218話 共振する鋼鉄と固有振動数
鋼鉄の監獄。 そこは、四方を冷たい金属の壁と床に囲まれた、逃げ場のない処刑場であり、音響が支配する閉鎖空間だった。
レオンハルトが、無言の悲鳴を上げて膝を屈した。 彼が展開した「不滅の盾」は、敵である陸軍大将の拳を受け止めた刹那、その守護の意志を凶器へと変換し、背後の友へ衝撃を透過させたのだ。
「ハハハ! 無様だな! 貴様が守ろうとすればするほど、友は傷つくのだ!」
かつて彼らを苦しめた帝国双璧――陸軍大将と特務局長が、分厚いフルプレートアーマーを揺らし、嘲笑の残響を鋼鉄の箱に満たす。 この空間のルールは**「守護の反転」**。レオンハルトの愛と献身は、友を殺す刃へと書き換えられていた。
(僕が……ライオネルを傷つけている……?)
絶望がレオンハルトの心を蝕む。剣も折れ、盾も呪われている。打つ手は、断たれたかに見えた。
「レオンハルト。盾を捨てろ。魔力も使うな」
血を吐きながら立ち上がったライオネルが、静かに告げた。彼の瞳は、死を覚悟したものではなく、冷徹に戦場の**「材質」**を見極める、職人の眼差しを宿していた。
「この床……そして奴らの鎧。全て均一な鋼鉄だな」
「あがけ、敗北者ども。トドメだ」
敵がゆっくりと歩み寄ってくる。その一歩一歩が、重厚な死の足音となって、密閉された空間に反響する。
ライオネルは、折れた剣の柄――ただの鉄の棒と化したそれを振り上げ、足元の鋼鉄の床を叩いた。
氷柱が砕けるような、硬質で冷徹なリズムが刻まれる。
一度、二度、三度。 それは、命乞いでも、降伏の合図でもない。これから始まる物理学という名の魔術の、開始を告げるメトロノームだった。
「レオンハルト、計算しろ。この空間の容積、床板の材質、そして……奴らの鎧が秘めた**固有の歌声(周波数)**を!」
「……! まさか……!」
レオンハルトは、瞬時に友の意図を理解した。彼の中に流れる祖先・バルカスの「工学の知恵」が、世界を構成する波の数式を解き明かす。 全ての物体には、揺れやすい特定の旋律――固有振動数が存在する。
「命乞いの拍子か? 無駄だ!」
敵が走ってくる。距離が縮まる。 レオンハルトは魔力を完全に断ち切り、自身の足踏みで、ライオネルが刻むリズムに完璧に重ね合わせた。
大地の鼓動のような重低音が、床板を通じて広がり始める。
二人の物理的な打撃が、床板を通じて微弱な振動波を生む。 最初は無視できるほどの、さざ波のような揺れ。しかし、その周波数が、この鋼鉄の空間と、敵の鎧の固有振動数と合致した時、物理学の魔物が目を覚ます。
【共振現象】
風の愛撫で巨大な橋が崩れ落ちるように。歌姫の声でワイングラスが花のように散るように。 外部からの振動と、物体の魂が重なり合った時、そのエネルギーは幾何級数的に増大し、破壊の限界点を超える。
「な、なんだ!? 視界が……揺れる……!?」
突進していた陸軍大将が、急によろめいた。 彼の着ている自慢の重装甲が、まるで意思を持った生き物のように唸りを上げ、主の制御を離れて震え始めたのだ。
空気が震え、鋼鉄が悲鳴のような歌を歌い出す。
「き、貴様ら! 何をした! 魔法か!?」 「いいや、ただの振動だ。お前たちの鎧は、今、俺たちのリズムと共鳴して、歓喜の悲鳴を上げているんだよ!」
ライオネルとレオンハルトは、リズムを止めない。むしろ、敵の動揺に合わせて、その強度を上げた。 空間全体がうなりを上げ、特務局長の鋭利な刃も、大将の分厚い装甲も、分子レベルでの結合が乖離し、原子の結びつきがほどけていく。
「やめろ! 音が! 体がァァッ!!」
鎧の中で、振動は逃げ場を失い、敵の肉体そのものを破壊する凶器へと変わる。
分厚い装甲に亀裂が走り、不可視の力が鋼鉄を内側から食い破る音が響き渡った。
魔法による破壊ではない。金属疲労と共振による物理崩壊。 敵の最強の鎧が、内側から弾け飛び、花弁のように無惨に砕け散った。同時に、彼らの立っていた床板も、限界を迎えて崩落する。
「ぐ、あぁぁぁ……鎧が……最強の秩序が……!」
鎧を失い、振動で三半規管を破壊された二人は、瓦礫の中に無様に転がった。
「運命の呪いなど関係ない。波長が合えば、どんな堅牢な城も崩れる」
ライオネルが、折れた剣を捨て、レオンハルトと拳を合わせた。
「それが、物理だ」
鋼鉄の監獄に亀裂が走り、二人の騎士は勝利の凱歌と共に、次なる戦場への道を開いた。




