168話 外伝:混沌のルーツ (3) - 新たな絶望の地
逃走の決断と金銭の価値
千代の心は、秋人の**「生存のための合理的選択」という冷徹な裏切りによって、永遠に癒えない傷を負った。彼女が求めた奇跡的な愛**は、現実の泥の中で、金銭と交換される論理に成り代わったのだ。
「遊郭の外は危険だが、もうここにはいられない」
千代は、遊郭という名の監獄に帰ることを、二度目の絶望的な敗北と見なした。厳しい仕置きや、再び客に身を売る未来は、彼女にとって予測可能な退屈な地獄でしかなかった。
彼女は、遊郭での日々の中で、いつか理想的な暮らしをするために、客からもらった金銭を、細心の注意を払って貯め続けていた。その金は、彼女にとって**「愛ではない、確実な対価」**であり、自由への唯一の道具だった。
千代は、その金銭を全て持ち、遊郭の裏口から闇夜に紛れて逃走した。彼女の肌を叩く夜風は冷たかったが、その心に灯るのは、**「愛を裏切った世界への憎悪」と、「二度と誰にも支配されない場所を見つける」**という、冷たい決意だけだった。
知識の影が潜む町
千代が辿り着いたのは、帝都から遥か離れた、寂れた外れ町だった。この町は、近代化の波からも取り残され、貧しく、住民たちは希望を見出せないまま暮らしていた。しかし、この町の外れには、不自然なほど厳重に警備された一帯が存在した。
その場所こそ、後に旧陸軍中央研究所の極秘部門が置かれ、**セバスチャン(零号)**が製造されることになる、知神アザトースの知識の実験場だった。
千代は、カミの知識の存在など知る由もない。ただ、彼女の魂が、この世界の運命の大きな歪みを無意識に感じ取っていたのかもしれない。
彼女は、その警備された一帯からわずかに離れた、古い長屋に身を落ち着けた。彼女は、自らが貯めた金銭を使い、そこで**「金銭で買える、偽りの秩序」**を築こうとした。
「愛は裏切る。だが、金と、確実な知識は裏切らへん」
遊女としての経験から得た人間の欲望の論理、そして秋人に裏切られた絶望が、千代の中で冷たい**「合理的思考」へと変貌していく。彼女は、この場所で、カミとなる前の鶴神千鶴**としての、混沌の思想の根幹を築き上げていくことになる。




