23話 ””カミ””の介入
私が、殿下が贈ってくれた詩集を読み終えたその日の夕方。屋敷の庭にある茶室で、一人静かに月を眺めていた。殿下の想いが詰まった言葉は、私の心を温かく満たし、これまでの孤独を少しずつ溶かしていくようだった。
その時、茶室の入り口から、鈴の音のような、涼やかな声が聞こえた。
「おや、こんなとこで一人お茶なんか飲んで、ええ身分やねぇ」
驚いて振り返ると、そこに立っていたのは、見たこともない、不思議な雰囲気の女性だった。黒い髪を美しく結い上げ、優雅な着物を纏っている。まるで、古都の絵巻物から抜け出してきたような、この世のものとは思えない美しさだった。
私は、警戒しながらも、身分を問うた。
「あなたは、どちら様で……?」
すると、女性は、扇子で口元を隠し、くすくすと笑った。その笑い声は、どこか私をからかっているようにも聞こえた。
「うち?うちの名前は、鶴神 千鶴。あんたを『愛される』っちゅう運命に縛った、三柱のカミの一人や。あんたがうちらのこと、なんて呼んでるかは知らんけど」
私の心臓が、大きく跳ねた。信じられない思いで、その女性、鶴神 千鶴を見つめる。彼女の周りには、薄い光の靄が揺らめき、その存在が、まやかしではないことを示していた。
「あなたたちが……!どうして、わたくしの前に……」
私の声は、震えていた。彼女は、ゆっくりと茶室に入ると、私の向かいに座った。その動作には、一切の躊躇いがなく、まるで自分の家であるかのように自然だった。
「どうしてって、決まってるやんか。あんた、面白いことし始めたやろ?愛される運命から逃げ出すんやなくて、愛する自由を求めるなんて……ほんまに、退屈せんわ」
鶴神 千鶴は、そう言って、優雅に茶碗を手に取った。私が淹れたばかりの冷たいお茶を、一口飲む。
「……まずいなぁ。あんたの心みたいに、冷たすぎるわ。まあ、そりゃそうか。あんた、愛されることにばかり囚われて、愛する気持ちを知らんかったんやもんねぇ」
彼女の言葉は、私の心の奥底を、すべて見透かしているようだった。
「お茶は、心を込めて淹れるもんや。愛する気持ちと同じでな。あんたがこれから愛する自由を謳歌したいんやったら、まず、心を温めやなあかん。うちが、ええもん見せてあげるわ」
そう言うと、彼女は、手のひらを私の茶碗にかざした。すると、茶碗の中のお茶が、瞬く間に湯気を立て始め、茶葉の香りが、甘く、心地よく、茶室に満ちていく。
「あんたは、愛されることの苦しみは知っとる。けど、愛する喜びは知らん。うちらは、あんたが愛する喜びを知った時、あんたがどうなるか、見たくて仕方ないんや」
彼女の言葉は、慈愛に満ちているようで、どこか恐ろしい響きがあった。まるで、私を、実験動物のように見ているようだった。
「あんたが愛する自由を選んだことで、うちらの運命の鎖は、ますます強うなっていく。あんたは、愛する自由を得た。けど、その自由の先にあるんは、あんたの想像を超えた、大きな代償や。その代償を、あんたは、誰に払わせるんやろか?」
その言葉に、私は、ゾッとした。
私の愛が、誰かを不幸にする?私の愛が、誰かに、代償を払わせる?
「……どういう、ことですか?」
私が震える声で尋ねると、鶴神 千鶴は、にこりと微笑んだ。その顔は、この上なく美しかったが、その瞳の奥は、底なしの闇のように冷たかった。
「それは、これからのお楽しみや。あんたが、誰かを愛した時、その代償が、どういう形であんたの目の前に現れるか。うち、ほんまに、楽しみやわぁ……」
彼女の言葉は、私の心を、再び凍てつかせていった。クロード王子が示してくれた「希望」の光は、鶴神 千鶴の言葉によって、再びかき消されようとしていた。
愛する自由は、本当に、私を救うものなのだろうか?それとも、それは、私を、そして愛する人を、さらなる絶望の淵へと突き落とすための、新たな呪いなのだろうか?
私は、再び、深い不安の闇に包まれていった。




