94話 知識の監獄、過去の影
セバスチャンは、襲いかかってくる数名の技術者たちと対峙していた。彼らは軽度の人体強化を受けているとはいえ、その動きは訓練された兵士とは比べ物にならないほど非効率的で、ただ研究を守るという狂信に突き動かされていた。
セバスチャンは、精密な動作で彼らを無力化していく。しかし、彼の心には、この場所の異常さに対する疑問が募っていた。
「封鎖された極秘部門に、なぜこれほどの人員が残っている…」
彼は、技術者たちの白衣に縫い付けられた、研究チームの古いコードに気づいた。彼らは、アザトースの支配が確立する前に、この非人道的な研究に没頭し、自らの意志でこの地下に留まり続けた狂信者たちだった。知神アザトースは、彼らの存在を「非効率な残留物」として黙認していたに過ぎない。
セバスチャンは、彼らの狂信が、かつての自分を生み出した技術への盲信と同じであることを理解し、冷たい怒りを覚えた。
彼は、技術者たちを次々と無力化し、奥へ進んだ。その都度、彼は無意識に、彼らの関節の急所を突く。その正確すぎる動作は、彼自身の体が、この非人道的な技術の極致であることを証明していた。
東條は、レオンハルト殿下と本物のリリアーナのそばに寄り添い、贖罪の念から、震える声で情報を与えた。
「零号、気をつけてくれ。一番奥の『中央演算室』だ。そこに…アザトースが残した知識のプロトタイプがある。そして、その部屋には…お前の…原型のデータも…」
中央演算室の真実
セバスチャンは、東條の言葉を聞きながら、奥の重厚な金属扉を蹴破った。
そこに広がる中央演算室は、冷却装置の蒸気が激しく噴き出す、異様な空間だった。部屋の中央には、古びた巨大な演算装置が鎮座し、その前面には、アザトースの青い紋様が施された記憶装置が埋め込まれていた。
そして、その記憶装置の横には、もう一つ、小さな透明なポッドがあった。
ポッドの中には、黒い液体に満たされた、何も着ていない人間の姿が浮かんでいた。その体は、セバスチャンと同じように、全身に黒く太い血管の痕が走っている。
「あれは…」
東條の言葉が、震えて途切れた。
「あれは…お前の、失敗の記録だ。お前を完成させるために、事前に用意された、予備の肉体だった。我々が、お前の感情の排除を失敗した際、**『次の零号』**として使う予定だった…」
セバスチャンは、目の前の光景に、全身の血が凍りつくのを感じた。目の前にいるのは、彼と同じ、**『零号』**として生まれるはずだった、もう一人の自分。
彼の冷徹な執事の仮面が、完全に剥がれ落ちた。
「俺は…」
その瞬間、セバスチャンの脳裏に、激しい光と共に、押さえつけていた過去の記憶がフラッシュバックした。
ポッドの中で、液体に浮かぶもう一人の「零号」。そして、白衣を着た東條の声。
『感情は非効率だ。排除せよ』
『これは秩序のためだ、零号』
ポッドの隣で、幼い自分が、白い壁を見つめ、無機質な声で命令を受けている。
そして、最後に、血に染まった床。自分が、初めて感情を発露させた瞬間に、自分の手で誰かを殺めてしまった、忌まわしい記憶。
セバスチャンの瞳は、絶望と、過去への憎しみで燃え上がった。
彼は、自らの忌まわしい過去の記録と、その知識の根源を前に、立ち尽くした。




