106話 揺らめく肉体と、未来の器
レオンハルト殿下が、本物のリリアーナの亡骸を看取っている、その静寂は、数秒で破られた。
魂が完全に抜けたはずの肉体が、ベッドの上でピクリと微かに痙攣した瞬間、レオンハルト殿下は、自身の砕けた膝の激痛をも忘れ、驚愕に目を見開いた。
「リリアーナ様…?」
彼は恐る恐る、彼女の脈に触れた。脈は、ない。呼吸も停止している。肉体としては、完全に命を終えている。しかし、その体から発せられる微かな熱は、ただの亡骸が持つ冷たさとは違っていた。
そして、その閉ざされた瞼の裏で、瞳が急速に動き始めるという、信じられない異変が起こった。それは、まるで強力な演算装置が起動したかのような、激しい動きだった。
時の残滓
レオンハルト殿下は、この現象が、単なる痙攣ではないことを直感した。
「これは…時の導き手の肉体が、時の境界線での激しい消耗と、魂の解放によって、特異な状態に陥っている…!」
彼は、セバスチャンから教わったカミの知識の断片を、必死に思い出した。本物のリリアーナの肉体は、長きにわたり時の境界の守護者として存在していたため、その細胞一つ一つが、**時の流れの『記録』**を保持している。
魂が抜けた今、その肉体は**「運命の記録媒体」**として、新たな状態へと移行しているのだ。
その時、隠れ家の窓の外で、微かな青い光が瞬いた。知神アザトースの力が、レオンハルト殿下たちの居場所を再び突き止めようと、周囲の論理的情報を解析し始めた証拠だ。
「いけない!この特異な肉体の情報が、アザトースに知られてはいけない!」
レオンハルト殿下は、この亡骸が、カミの支配から解放された世界にとって、極めて重要な意味を持つことを理解した。もしアザトースに解析されれば、再びカミの道具として利用される可能性がある。
最後の避難と誓い
レオンハルト殿下は、激痛に耐えながら、自身の軍服を彼女の肉体の上に優しくかけた。彼の足は、セバスチャンの応急処置で辛うじて動く状態だったが、この場を離れる必要があった。
彼は、最後に彼女の美しい顔を見つめ、静かに誓った。
「リリアーナ様。あなたは、この世界の運命の記録を残した。その記録は、きっとクロード殿下が築く新しい世界を導く羅針盤となるでしょう」
彼は、自身の砕けた膝と、ライオネルの剣、そして本物のリリアーナの亡骸が安置されているこの隠れ家を、最後の砦として封鎖した。
彼の使命は、今や二つになった。一つは、クロード王子の最終計画の成功を見届けること。もう一つは、この**「時の器」**の秘密を守り抜くこと。




