144話 記憶の檻を破る声
私は、ノエマが収容されている地下の病室へと向かった。愛するクロード王子を失い、全ての仲間を散らした今、私の心の拠り所は、カミとの戦いの鍵を握る、この捕虜となった元・零号だけだった。
ノエマの体はベッドに横たわり、その瞳には憎悪も知性も宿らず、純粋な空白の状態だった。
私がそっと彼女の冷たい手を握ると、ノエマの瞳がゆっくりと、微かに開かれた。
「…あなたは、だれ…?わたしは、なぜ、ここにいる…?」
その声は、感情を排した、機械的な響きだった。
「あなたの名前は、ノエマ。そしてあなたは、この世界を救うために戦った人の…」
私がそう言った瞬間、ノエマの表情がかすかに揺らぎ、その空白の瞳に、何かの映像がフラッシュバックしたかのように光が宿った。
「戦った…?この場所…この匂い…訓練室…?」
彼女の体全体が、急速な記憶の奔流に耐えきれず、痙攣し始めた。そして、突然、彼女の口調が変わった。硬質で冷たかった声に、わずかな感情と、以前のノツケの口調が混じり始めた。
「…いや、違う。ノエマじゃない。私は…103。…カイだ」
彼女の瞳は、私をまっすぐ見つめた。そこには、憎悪ではなく、困惑と、深い悲しみが宿っていた。ノエマの憎悪に覆い隠されていた、セバスチャンの友人、103号の人格が、ついに表出したのだ。
友の死と、カイの真の思い
「リリアーナ…様。どうして…**ゼロ(セバスチャン)**の姿がないんだ。あの人が、私たちを…私を、論理の呪縛から解放してくれたんじゃないのか?」
カイは、混乱しながらも、セバスチャン(ゼロ)の行方を尋ねた。
私は、愛しいクロード王子の死と、セバスチャンの消滅という、最も重い真実を告げなければならなかった。
「セバスチャンは…使命を全うしたわ。彼は、カミの論理を打ち破った後、肉体がエネルギーとなって消滅した。彼は、人間として…逝ったのよ」
「消滅…?」
カイの顔から、すべての色が失われた。彼女は、セバスチャンの人造の肉体が魔力で構成されていたことを、誰よりも知っている。
「…あの人は、自由を手に入れたかった。私たちと一緒に、道具じゃない人生を歩みたかった。それなのに…」
カイは、自らの胸を強く握りしめた。
「あの人が、私を、憎悪の檻から解放してくれたのに…私は、あの人の死に際に、友人として何もできなかった。…私は、あの人に**『生きて』**と言いたかった。ただ、それだけだったのに!」
カイの瞳からは、大粒の涙が溢れた。それは、セバスチャンとの友情という、彼女の心に残された唯一の非合理な感情だった。
新たな決意
私は、涙を流すカイの手を、しっかりと握りしめた。
「カイ。私たちには、まだやるべきことがあるわ。アザトースは、ライオネル殿下とレオンハルト殿下を連れ去り、新たな秩序の道具にしようとしている。そして、憎悪の呪縛から解放されたあなたの知識が、彼らを救う最後の鍵なの」
カイは、涙を拭い、私をまっすぐ見つめた。彼女の瞳には、セバスチャンの意思を継ぐという、強い決意が宿っていた。
「**ゼロ(セバスチャン)は、自分の命と引き換えに、私たちに『生きる運命』**を与えてくれた。…もう、誰も、カミの道具にはさせない」
カイは、静かにベッドから立ち上がった。
「リリアーナ様。私の肉体には、この地下施設の知識と、零号としての戦闘知識が残っています。そして、私は、もう逃げない。あの人が、命を懸けて守った友を取り戻し、そして、私自身の人生を歩き始めます」




