200話 元悪役令嬢、全力で助けにいきます。
フレイア王城の最奥は、もはや原形を留めていなかった。
千鶴の放つ三柱のカミの力と、リリアーナが操る死者たちの劣化コピー能力。二つの強大な力が衝突し続け、互いの肉体は限界を超えていた。
リリアーナは全身から血を流し、片膝をついている。千鶴もまた、カミの依り代としての限界を迎え、その半身がノイズのように揺らぎ、崩れかけていた。
「ハァ…ハァ…ッ!なんでや…なんで、そこまでして抗うんや…!」
千鶴が、血を吐きながら叫んだ。彼女の攻撃の手が、初めて止まる。それは力の枯渇ではなく、心の限界だった。
剥がれ落ちたカミの仮面
「わては…わては、ただ…!」
千鶴の瞳から、カミとしての傲慢な光が消え、ただの千代という人間の、深く悲しい色が溢れ出した。
「カミになんて…なりとうなかったんや!『物語』なんて、どうでもよかった!」
彼女はその場に崩れ落ち、子供のように泣き叫んだ。
「本当は…遊郭になんか売られたくなかった!普通の着物を着て、普通に笑って生きたかった!秋人と…あの裏切り者とでもええ、ただ結ばれて、貧しくても一緒に暮らしたかったんや!」
千鶴の口から、封じ込めていた人間としての未練が堰を切ったように溢れ出す。
「小袖かてそうや!あんな嫌味な女でも…わてにとっては、たった一人の同僚やった!本当は…彼女とも、普通の友達でいたかったんや!着物を見せ合って、笑い合いたかっただけなんや…!」
彼女が求めていたのは、究極の混沌でも、世界の支配でもなかった。ただ、愛する人と結ばれ、友人と笑い合うという、あまりにもささやかで、しかし彼女には決して手に入らなかった**「普通の幸せ」**だったのだ。
「それが叶わんかったから…世界を憎むしかなかったんや…!」
女王の共鳴
リリアーナは、千鶴の慟哭を聞き、握りしめていた短剣をゆっくりと下ろした。彼女の虚ろだった瞳に、涙が溢れ出した。
「…私も、同じよ」
リリアーナは、自身の血で汚れた手を見つめた。
「女王としての誇り?世界の平和?…そんな立派な理由だけで、戦っていたわけじゃない」
彼女もまた、本心を吐露した。
「本当は…寂しくてたまらないの。クロード王子に会いたい。セバスチャンの紅茶が飲みたい。カイと話したい。ライオネル殿下やレオンハルト殿下と、また笑い合いたい…!」
リリアーナは、千鶴を見据えた。
「私も、あなたと同じ。ただ、愛する人たちと一緒にいたかっただけ。…この世界の悲劇の元を、完全に絶ちたい。あなたが歪んでしまう前の、あの悲しい運命の分岐点さえなければ…」
二人の間に、不思議な静寂が訪れた。互いに憎しみ合い、殺し合っていたはずの二人が、**「愛を失った孤独な魂」**として、初めて共鳴したのだ。
争いの終わりと、決断
「……フン。似たもの同士か。笑えん話やな」
千鶴は、力なく笑った。彼女の身体から、戦意という名の殺気が消え失せた。
「もう、ええわ。これ以上あんたを殴っても、秋人は帰ってこんし、小袖と友達にもなれん」
リリアーナもまた、リアンの能力を解除した。凍結されていた砂時計の時間が、再び動き出そうと唸りを上げる。
「千鶴。私…過去へ行くわ」
リリアーナは、砂時計を見上げて言った。
「時間を戻して、自分の人生をやり直すんじゃない。もっと前…全ての悲劇の始まりへ」
彼女の決意は、クロード王子たちとの思い出を「無かったこと」にするリセットではなかった。
「あなたがカミになる前。アナザー王女たちが世界を歪める前。…その原点に行って、悲劇の連鎖そのものを断ち切る」
それは、リリアーナ自身が消滅する可能性すらある、危険な賭けだった。しかし、それこそが、クロードやセバスチャン、そして千代(千鶴)をも救う、唯一の方法だと彼女は悟ったのだ。
「は…正気か?そんなことしたら、今のあんたの存在も消えるかもしれんで?」
「構わない。皆が笑って暮らせる世界が作れるなら…それが、私の最後の運命よ」
リリアーナは、動き出した砂時計に手をかけた。彼女は、カミの支配も、愛する人の死も、そして千鶴の絶望も存在しない世界を作るため、悠久の過去へと旅立つ決意を固めた。




