第三十六話
むせ返るような強烈な死臭が船に纏わり付く。何せ、原因である魔物の死骸は未だ取り除かれていない。クラーケンは死後も船に絡まり愉快なオブジェと化している。サハギンの死骸は船員を優に上回る数存在しており、その死に方は実に多種多様であった。
もはやサハギンだったモノの展示会と言っても過言ではない。あるサハギンはマストに槍で磔にされ、またあるサハギンはロープに絡まり頭部を砕かれていた。ウォルムはため息混じりで、船縁に引っ掛かっていたサハギンを海面へと蹴り落とす。突如開かれた不愉快な魔物の祝宴は終わりを告げ、参加者であった船乗り達は粛々と後片付けに励む。ウォルムは祝宴に遅れたり、お祭り気分の抜けない海の小鬼へ御退場を通告して回った。
「バカっ、引き摺るにも向きを考えろ!! 内臓が溢れてるぞ」
「うるせぇ! お前こそ目玉踏んで甲板を汚すんじゃねぇよ」
「巻き上げ機の修理が優先だ。どうせ暫くは自走できない」
「矢を引き抜いてから蹴り落とせ、可能な限り武器を回収しろ」
戦闘に従事していた船乗り達に休む時間は存在しない。サハギンの投棄に加え、激戦により損傷した船の修理箇所はあまりにも多過ぎる。その上、悪臭を放つ粘液に塗れ、クラーケンの解体と塩漬けまで並行して行わなければならない。粘液に塗れた男達の悲痛な声がウォルムにも届く。
「あぁあ゛ああ、畜生、臭過ぎる!!」
「うへぇ、最悪だ。下着の中まで入り込んできやがった」
「船を守ったのに、なんでこんな」
「文句を言うな。解体手当てが出るんだ。ぐだぐだ言わずに仕事を――うぇ゛ぇっ」
「甲板長も嘔吐いてるじゃないですか、ああ、臭いで頭が痛くなってきた」
あまりにも悍ましい光景であった。その中にはウォルムの案内役であり、海上魔術師でもあるサーシェフも混じっていた。小舟を下ろし、解体するにも限度がある。海の上を自由に移動できる海上魔術師には、慈悲も休息もないようだ。ウォルムが哀れんでいると、視線に気付いたサーシェフが粘液を垂らしながら手を振る。
「ウォルムも参加希望か、船長から小金貨が貰えるのに、欲張るんだな」
「冗談じゃない。誰が好んで粘液混じりの男の中に飛び込むか」
「つれないなぁ。船上で肩を並べた仲じゃないか」
「粘液が無いならまた肩を並べてやるよ」
戦闘に従事した結果、ウォルムは船長から褒賞を約束されている。これ以上でしゃばるつもりは微塵もない。それに直接散らかした分は、既に海に突き落とし片付けていた。
「ああ、そうだ。渡した武器を回収しないと――そもそも下はどうなっているか」
中甲板への昇降口を利用しようとするウォルムであったが、思い留まる。何せ、戦闘により階段の一部は破損しており、無理矢理に水夫達が往来している。そこに加われば通行の妨げになるだろう。ウォルムは破壊された甲板に眼を向ける。幸い、甲板に大きく開いた穴は、新たな出入り口とするには適している。
ウォルムは周囲を確認してから飛び降りた。柔らかく膝を使い、魔力により強化された下半身は着地の衝撃を完全に無力化する。ちょうど客室と名ばかりの間仕切りが施された寝床付近だ。近道であったとさえ言えた。
「う、おぉおお゛ぉッ!?」
静かに中甲板に降り立ったウォルムを出迎えたのは、船客達の悲鳴であった。幸い数は減っていないが、直上から突如現れたウォルムに大層肝を冷やしたらしい。湯気が出かねんばかりに抗議を始める。
「あんたか!? 寿命が縮んだぞ」
「斬りかかるところだった」
「悪戯も程々にして頂きたい」
「階段が、ああだと、ここから降りた方が早かったんだ。悪気はない」
「それなら一声掛けて頂きたい。上甲板に比べれば些事でしょうが。それでも私達にとっては音にも怯える修羅場ですよ」
行商人の視線の先には、暴れ回った触手の切れ端、数体のサハギンが横たわっていた。恐らくは外壁に開いた穴から侵入したようであったが、加減を知らない乗客の猛攻を受け、新鮮なミンチが出来上がっている。ウォルムは感銘のあまり頭痛を覚えた。
「そのようだな。寝床をキッチン代わりに、見事な肉の叩きを作り上げるなんて。今晩のディナーにするのか」
釣り床が並んでいた区画には刻まれ、叩かれ、柔らかくなった、もはやサハギンとは呼び難い物体がこびり付いている。なんとも素晴らしいことにウォルムの寝床もそこに含まれていた。船員達が平等主義を持ち合わせているようだ。
「それについては、素直に謝罪を。我々も余裕がありませんでしたから」
疲れ果てて木箱や樽に凭れ掛かる船客達を見れば、その言葉に嘘はない。ウォルムも過ぎたことをうだうだと繰り返す気はなかった。ただ少しばかり嘆きたい気持ちに囚われただけである。
「まあ、水に流して片付けにしよう。船員達もこちらにまで手が回らない。日が暮れるまでコレと同居したいなら別だが」
「うへ、こいつを処理するのかよ」
「仕方ない、臭いがこびりつく前に捨てちまおう」
サハギンの成れの果てを掴んだ船客達が、開口部と化した外壁から投棄していく。
「釣り床はどうする」
解体ショーに夢中となった成果が釣り床にも現れていた。臓腑に混じり、未消化の海産物が惜しげもなくへばりついている。
「洗いたいところですが、怪我人も多く、水は不足しているでしょうね」
行商人はわざとらしくちらちらとウォルムに視線を走らせる。
「お前な。これでも上甲板でクラーケンを焼き、サハギンを切り身にしたばかりなんだぞ」
「流石に皆さん、ただでやれとは言いませんよ。そうでしょう?」
行商人の問いに船客達は同意する。ここまでお膳立てされて断るのも流儀に反する。ウォルムは素直に白旗を上げた。
「分かった。幾つか手頃な桶の用意をしてくれ。その前に水を飲みたい奴は? 脱水になられても困る」
全員が挙手の声を上げる。人間給水器扱いはハイセルク帝国軍時代にて慣れたものだ。そう考えれば、賃金が約束されたこの状況も悪くはない。無造作に転がっていた空樽の一つを引き寄せ、座り込む。せっせと桶に水を補充しながらウォルムも桶の水をカップで掬い上げ飲み干し喉を潤す。
「貸した武器返却だ。もう必要ないだろう」
ウォルムは脇に積み上がる武器を拾い上げ、武器の手入れも始めた。愛用のロングソードも粘液で汚され、とてもではないがそのまま鞘に戻せない。装着していた鬼の面も拭いてやろうとするが、不思議なことに汚れ一つ付いていなかった。相変わらず得体の知れない面である。今は亡き軍神から褒美と称して賜ったが、呪いの面として扱う分隊の面々は正解だったのかもしれない。
とは言え、海に投げ捨て、次の日には枕元で怒気を持ち震えていたら、ウォルムの精神とて持たない。今のところ、顔を守る防具としては最上の物であり、吊るしておけばバイブレーションで起こしてくれる。少々変わり種の多機能目覚ましと思えば、有用であろう。
ウォルムは雑念に頭を回しながら、粘液を拭い、植物性の油を薄く塗った剣を魔法袋に仕舞い込んでいく。
「げ、刃こぼれしてやがる。まあ、仕方ないか」
手斧の一つが刃こぼれを起こしていた。素人が振り回したのだ、無理もない。幸いにして小さな欠けであり、気にせず使うか、砥石で削り刃を整えれば支障はないだろう。尤も、日頃ウォルムが愛用するものでは無く、頃合いを見て売り飛ばすつもりである。
刃こぼれした手斧を魔法袋に収納したウォルムは、手も止めず振り返りもせずに言った。
「何だ、気になるのか?」
「……まぁ、希少なものですからね」
悪びれもせず、行商人はウォルムに答えた。それもそうだろう。大量の荷物を抱える彼からしたら魔法袋は喉から手が出るほど欲しい品に違いない。
「売りはしないぞ。一応言っておくが――」
「それ以上の言葉は必要ありません。あれだけ甲板で暴れ回ったあなたから、物を盗むほど、愚かな人間は居ませんよ。それに、その眼で見られては敵いません」
戦闘直後で気が高ぶっていたらしい。ウォルムは首を一掻きしてから、言葉を紡ぐ。
「それは悪かったな。言い過ぎた」
「いえ、私も手斧を刃こぼれさせたことを許して貰えるそうなので」
「……ちっ、魔法袋が気になったかと思えば、言質を取りに来たのか。わざわざ名乗り出て、義理堅いんだか計算高いんだか」
ぼやいてはいたが、毒気をすっかり抜かれたウォルムは行商人を責める気も起きない。中甲板を見渡せば、行商人を始めとする乗客は寝床の清掃と釣り床の洗濯に励んでいた。これが客とは信じられない。まるで雑用を熟す使用人や下男の群れであった。
そんな光景に憤ることも無く、愉快そうにウォルムは一人、笑い続ける。
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クラーケンくんとサハギン共のお陰ですね(苦笑)
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