208話 壊れた人形と、巡る記憶の灯火
「まだよ……まだ、手はあるはず……!」
リリアーナは、血の泡を吹きながらも思考を止めなかった。 クロードの戦略眼で活路を探り、セバスチャンの非合理な動きで撹乱を試みる。彼女の脳内では、億単位の戦術が構築されては破棄されていく。
しかし、その全てが無駄だった。
「右。角度30度。セバスチャンのステップか。……古いな」
アナザー王女は、指先一つ動かすだけで、リリアーナの必死の回避行動を先読みし、正確無比な魔力弾を叩き込む。 避けたはずの場所に攻撃が置かれている。防御したはずの盾の隙間を縫うように衝撃が走る。
ドガッ! バキィッ!
「あぐっ……!」
リリアーナの身体が、ボールのように地面を転がる。 レオンハルトの「不滅の盾」を展開しようと意識を集中しても、その構成式が完成する前に、アナザーの「解呪の論理」が盾を霧散させる。 ライオネルの剛剣で押し返そうとしても、その力のベクトルを「逆流」させられ、自分の腕の骨が砕ける。
「防御など意味がない。お前の使う力は全て、私が記述した『古い知恵』なのだから」
アナザーの一撃一撃は、単なる暴力ではなかった。 それは、**「お前の努力は全て無意味だ」**と魂に刻み込む、絶望の楔だった。
壊れた人形
ついに、リリアーナの膝が折れた。 もはや、立ち上がる力すら残っていない。 左腕はありえない方向に曲がり、肋骨は肺を圧迫している。視界は血と涙で赤く滲み、呼吸をするたびに焼けるような激痛が走る。
それでも、彼女は這いずった。 クロードと約束した未来へ。みんなが託してくれた希望へ。
「あ……うぅ……」
しかし、アナザー王女が無慈悲に踏み下ろした一歩が、その僅かな前進さえも踏み砕いた。 衝撃波がリリアーナを吹き飛ばし、壁に叩きつける。
ドサリ。
リリアーナの身体が、重力に従って崩れ落ちた。 手足は糸が切れたように投げ出され、虚ろな瞳は焦点が合わない。 美しかったドレスはボロ雑巾のようになり、白い肌は土と血で汚れている。 そこにあるのは、英雄でも女王でもない。ただの、壊れた人形だった。
「哀れだな。だが、素晴らしいデータだったぞ」
アナザー王女が、黄金のペンを剣に変え、ゆっくりと歩み寄ってくる。 アザトースが、冷徹な目でその最期を見届ける。
「終わらせよう。世界のバグよ」
アナザーが剣を振り上げた。 その切っ先が、冷たい光を放ち、リリアーナの心臓へと吸い込まれていく。
死が、触れた。
走馬灯
その瞬間。 リリアーナの止まりかけた時間の中で、世界がスローモーションになった。 音のない世界で、懐かしい光景が、走馬灯となって溢れ出した。
(……あ)
最初は、元の世界。 大学のキャンパス。くだらない話で笑い合った、ミサキとの日々。 「ユナ!」と呼ぶ懐かしい声。
(私は、転生して……)
学園の夕焼け。 「悪役令嬢」として振る舞おうとして、失敗ばかりしていたあの日々。 泥だらけの靴。わざとらしい高笑い。
(みんなに、出会った)
クロード王子の、困ったような、でも優しい笑顔。 「君は、どこまでも優しいな」と撫でてくれた手の温もり。
セバスチャンが淹れてくれた、湯気を立てる紅茶の香り。 「リリアーナ様、お行儀が悪いですよ」という小言。
ライオネルとレオンハルトが、剣の稽古で汗を流し、肩を組んで笑い合う姿。 「俺たちが守る!」と誓ってくれた、頼もしい背中。
**カイ(103号)**が、初めて見せた涙と、強い意志。 「ゼロが守った運命を……!」
(楽しかったな……)
王城のバルコニーから見上げた星空。 復興した街の賑わい。 みんなで囲んだ食卓。 くだらない冗談。 温かい手。
(みんな……大好き……)
走馬灯の中の彼らは、誰も傷ついていなかった。 誰も死んでいなかった。 ただ、幸せそうに、リリアーナに向かって手を差し伸べていた。
『おいで、リリアーナ』
クロードの声が聞こえた気がした。
リリアーナの虚ろな瞳から、最後の一雫の涙がこぼれ落ちた。 刃が、彼女の胸に届く。
世界が、ホワイトアウトした。




