるはずないだろう。ああ、まあ、今なら有りえなくも無いか」
笑い飛ばそうとした中堅冒険者も心当たりがあるのか、語尾を弱める。最近、低層から中層で打ち捨てられた死体が増えていた。それも外れの魔物ではない。素材として価値のある魔物までも打ち捨てられている。
「低層を素通りにしてるパーティが魔物を放置していくことは多いが、その手の手合いは狩場まで一直線。だがなぁ、最近の低層は放置された死骸が多過ぎる。まるで戦闘が目的のようだ」
「一人で迷宮に潜ってる傭兵がオークを剥ぎ取りもせず素通りしてたよなぁ」
「確かに、あの人が魔物を解体しているとこみたことないわね」
リースとドナの言う通り、最近現れた傭兵は魔物の素材を持ち帰っている様子はない。手付かずのボーンコレクターの遺骸もあの傭兵の仕業ではないかと、ペイルーズは疑惑を持っていた。
そんなペイルーズ達と中堅の冒険者の噂話に、酒場で飲んだくれていた風聞好きの冒険者が次々と集まり、あれやこれやと情報を持ち寄り始める。胡散臭い話や本筋から離れた雑談がまじり合う頃になり、また一人の冒険者が話に加わった。
「面白そうな会話してるな。本当に一人か?」
ベルガナの迷宮で、第三十階層以降に到達する希少なパーティー、そのリーダーを務めるファウストと呼ばれる男であった。中老を過ぎて尚、迷宮に潜り続ける熟練者であり、献身的なことに、中堅以下のパーティーへの助言も惜しまない。
「オークやグールとの戦闘を見てましたけど、斧槍一つで、五秒も掛からず、オークの群れがぶつ切りにされてました」
ペイルーズは迷宮内での戦闘を思い返す。あの傭兵は突き一つにしても信じ難い程に速く正確であり、至近距離を苦手とする斧槍にも関わらず、懐に入られても関係無しと地に沈めていた。
「斧槍一つか、それは凄いな」
ファウストは称賛の言葉を漏らした。それを聞いていた中堅の冒険者がからかい混じりに言う。
「第三十階層以降に潜れるファウストさんだって同じことできるでしょう。まあ、ひよっこ達の話だから、話半分の方がいいんじゃないですかね」
中堅冒険者の物言いにリークとドナは頬を膨らませんとばかりに不満げであった。ペイルーズは荒ぶる二人を宥めながら、単独で迷宮に潜る男の正体を掴もうとする会話に耳を傾ける。
「森林同盟か、共和国の修行者か」
「斧槍ってことは武僧では無さそうだがな」
「何処ぞの兵隊上がりかもな」
「どちらにしても単独とは、訳有りか奇特な奴だ。戦闘狂か?」
「さぁな。そういえば北部諸国の一国があんな鎧だった気もするがな」
「まあ、何にせよ。俺達の仕事の手間を減らしてくれるんだ。長生きできるように乾杯くらいしてやるさ」
結局集まった冒険者達は、答えを得られぬまま乾杯に合わせて酒を煽り、話題は流れていった。




