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嫌われようと努力したのに、今日も攻略対象に追いかけられています。  作者: 限界まで足掻いた人生


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237話 良い名前

腹が減った。もう、痛みさえ感じなくなってきた。


俺がこの、キラキラした変な世界に迷い込んでから、五日が経つ。 元の世界では、ドブ川の水を飲んで泥をすすって生きてきた。でも、ここの川の水は驚くほど透き通っていて、冷たくて美味かった。それだけで、なんとか命を繋いできたけれど……もう限界だ。


路地裏の湿ったコンクリートに背中を預け、俺はふらつく足で立ち上がった。 路地を抜けると、そこは別世界だった。 石畳の広い道。両脇には見たこともない立派な木が並び、ガラス張りの店が輝いている。 道を行き交う人々は皆、綺麗な服を着て、笑っていた。


(眩しいな……)


俺みたいな汚いガキがいていい場所じゃない。 誰かに石を投げられる前に逃げなきゃいけないのに、足が前に出ない。 視界が白く霞んでいく。地面が迫ってくる。


あぁ、このまま死ぬのか。 誰も俺のことなんか見ちゃいない。俺には、名前を呼んでくれる親も、帰る家もないんだから。


ドサッ。


地面にぶつかる衝撃を覚悟した。 けれど、俺を受け止めたのは、硬い石畳じゃなかった。 甘い、花のような香りと、柔らかい温もり。


「危ない!」


頭上から、鈴を転がしたような綺麗な声が降ってきた。 薄目を開けると、金色の髪をした、お姫様みたいな女の人が、俺を抱きかかえていた。


「……み、みず……」


「待ってて。……これ、食べて」


お姫様は、手に持っていたバスケットから、包み紙に入った何かを取り出した。 ふかふかのパンに、肉と野菜が挟まっている。まだ誰も口をつけていない、新品のご馳走だ。


「え……?」 「いいから。食べなさい」


俺は、獣みたいにそれに食らいついた。 美味い。涙が出るほど美味い。五日ぶりの食事は、身体の芯まで染み渡った。



落ち着いた俺から話を聞くと、お姫様――リリアーナさんは、悲しそうな顔をした。 俺があの日、光の柱に触れて、時空の裂け目に巻き込まれてここに来たことを、彼女は信じてくれた。


「……送り返してあげましょうか? 元の時代へ」


彼女の提案に、俺は激しく首を横に振った。 身体が震える。あそこには戻りたくない。


「イヤだ……! 帰りたくない……!」 「どうして?」 「あそこには、誰もいないんだ……。父ちゃんも母ちゃんもいない。誰も僕を見てくれない。……寒くて、ひもじくて、寂しいだけなんだよ……!」


元の世界に戻れば、俺はまた一人ぼっちだ。飢えて、誰かに殴られて、野垂れ死ぬだけだ。


リリアーナさんは、俺の汚れた顔を、綺麗なハンカチで拭ってくれた。 その瞳は、どこまでも優しかった。


「なら、帰らなくていいわ。……ここで、私たちと一緒に暮らしましょう」


「え……?」


「この世界には、美味しいものも、暖かい服もたくさんあるわ。それに何より……」


リリアーナさんは顔を上げ、通りの向こうに向かって、大きく手を振った。


「おーい! みんなー!」


彼女の視線の先。 輝くような大通りの向こうから、数人の男女が歩いてくるのが見えた。


(……あ。あの人たち……)


先頭を歩くのは、背の高い男の人。 クロードというらしい。鎧なんか着ていない。ラフな白いシャツの袖をまくり、風に髪をなびかせている。その顔には、俺が大人に対して抱いていた「怖さ」なんて微塵もない。彼は、リリアーナさんを見つけて、太陽みたいに笑った。これからは、剣ではなくその笑顔で、彼女と国を守っていくんだろう。


その後ろで、二人の男が楽しげに言い合いをしている。 ライオネルとレオンハルト。堅苦しい軍服じゃなく、動きやすそうなジャケット姿だ。二人は時折、子供みたいに肩を突き合っている。きっと、これからもずっと、一番の親友として、この平和な世界をふざけ合いながら歩いていくんだ。


少し離れたところには、眼鏡をかけた知的な男と、凛とした女の人がいる。 セバスチャンとカイ。セバスチャンは眼鏡をかけ直し、カイは……すごく可愛らしいワンピースを着ていた。彼女が何か話しかけると、セバスチャンが困ったように、でも嬉しそうに微笑む。自分の意志で恋をして、生きている人間だ。


そして、彼らの輪の中心で、地図を広げて議論している二人の女性。 この世界の本物のリリアーナと、ミサキという人だそうだ。世界中を飛び回る研究者コンビとして、最高に楽しそうな顔をしている。


(みんな、笑ってる。誰も死んでない。誰も、悲しんでない)


俺の胸が、温かいもので満たされていく。 ここなら。この人たちとなら。


リリアーナさんは、呆然としている俺に向き直り、尋ねた。


「ねえ、君の名前は?」


俺は、鼻をすすりながら、小さな声で答えた。


「……耕太コウタ


リリアーナさんの目が、少しだけ大きく見開かれた気がした。 彼女は、俺の頭を優しく撫でた。


「コウタ。……とっても、いい名前ね」


「……え?」


「強そうで、でも優しい響きだわ。『武神』なんかよりも、ずっとずっと素敵な名前よ」


コウタは、照れくさそうに、でも嬉しそうに初めて笑った。 その笑顔は、かつて彼女が守り抜いた、幼い日のクロードの笑顔と同じくらい輝いていた。


「リリアーナ!」


クロードたちが、俺たちの元へ駆け寄ってくる。 彼らは俺を見て、一瞬驚いた顔をしたが、リリアーナさんが微笑んで頷くと、すぐに俺を温かい輪の中へと迎え入れてくれた。


「ほら、コウタ。行こう」


リリアーナさんは俺の手を引き、歩き出した。



「まったく、リリアーナはすぐにいなくなるんだから」 「目が離せませんな、お嬢様は」 「姫、これからは私たちがついていますからね!」


クロード、セバスチャン、レオンハルト……みんなが口々に言いながら、私を取り囲むように歩調を合わせる。 その距離は近くて、温かくて、そして少しだけ騒がしい。


ふと、私は空を見上げた。 かつて、私はこの世界を、破滅の運命が待つ「乙女ゲーム」だと思っていた。 断罪を回避するために、必死に悪役令嬢を演じて。 運命に抗って、神々と戦って、時を越えて。


そうして辿り着いた、誰も欠けることのない「今」。


私はもう、嫌われる必要なんてない。 けれど、彼らの過保護ぶりと、私に向ける熱っぽい視線を見ていると、ふと思うのだ。


私の苦労は、これからも続きそうね、と。


私はコウタの手を握り直し、隣を歩くクロードに微笑みかけた。 最高のハッピーエンドの先も、私たちの物語は続いていく。


そう。 嫌われようと努力したのに……今日もまた、攻略対象に追いかけられてます。

【完結御礼】ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


第1話の「嫌われようとする悪役令嬢」から始まり、神々との壮絶な戦い、そして時を超えた再会まで……全237話という長い旅路にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。 皆様の応援があったからこそ、リリアーナたちを最高のハッピーエンドまで導くことができました。


もしよろしければ、読み終えた今の率直な感想や、お気に入りのシーン、好きになったキャラクターなどをコメントで教えていただけると嬉しいです! 「ここが熱かった!」「あのキャラが生きててよかった!」など、一言だけでも頂けると、作者としてこれ以上の喜びはありません。


皆様からのコメントを励みに、これからも創作活動を頑張ります。 最後まで見届けてくださり、本当にありがとうございました!

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