36話 因果を紡ぐ者
私たちは、遠くで聞こえる鬨の声と、燃え盛る炎を、ただ見つめることしかできなかった。千鶴を倒したという勝利は、あまりにも虚しいものだった。
「どうして…どうして間に合わなかったの…?」
私は、絶望に満ちた声で、そう呟いた。
「もう…全て、終わってしまったのね…」
その時、倒れていた本物のリリアーナが、ゆっくりと顔を上げた。
「いいえ…まだ…」
彼女は、震える手で、地面に倒れている千鶴の杖を指差した。
「千鶴の能力は、因果律を操る能力…!それを…クロード、あなたなら使えるはずよ!」
本物のリリアーナの言葉に、クロード王子の顔が、驚きと困惑に染まる。
「俺が…?」
「武神の血を持つあなたは、カミの力に最も近い存在。その力で、千鶴の能力を、無理やりにでも、引き出すことができるはず…!」
本物のリリアーナは、そう言って、クロード王子に、必死に語りかけた。
「でも…そんなことをすれば…」
クロード王子は、躊躇した。カミの力は、彼に、家族を失うという悲劇をもたらした。その力を、再び使うことを、彼は、恐れていた。
「いいえ…!その力は、私たちを不幸にするためにあるのではない!この悲劇を、なかったことにできる、唯一の希望よ!」
本物のリリアーナは、そう言って、クロード王子の手を、千鶴の杖に導いた。
クロード王子は、迷いながらも、その杖を、ゆっくりと握りしめた。杖から、黒い靄のようなものが、クロード王子の手に流れ込んでくる。
「クロード…!」
私は、不安な気持ちで、彼の名を呼んだ。
「大丈夫…俺は、もう、愛を信じない。この力は、愛のためではない…ただ、この悲劇を、終わらせるために、使う」
クロード王子は、そう言って、瞳を閉じた。彼の体から、赤い光が、溢れ出す。それは、彼の体内に流れる、武神の血の光だった。
「因果律…」
クロード王子は、静かに、そう呟いた。
「この世界の、悲劇の始まり…あの交渉の瞬間に、戻る」
彼の体から溢れ出した赤い光と、千鶴の杖から流れ出す黒い靄が、一つになった。
光と靄が、渦を巻き、私たちの体を、包み込んだ。
「クロード…!」
私は、不安と、わずかな希望を抱きながら、クロード王子の名を呼んだ。
そして、私たちの意識は、光に飲み込まれた。
次に目が覚めた時、私たちは、再び、あの古城の会議室にいた。
目の前には、依然として硬直したままの、ヴァーレント王国の全権大使。そして、部屋には、千鶴の姿はなかった。
クロード王子は、顔色を悪くしながらも、千鶴の杖を握っていた。
「成功…したの…?」
私は、震える声で、クロード王子に尋ねた。
「ああ…」
彼は、そう言って、力なく頷いた。
遠くから、鬨の声は聞こえない。燃え盛る炎もない。
私たちは、戦争が始まる直前に、時間を戻すことができたのだ。
私たちは、千鶴の策略を打ち破り、戦争という悲劇を、なかったことにした。
だが、クロード王子の顔は、喜びに満ちてはいなかった。
彼は、因果律を操り、この世界の運命を、自らの手で書き換えた。
その代償は、一体、どれほどのものなのだろうか。
私たちは、勝利した。しかし、その勝利は、あまりにも、重いものだった。




