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濁る瞳で何を願う ハイセルク戦記  作者: とるとねん
第二章

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第三十五話

 うんざりする程の耐久性、巨躯に裏付けられる膂力を誇ったクラーケンを討ち滅ぼした船乗り達であったが、勝利の余韻に浸る暇も無く、甲板上で矢継ぎ早に指示が飛び交う。


「破損個所の把握を急げッ」


「負傷者を中甲板まで下げろ、班長は無事な奴の人数を知らせに来い!!」


「予備のセイルと帆の用意はまだなのか」


「船底の浸水はどうなってんだ」


「海水の流入はどうにか落ち着いたぞッ」


「監視を怠るなよ。直ぐに奴らが来やがる!!」


 クラーケンは海上で力尽き、戦闘は終結したはずであった。そうだと言うのに、聞き捨てならない不穏な言葉を耳にしたウォルムは、甲板長へ詰め寄った。


「なんだ、蛸の次はサメでも来るのか」


 乱造される海洋パニック映画を思い出したウォルムは、うんざりするように言った。


「この近海には大鮫は居ない……筈だ。それよりも、海の小鬼共が来る」


「おい、海の小鬼って……ああ、分かった。もういい。見えた」


 見知らぬ言葉を受け、詳しく情報を聞き出そうとしたウォルムであったが、波の切れ目に押し寄せる軍勢が眼に飛び込んでくる。小鬼(ゴブリン)に類似した深緑の肌、口には肉食魚を連想させる牙が並び、背中には尾てい骨の位置まで達した背びれが伸びる。


「作業中止、作業中止ッ、サハギンが押し寄せてくるぞォ」


「海の汚物共に獲物を横取りにさせるな。このままだと賃金無しで働くハメになるぞ」


 驚くべきことに、ウォルムや船員達が討ち取ったクラーケンを、サハギンとやらに一欠片も与えるつもりが無いらしい。 


「あんな臭い塊、くれてやれば――」


 唖然とした甲板長は呆れ顔でウォルムに言い聞かせる。


「冗談を言うな。あの死骸は宝の山だぞ。触手は滋養強壮に効き、死人の陰部ですら立ち上がるって言われてんだ。元気の失せた貴族共が硬貨袋を引っ提げて買いにくるぞ。胆や嘴は薬や触媒の材料にもなる。奴らにくれてやる分など存在しない」


 そう言われてしまえば、ウォルムも否定することはできない。船の状況はあまりにも悪い。マストこそ健在であったが、帆を吊るすヤードの片側は全て折れ曲がり、甲板や外壁には幾つもの穴が穿たれている。これらを万全の状態に戻すまでにどれ程の金貨が必要になるか――素人であるウォルムには想像もできない。


「ウォルム、まだ魔法を使えるなら、近付かせる前に数を減らしてくれ。あの数との斬り合いはしんどい」


 海を走り回っていたサーシェフが甲板へと復帰していた。笑顔こそ絶えていないが、疲労は色濃く残っている。戦闘と作業により他の船員達も疲弊しており、このまま白兵戦に縺れ込めば、被害は著しく増加してしまう。


「ああ、泳いで帰るのは御免だからな」


 魔力を練り上げたウォルムは、発現した火球を撃ち込む。大挙して押し寄せていた群れの先頭が爆炎に飲まれ、血飛沫を撒き海を赤く染める。海面近くでは、爆発の衝撃で内臓を口から吐き出す個体も居た。火球を数度繰り返したところでようやく学習したのか、サハギンは海中へと一斉に姿を消す。


「おい、見えないぞ!!」


「潜りやがった。注意しろ。奴ら一斉に来るぞ」


 ウォルムはサーシェフと背中を合わせ、五感を研ぎ澄ませる。不気味に静まり返った船の上だが、新たな訪問者に鬼の面が小うるさく振動して歓迎を始める。


「分かった。着けてやるから震えるな」


「うへ、ウォルム、なんだ。その趣味の悪い面は」


 背中を合わせていたサーシェフが、気味悪がって後ずさりした。ウォルムも同意したいところであるが、顔に装着したまま振動されてはたまらない。余計な言葉は吐かなかった。気を取り直したウォルムが軽く息を吐き、視野を広く保つ。前触れもなく船を取り囲むように水飛沫が上がる。その全てが海面から飛び上がったサハギンによるものだった。


「来たぞ、皆殺しにしてやれ!!」


 甲板長が吠え、飛び掛かるサハギンに手斧を叩きつけた。肩口から胸元まで裂かれたサハギンは、耳障りな金切声を上げて倒れ込む。ウォルムもそれに倣い、掴みかかって来るサハギンの腕を斬り飛ばすと、手首を切り替えして首を飛ばす。


 獲物には困らなかった。海面に見えていたサハギンは全体の一部にしか過ぎず、次々と海から湧き出てくる。友好を深めようとする魚人に、ウォルムはロングソードで応える。突き入れた剣先が喉元に吸い込まれるが、サハギンはそれでも歩みを止めない。大した熱意であるが、その程度ならばダンデューグに襲来した魔物でもざらに居た。


 手首を捻り、部位を抉り取れば、サハギンは大人しく甲板で眠りについた。引き戻したロングソードを他のサハギンに振るおうとしたウォルムだったが、甲板に残された粘液により足元が滑る。好機とばかりに二体のサハギンが間合いを詰めてきた。


「あの軟体野郎、死んでも迷惑掛けやがって」


 滑りだした右足を下手に逆らわせず、残る左足を軸にウォルムは回転する。振り返った時には、手が届く距離にサハギンが居た。刀身に魔力を流し込み発動した《強撃》は、サハギンの腰から肩までを横断し、泣き別れにする。


 残るサハギンの腕がウォルムを掴み、愛しき恋人のように抱き寄せる。顎を開き、生臭い息と共に不揃いの牙が大気に晒された。ウォルムは姿勢を下げながら甲板を蹴り上げると、ぬめり気のある腹部に肩を押し付け、牙から逃れる。前のめりにウォルムへ被さったサハギンの足首を、刃先で刈り取りそのまま押し倒した。支えを失ったサハギンは、抵抗もできずに甲板で這いずるが、ロングソードが頭部を割ると、痙攣して動かなくなる。


 同胞の亡骸を踏みつけ、サハギンは押し寄せてくる。ウォルムは甲板に散乱していた弩用の矢を視野に捉えると、ロングソードを甲板に突き刺して纏めて拾い上げる。蛮行を目撃したサーシェフから苦情の声が上がるが、生憎ウォルムは忙しく、聞く耳を持たなかった。


「いいのがあるじゃないか」


 ウォルムは矢の一本を軽く握り込み、魔力を解き放つ。


「《リリース》」


 魔力により圧縮された空気により矢が飛び出す。鋭く伸びた矢は、サハギンの眉間へと吸い込まれ、足を滑らせたように甲板へと倒れ込んだ。地上では優れた火力を発揮する火属性魔法であるが、こと船上白兵戦に関しては威力過多を否めない。


 矢を媒体とした風属性魔法は、船上戦闘に於いて威力も予備動作も優れる。機嫌を良くしたウォルムは惜しむことなく矢を撃ち込んでいく。元々ウォルムの物では無い上に、雑に扱ったところで、この非常時であれば大目に見られる。


 四体に矢を打ち込んだところで、サハギンが剥がれ落ちた板材を盾に迫る。その後ろには棍棒や鹵獲した直槍を構えたサハギンが続く。ウォルムにとっては、損害も考えずに無数のサハギンに飛び掛かられた方が脅威であった。盾代わりの板材は視野を阻害する。死角から滑り込んだウォルムは、無防備な膝をヒレごと絶つ。片足の自由を失ったサハギンは、その場で踏み留まるが、後続と衝突を果たし、縺れ合いながら転倒した。


 手頃な位置に現れた二つの頭部を逃すほど、ウォルムも甘い男ではない。二度切っ先が振る舞われると、サハギンの首は断ち切られる。最後に残ったのは、直槍を持つサハギンだった。腰で構えた槍がウォルムを目掛けて突き出される。


 槍先は刀身の腹で軌道を上方へと逸らされ、身体が交差する。振り返りウォルムと対峙するサハギンであったが、首筋から血が溢れ出す。水気交じりのか細い息を漏らし、槍を落として虚空へ両手を伸ばすが、海の小鬼は何も掴めぬまま、甲板に骸を晒した。

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― 新着の感想 ―
たこ焼きパーティーだ!
[良い点] うわあ納得、襲撃者に船代払わせられるなら逃す手はないわな、手が足りてるかは知らんが。 あれ、と言うことは上手くいってしまうと陸まで臭いと付き合うことになるのか…
[一言] 安定の面白さ、最近冥府の鬼火使わねーなー舐めプかな?と思ったけど木材の上で放火したら自爆な事を忘れてた。 こういう時鬼火を補佐する小道具も欲しいですね。 バズーカ砲持って鬼火ビームを撃つと強…
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