177話 外伝:混沌のルーツ (12) - 擬似知識と武神の誕生
知識の不在と神々の焦燥
時の境界での探索は、徒労に終わった。
アザトースの冷徹な演算と、アナザー王女の時空間操作をもってしても、運命の流れと共に移動し続ける**『巨大な砂時計』の座標を特定することはできなかった。究極の知である「ラプラスの悪魔」レベルの完全な知識がなければ、砂時計の軌跡は永遠に予測不能な混沌**の中に隠されたままだった。
「フン。所詮、カミとてこの世界の非合理性には勝てない、ということか」
千代の嘲りは、アナザーとアザトースの焦燥を深めた。砂時計が見つからなければ、千代の憎悪の原動力はただの感情に戻り、世界の秩序を崩壊させる触媒として機能しない。
アナザー王女は、千代の絶望的な未来視を既に見ていたため、この計画を頓挫させるわけにはいかなかった。
擬似的な完全知識の創造
「ならば、創造するまでだ」
アナザー王女は、決断を下した。彼女は、知識の神であるアザトースの有する論理と、運命の創造者である自身の法則を、千代の強烈な憎悪のエネルギーと結びつけた。
「アザトース。砂時計の概念を抽出せよ。我々が持つ知識の全てを、一時的に物理的な入れ物に封じる。本物ではない。だが、知識の連鎖を始めるには十分だ」
アザトースは即座に、自身の最も深い論理構造を、アナザーの運命の法則に接続させた。時の境界が軋み、二柱のカミの力が収束する中、青白い光を放つ球体が生成された。
これが、**『擬似的な完全知識(仮)』**である。
そして、この創造の過程で、アナザー王女は、世界の根幹を揺るがすために必要な、三柱のカミの力を、この擬似知識を通して強引に獲得した。残る問題は、この知識を誰に継承させ、千代の混沌の力と対峙させるかだった。
武神 耕太との取引
千代が再び外れ町の長屋に戻った数日後。
彼女は、自分と同じ町に住む、一人の少年を見つけた。彼の名は、耕太。痩せ細り、三日も何も飲まず食わずで、飢えに苛まれている、貧困の象徴のような少年だった。
千代は、遊郭時代の自分と、彼の姿を重ねた。論理的な貧困が、魂と肉体を屈服させる光景。
「あんた、三日も何も食ってないそうやな」
千代は、彼に握り飯を差し出した。耕太は、警戒しながらも、その空腹には抗えず、握り飯を受け取った。
「対価を払うてもらうで、耕太」
千代は冷たい声で言った。それは、愛という対価を支払った過去の自分への、裏返しの行為だった。
「その握り飯を食うのが、対価やない。あんたの魂を、カミの知識の入れ物にする。逃げることは、許さへん」
千代の背後から、アナザーとアザトースが現れた。アナザー王女が、擬似的な知識の球体を耕太の胸元に押しつける。
「武神 耕太。貴様が、千代の『混沌の力』を、論理的に打ち破るための『秩序の剣』となれ」
耕太は、抵抗する間もなく、その巨大すぎる知識と、三柱のカミの力を無理やり受け継いだ。彼の幼い身体と魂は、一瞬にしてカミの力に焼き尽くされ、彼は、この世界における秩序の執行者、すなわち武神として、不本意な誕生を遂げた。




