72話 混沌の島、エオルス
数日間の航海を経て、私たちはエオルス島の港に到着した。
船から降りた瞬間、島全体を覆う異様な静けさと張り詰めた空気に気づいた。武神の力が作り出した混沌は、戦争の喧騒とは違う、じわじわと魂を蝕むような負の感情で満たされていた。
港町は、まるで時が止まったかのように静まり返っている。住民の姿はほとんど見えず、開いている店もない。
「武神は、既に深く干渉しているようです」
レオンハルト殿下が、周囲を警戒しながら言った。彼は、ライオネルの死という悲しみを胸に、冷静に状況を分析していた。
クロード王子は、周囲の負の感情の渦を、冷徹な目で観察していた。
「この島に、憎しみの種が蒔かれている。知識によれば、武神は島の王族を標的にし、彼らの間の裏切りを利用して、この島の運命を混沌に陥れようとしている」
私たちは、島の中心にある王城を目指して歩き始めた。道中、ようやく数人の住民に出会ったが、彼らは皆、目を伏せ、互いに不信感を抱いているような、重い空気の中で生活していた。
「見て、クロード王子」
私は、道端で泣いている少女を見つけた。彼女は、抱きかかえていた人形を、別の少年に奪われそうになっていた。
「私の人形よ!返して!」
「うるさい!お前のお父さんが、俺の家の魚を盗んだんだろ!」
些細な諍いが、憎悪の連鎖を生み出している。武神の力は、人々の心に潜む小さな不信感を増幅させ、憎しみに変えているのだ。
「武神の目的は、この島の運命の連鎖を、憎悪という最も予測しやすく、強力なエネルギーで完全に書き換えることだ」
クロード王子は、冷静に言った。
王城にたどり着くと、城門は固く閉ざされ、重武装した兵士が立っていた。彼らの表情は、外部の敵よりも、むしろ内部の裏切り者を警戒しているようだった。
私たちは、フレイア王国とオーロリア王国の王族の資格を提示し、なんとか城内に入ることができた。
城内は、外の静けさとは打って変わり、緊迫した空気が流れていた。王族や高官たちは、互いに目も合わせず、小さな密談を繰り返している。
クロード王子は、城の歴史と現在の王族の構成を、頭の中で分析していた。
「エオルス島の王族には、代々伝わる**『太陽の証』という宝があり、それが王位継承の絶対条件だ。現在の国王には、二人の王子がいる。知識によれば、武神は、この太陽の証を巡る王位継承争い**に干渉している」
その時、一人の高官が、私たちの前を通り過ぎながら、冷たい視線を投げかけてきた。
「大陸の王族が、何の用だ?この島の混乱に、手を出すな」
私たちは、彼らの不信感が、既に臨界点に達していることを悟った。
「リリアーナ。憎しみの連鎖を断ち切る機会は、一度しかない」
クロード王子は、私の手を取り、静かに言った。
「武神が、裏切りの決定的な瞬間を待っている。その瞬間に、お前の赦しのエネルギーを、千鶴の杖で解放する。それが、武神を討ち、この島の運命を救う、唯一の道だ」
私たちは、憎しみのエネルギーが最も集中する、王城の最奥部へと向かった。




