227話 拒絶する論理と、泥の中の呼び声
「中にいるアザトースに……呼びかける!?」
リリアーナは、目の前にそびえ立つ肉塊の山――【万魔の豊穣神】を見上げ、絶句した。 物理的にも概念的にも「消化」されかけている存在に干渉するなど、正気の沙汰ではない。
「そんな無茶な……! 相手は神よ? しかも、一度は敵対した相手に……!」
「無茶でもやるのよ! 『不確定な要素』こそが、あなたの武器でしょ!」
ミサキが叫び、本物のリリアーナが魔術陣を展開して解析データを送ってくる。
「ユナ(リリアーナ)さん、私が座標を固定します。あなたの**『擬似的なカミの知恵』**なら、アザトースの論理波長に同調できるはずです!」
仲間たちの道切り
躊躇うリリアーナの背中を、クロードが叩いた。
「行け、リリアーナ。お前が話している間、奴の注意は俺たちが引きつける!」
「クロード……」
「道は、わてらが作る!」 千代が杖を振り、極彩色の混沌でアナザーの視界を塞ぐ。 ライオネルとレオンハルトが左右に展開し、触手の嵐を斬り払う。 セバスチャンとカイが、演算の余剰リソースを全てリリアーナの精神防壁に回す。
「皆様の想い、無駄にはしません……!」
リリアーナは覚悟を決めた。彼女は剣を捨て、両手をアナザーの腹部にかざした。 体内の奥底で眠っていた**『擬似的なカミの知恵』**を総動員し、物理的な距離を超えて意識を飛ばす。
「繋がりなさい……! アザトース!!」
胃袋の中の対話
リリアーナの視界が反転した。 そこは、ドロドロとした暗闇と、耳障りな咀嚼音が支配する、精神の胃袋の中だった。 あらゆる概念が溶かされ、アナザーの養分へと変換されていく濁流の底に、彼はいた。
体育座りで膝を抱え、青い光を失いかけている少年、アザトース。
『……アザトース!』
リリアーナの呼びかけに、少年は虚ろな瞳を向けた。
『……リリアーナか。なぜここに来た』
『あなたを助けに来たの! あなたが内部から抵抗すれば、アナザーを倒せる! 一緒に戦って!』
リリアーナは必死に手を伸ばした。 しかし、アザトースはその手を冷たく振り払った。
『断る』
『え……?』
『僕は、母上の一部になる。それが「論理的」に正しい帰結だ』
アザトースの声には、深い絶望と、歪んだ諦観が満ちていた。
『僕は所詮、母上の食欲を管理するための道具(冷蔵庫)だった。道具が壊れ、持ち主にリサイクルされる。……これは効率的だ。無駄がない』
『そんなことない! あなたは最後に反逆したじゃない! 自分の意志で!』
『あれは……エラーだ』
アザトースは、泥の中に沈んでいく。
『あんな感情的な行動は、知神として恥ずべきバグだった。……もういいんだ。ここで溶けて消えれば、僕はもう、管理もしなくていい。期待もされなくていい。「思考」する苦しみから解放される』
彼は、自ら思考を停止し、消滅することを選ぼうとしていた。 母親という絶対的な恐怖と、長年の責務による疲弊が、彼の心を完全に折っていたのだ。
『消えろ、イレギュラー。僕の安息を邪魔するな』
強烈な拒絶の波動が放たれ、リリアーナの意識は強制的に現実世界へと弾き飛ばされた。
「かはっ……!」
現実に戻ったリリアーナは、その場に膝をつき、激しく咳き込んだ。
「ダメ……! 彼は、もう……生きることを、諦めてる……!」
「論理」の神は、絶望という名の「論理」に、自ら心を閉ざしてしまっていた。




