202話 折れぬ剣と、砕けぬ盾
リリアーナの意識は、冷たい地下研究所から、灼熱と鉄の匂いが立ち込める戦場へと跳躍した。
場所は、ヴァーレント王国とオーロリア王国の国境付近。 空は噴き上がった土煙と硝煙で灰色に淀み、大地は兵士たちの鮮血で赤く染まっている。 ここは、かつてカミの策謀によって引き起こされた、悲劇の激戦地。
(あそこ……!)
リリアーナの視線が、戦場の一点に吸い寄せられる。 そこには、味方の撤退を支援するため、たった一人で敵の大軍を食い止めるライオネル・ヴァーレントの姿があった。
「行け! 振り返るな! ここは私が食い止める!」
ライオネルの剣は、獅子のように猛々しく、そして美しい。だが、その体は既に無数の傷を負い、呼吸は荒い。 本来の歴史では、彼はここで孤立し、友であるレオンハルトを逃がすために命を散らす。そして、その死がレオンハルトに「守れなかった」という生涯消えない悔恨の呪いをかけ、「不滅の盾」という能力へと歪んで昇華させるのだ。
(ライオネル殿下。あなたの勇気は、死ぬためのものじゃないわ)
敵兵の一人が、死角となる瓦礫の陰から、毒を塗った凶刃を構えた。 ライオネルは正面の敵に集中しており、背後の殺気に気づいていない。
死の刃が、風を切り裂いて放たれる。 その軌道は、確実にライオネルの首筋を捉えていた。
(させない!)
リリアーナは、時間の狭間で叫んだ。 彼女が発動させたのは、未来で手に入れた二つの力。 一つは、リアン・ヴァーレントの「停止の力」。 もう一つは、レオンハルト殿下の「不滅の盾」。
キィンッ――!
戦場の喧騒を切り裂く、甲高い金属音が響いた。 何もないはずの空中で、凶刃が見えない壁に阻まれ、弾き飛ばされたのだ。
「なっ……今のは!?」
暗殺者が驚愕に目を見開く。 ライオネルがその気配に気づき、振り返りざまに豪快な一撃で敵を薙ぎ払った。
「……助かったのか? まるで、見えない盾に守られたような……」
ライオネルは自身の背後を見た。そこには誰もいない。しかし、彼は感じていた。懐かしく、そして頼もしい、**「守る意志」**の波動を。それは、未来のレオンハルトが血の滲むような思いで練り上げた、友を守るための力そのものだった。
その時、撤退したはずの方角から、土煙を上げて疾走してくる影があった。
「ライオネル!! 死なせるものか!!」
レオンハルトだった。 彼は、軍法も、合理的な撤退命令もすべて無視し、泥まみれになりながら友の元へ舞い戻ってきたのだ。
「馬鹿野郎! なぜ戻ってきた!」 「うるさい! 僕たちは、二人で一つの剣と盾だと言っただろう!」
レオンハルトはライオネルの背中合わせに立ち、剣を構えた。 本来の歴史では間に合わなかった彼が、今はここにいる。リリアーナの介入が稼いだ**「たった数秒の猶予」**が、運命の歯車を噛み合わせ、二人の騎士を再会させたのだ。
「行くぞ、レオンハルト! 背中は任せた!」 「ああ! 絶対に生きて帰るぞ、ライオネル!」
二人の剣舞が始まった。 それは、カミの論理も、敵の数も寄せ付けない、完璧な連携だった。 「論理の剣」でも「不滅の盾」でもない。ただの親友同士が、互いを信じ合い、生きて明日を迎えるための、泥臭くも眩しい戦い。
やがて、敵軍は二人の鬼神のような気迫に恐れをなし、撤退の鐘を鳴らした。
夕焼けが、戦場を黄金色に染め上げていく。 生き残った二人の騎士は、血と泥に汚れながらも、互いの肩を叩き合い、高らかに笑い合った。
「生きてるな、俺たち」 「ああ。……本当に、よかった」
その笑顔には、リリアーナが知る未来の彼らのような、悲壮な影は微塵もなかった。
リリアーナは、その光景を静かに見つめ、涙を拭った。 これで、レオンハルトが悔恨に生きる未来も、ライオネルがカミの傀儡にされる未来も消滅した。
「二人の友情は、もう死によって分かたれることはないわ。……どうか、故郷で、平和に暮らしてね」
彼らが、リリアーナという女王に仕えることはもうないだろう。けれど、彼らが幸せであるなら、それがリリアーナにとっての勝利だった。
安堵の吐息と共に、リリアーナの意識は薄れゆく夕闇に溶け、次の悲劇を救うため、さらに過去へと飛翔した。




