95話 零号の記憶:失敗作たちの挽歌(終章)
敵国の絆と冷たい論理の裏側
訓練施設には、もう一人、私にとって最も困難な課題をもたらす候補生がいた。コードネーム103号、名をカイといった。彼女は、大皇国との戦闘で捕虜となった敵国の優秀な兵士の娘であり、その出自ゆえに、私たち大皇国側の候補生を激しく、そして心底から憎んでいた。
「お前たちは、俺たちの国を滅ぼした悪魔の道具だ!お前らの存在そのものが、この世界の最大の非合理だ!」
カイの怒りは純粋な炎だった。彼女は訓練で私を激しく敵視し、戦闘シミュレーションでは、私を殺すつもりで剣を振るった。彼女の剣技は洗練されていたが、感情的すぎるがゆえに、私の冷徹な論理の前に常に敗北した。しかし、その都度、彼女は私の冷たさを激しく罵り、その感情は、この冷たい施設の中で唯一の生きた反逆だった。
致命的なミスと「非効率な」救命
ある日、雪が降りしきる屋外での過酷な負傷訓練が課せられた。これは、カミの知識のプロトタイプを極限状況で試すための、実質的な処刑場だった。カイは、周囲の状況判断で致命的なミスを犯し、敵の罠に嵌り、足元に仕掛けられた爆薬の破片で腹部を深く抉られた。
「クソッ…!」
カイは動けなくなり、処刑を執行するための教官たちが、銃を構えてゆっくりと近づいてきた。彼女のデータは「非効率なリソース」として抹消される寸前だった。
その瞬間、私が動いた。私は、その時学んだばかりの「非効率な、連携と救命の論理」を、自身の体に刻まれた知識の中から瞬時に抽出した。
私は教官たちの死角に入り込み、彼らの注意を逸らすために、あえて「不必要な防御行動」を取った。それは、自らの命を危険に晒す、最も非合理的な行動だった。教官たちが混乱した一瞬の隙に、私はカイの元へ滑り込んだ。
私は、彼女の傷口を塞ぎながら、その冷たい目で教官を見据えた。私の声は、明確な警告を放っていた。
「手を出すな。103号は、知識のプロトタイプへ至るための、貴重なデータだ。この段階での損失は、究極の非効率だ」
私の言葉は、あくまで論理的な防御だった。だが、私の手は、彼女の命を繋ぎ止めようと、その傷口を懸命に押さえつけていた。
信頼という非合理の光
施設に戻され、治療を受けているカイは、掠れた声で私に尋ねた。
「…なんで、俺を助けたんだよ。俺は、お前らを憎んでいる」
彼女の瞳は、私への憎しみではなく、深い困惑と、理解できないものを見たかのような混乱に満ちていた。彼女は、私という冷徹な論理の塊が、自らの命を危険に晒してまで、憎むべき敵を救うという非合理な行動を取った理由を理解できなかった。
「お前の存在は、我々の技術に新たな変数をもたらす。その変数を知るには、お前は死んではならない。それが、今の時点での最も合理的な結論だ」
私は、いつものように冷たく答えた。だが、カイは、私の言葉の裏に隠された、人間的な行動の衝動を、鋭敏な直感で理解していた。
彼女は静かに微笑んだ。その笑顔は、一号の奔放な光とは違う、戦場で生死を共にした者だけが持つ、深く重い信頼の光だった。
「そうか。お前の言う非効率は、案外悪くないな。零号。お前は、この施設で唯一、矛盾を抱えて生きている」
それ以来、カイは私を信じ、共に訓練を乗り越える戦闘の相棒となった。彼女は、私に「信頼」という、論理では測れない絆を教えてくれた。彼女は、私が憎しみを乗り越えるための、未来への希望の片鱗だった。




