217話 粉塵と熱力学の剣
「無駄だと言っただろう、クロード。ここでは『お前は俺に勝てない』。それが世界の決定事項だ」
灼熱の王都。燃え盛る幻影のフレイア王城下町で、武神・耕太が嘲笑う。 クロードは、瓦礫の山に背を預け、荒い息を吐いていた。彼の利き腕である右腕は無残に砕かれ、左手に握る剣は半ばから折れている。
先ほど放った渾身の一撃も、魔力を込めた斬撃も、武神の体に触れた瞬間に**「なかったこと」**にされた。まるで幽霊を斬ったかのようにすり抜けるか、あるいは因果そのものがねじ曲がり、剣の軌道が勝手に逸れるのだ。
(力押しでは勝てない。魔術による干渉も「敗北」へと書き換えられる……)
クロードは、脂汗が滲む額を拭いながら、冷静に周囲を観察した。 絶望的な状況だが、彼の瞳から知性の光は消えていない。アザトースから得た知識の残滓と、彼自身の戦略眼が、この空間の**「バグ」**を探していた。
(建物は燃えている。煙は上へ昇る。瓦礫は重力に従って落ちる……)
クロードは確信した。 この空間は、勝敗の運命こそ改変されているが、物理法則そのものは維持されている。
「なら、俺が斬らなければいい。剣も魔法も使わず、現象に殺させればいい」
クロードは、左手でボロボロのマントを大きく振り回し、足元の瓦礫の山を激しく蹴り上げた。
「往生際が悪いぞ! 砂掛けごときで俺が止まるか!」
武神が全身から紅蓮のオーラ――数千度の高熱――を放ちながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。 クロードは後退するふりをして、武神を狭い路地裏へと誘導した。そこは、崩れた建物に挟まれた、半密閉空間だった。
クロードは走り回り、マントを振るい続ける。 舞い上がるのは、燃え尽きた建物の残骸から出た大量の煤、乾燥した小麦粉の袋、そして細かく砕けた木屑。 視界が遮られるほどの高濃度の粉塵が、路地裏に充満していく。
「ゲホッ……! なんだこの埃は! 目くらましのつもりか!」
武神は苛立ち、その熱量をさらに上げた。彼の身体そのものが、巨大な火種となる。
「終わりだ、クロード。その埃ごと燃え尽きろ!」
武神が、灼熱の拳を振りかぶった。 その瞬間、クロードは計算し尽くされたタイミングで、バックステップを踏んだ。 彼は路地の出口付近にある、崩れかけた扉を蹴り飛ばした。
ガコンッ。
密閉されていた空間に、新たな空気の通り道――酸素の供給口が生まれた。
「これは魔法じゃない。攻撃でもない」
クロードは、折れた剣を盾のように構え、身を低くした。
「ただの**物理現象**だ」
可燃性の粉塵が、爆発限界濃度まで充満している。
閉鎖空間に、武神という強力な着火源が存在する。
そこへ、新鮮な酸素が急激に流入する。
条件は、整った。 粉塵の一粒一粒が、武神の熱に触れて瞬時に引火する。その火炎は隣の粒子へと連鎖し、幾何級数的な速度で燃え広がる。
【粉塵爆発】
カッッッ――――――!!!
視界が真っ白に染まった直後、世界を揺るがす轟音が響き渡った。
ドオオオオオオオオオオォォォォォォォォォン!!!!!
それは魔法による爆炎ではない。化学反応による急激な酸化と体積膨張だ。 逃げ場を失った衝撃波は、路地裏という砲身を通って一点に集中し、武神・耕太を直撃した。
運命は「クロードの攻撃」を無効化することはできても、**「空気の膨張」**という自然現象までは否定できない。
「が、はぁぁぁぁっ……!?」
武神の鼓膜が破れ、内臓が衝撃波で揺さぶられる。 「斬撃無効」の運命など関係ない。純粋な**気圧差(物理的エネルギー)**が、彼を路地の壁に叩きつけ、めり込ませた。
煙が晴れていく中、クロードはゆっくりと立ち上がった。 全身煤だらけだが、その瞳は勝利の確信に輝いていた。
「な、何だ……魔法障壁が……反応しねぇ……!?」
武神は血を吐きながら、訳がわからないといった表情でクロードを見上げた。
クロードは、折れた剣の柄(ただの鉄の塊)を、動けなくなった武神の喉元に突きつけた。
「運命は『敗北』を強制するかもしれないが、熱力学の法則までは書き換えられないようだ」
「……インテリが……!」
武神が意識を失うと同時に、空間に亀裂が走った。 クロードの知略が、絶対的な敗北の運命を、物理的に粉砕したのだ。




