77話 帝国への旅路
オイコット帝国――その名は「大皇国」として大陸東方に君臨する。人類の人口の三割を擁し、急速な近代化と鉄の規律で知られるこの国は、大陸の中心にある三国にとって、古くから謎と畏怖の対象だった。
私たちは、大皇国との接触という、極めて困難な外交任務のために、再び船出した。船室には、クロード王子、私、そしてレオンハルト殿下の三人が、大皇国の地図を広げていた。
「大皇国を説得し、運命の壁を築くための力を借りる。これが最後の任務となる」
クロード王子の声は落ち着いていた。しかし、彼の瞳の奥には、憎しみとは別の、新たな不安が宿っているのが私には分かった。
「大皇国の言語と文化は、我々とは大きく異なります」
レオンハルト殿下が、資料を広げた。
「彼らの行政は『内務省』、軍事は『陸軍省』が絶対的な権限を持ちます。彼らの名乗りは姓から始まり、例えば、彼らの最高指導者は『黒鉄元帥』、実務を仕切る女性官僚は『白鷺文官長』です」
「明治時代…」私は、元の世界の知識を思い出した。急速な西洋技術の導入と、強固な伝統的な精神構造が混ざり合った、極めて排他的な国家構造だ。
「彼らは、大陸中心部の王制を『古き封建的な体質』として軽蔑しています。我々がカミの話をしたところで、妄言として一蹴されるでしょう」
クロード王子は、レオンハルト殿下の言葉に頷いた。
「カミの話はしない。彼らが理解できる『秩序の維持』と『人類の未来』という合理的な言葉で説得する。彼らは、感情ではなく、国益で動く」
しかし、私の胸には、拭えない不安があった。知神アザトースから得た知識にも、本物のリリアーナの古文書にも、大皇国がカミと関わっているという記述はなかった。にもかかわらず、これほどの巨大な勢力が、大陸の運命を左右する最終局面に、全く関与していないというのは、あまりに不自然だった。
「クロード王子。大皇国が、私たちを拒否した場合、どうするのですか?」
私の問いに、クロード王子は、一瞬、瞳を閉じた。
「拒否は、秩序の崩壊を意味する。そうなれば、彼らを説得することは合理的ではない」
彼の口から出る「合理的」という言葉が、私を不安にさせる。彼は、憎しみを捨てた代わりに、冷徹な論理を武器にしているのだ。
「しかし、私たちは、平和的な説得の道を選ぶ。彼らの協力を得てこそ、この世界の運命の壁は完成する」
船は、大皇国の海域へと入った。
視界が開けると、そこには、蒸気機関の煙を上げ、巨大な鉄の軍艦が威圧的に浮かんでいた。我々の船を護衛などではなく、監視しているのだ。
大皇国の都――帝都・暁。その都の空は、近代化の象徴である工場の煤煙と、厳格な軍事規律の張り詰めた空気で覆われていた。
私たちの船は、威圧的な軍艦に挟まれ、港へと誘導されていった。




