70 エピローグ
──1ヶ月後。
公国の城、謁見の間。
「アベル・イグナシオ、前へ」
「はっ」
文官に名を呼ばれ、アベルは大公の前へ進み出た。
居並ぶ貴族たちの視線が注がれる。
2回目、しかも他の者と共に臨む式典だが、この品定めするような視線にはどうしても慣れない。
「──此度の功績を鑑み、子爵へ昇爵とする」
正装に身を包んだ大公が、重々しい声で告げる。
式典用の軍の制服は、いつもの制服より厚手で張りと艶がある。
子爵になるというので、装飾も増えた。
胸を飾る勲章に当たらないよう、アベルは細心の注意を払って敬礼した。
「謹んで、拝領します」
特殊部隊員の叙爵や昇爵の場合、具体的な功績が挙げられることはない。国の機密情報にも関わるからだ。
アベルが元の場所に戻ると、カミロ、ブラウ、モーリス、チェレステ、そして他の部隊の者たちと、次々名を呼ばれ、爵位を授けられて行く。
その中に、リョウの姿は無い。
何故なら──
「──最後にもう一人、功績を讃えるべき者が居る」
その場の全員への授与が終わった後、大公自らが右手を挙げた。
「扉を開けよ」
「はっ!」
両開きの大扉が、左右に控える特殊部隊の同僚の手で開けられる。
そこに立つ者の姿に、貴族たちの目が釘付けになった。
──茶色掛かった艷やかな黒髪に、金にも見える琥珀色の瞳。
銀糸で刺繍が施された限りなく黒に近い紺の長衣は、軍の制服と似ているようで違う。
貴族たちの注目を浴びながらも平然とした顔で、リョウがアベルたちの横を通り過ぎ、大公の前へ進み出る。
「──レイナ・サリアス。本名、神凪リョウ」
「はっ」
胸の前で拳と掌を合わせる、凪の一族独特の礼。
静まり返った謁見の間に、大公の声が朗々と響いた。
「此度の情報提供、並びに帝国との開戦回避の功績により、公国永住権を付与。子爵の爵位を与え──アンガーミュラーの家名を授ける」
『…!?』
貴族たちが驚愕する。
アンガーミュラーは、カルデロン大公家の分家の名。
かつて途絶えたその家の名を与えるということは、大公自身が彼女の後ろ盾になることを意味する。
つまり、身内同然だと宣言するようなものだ。
「──謹んで、拝領します」
リョウの凛とした声が響く。
その背中が、何故か大公の後ろ姿と重なって見えた。
金髪碧眼の大公と、黒髪琥珀眼のリョウ。
顔立ちが違う。立場も違う。
だが──その瞳の奥に宿る色が、どうしようもなく似ている。
大公が満足そうに頷き、横に立つ文官に視線を投げる。
「──これにて、授与式を終了する。新たな貴族に、祝福あれ!」
『祝福あれ!』
文官が声を張り上げると、貴族たちが我に返って唱和した。
謁見の間を退出し、隊舎の休憩室に戻ると、爵位を授与された面々の雰囲気が一斉に和らいだ。
「──あー、もうやりたくねぇ!」
即座に式典用の上着を脱ぎ、ブラウが叫ぶ。
各々、襟元のボタンを外したり装飾を外したりしながら、ブラウの言葉に深く頷いた。
「本当にな。もっと手軽に済ませてくれんもんかね」
「それじゃ爵位の重みがなくなっちゃうっスよ。…まあもう一回はやりたくないっスけど」
「チェレステ、現に2回目の俺たちが居る時点で覚悟しといた方が良いよ」
「あーっ、あーっ、聞こえないっス!」
アベルが突っ込むと、チェレステが大袈裟に耳を塞いだ。
気持ちは分かる。
「…だから嫌だったんだ…」
モーリスは既に疲れ果てている。
多分、貴族たちの面前でニルダと同じ『アルモンテ』の姓を授かった時、聴衆がかなりざわついていたからだろう。
この後、叙爵と昇爵を祝して大公主催の夜会が開かれる。多分、モーリスとニルダは噂好きの貴族に群がられることになるだろう。
──まあ、注目度という点ではリョウに勝ることはないだろうが。
「リョウ、大丈夫?」
この中で一人、リョウは上着を脱ぐこともなく平然としている。
──いや。
視線を向けて、アベルは気付いた。
表情がおかしい。
「…リョウ、ちょっと」
両肩を掴んで、少々強引に椅子に座らせる。
すとん、と素直に座ったリョウは、次の瞬間、そのままテーブルに突っ伏した。
「え、リョウさん!? どうしたっスか!?」
「………」
後頭部から湯気が上がっている気がする。
額をテーブルに張り付けたリョウは、言葉にならない呻き声を上げていた。
待つこと暫し。
「………もう二度とヤリタクナイ…………」
「あー………」
ようやく意味のある言葉が聞こえたと思ったら、内容が大分アレだった。
考えてみたら、リョウは全員で15名ほどしか居ない集落の出身なのだ。百人単位の群衆、しかも貴族の注目を一身に受ける式典など、初めてだっただろう。
パレンシア家の夜会でもかなり注目を集めていたが、夜会に参加者の一人として出向くのと、式典の主役として出席するのでは全く勝手が違う。
なお、リョウだけ特別扱いだったこと、凪の一族の特別な衣装を着ていたこと、敬礼が特殊部隊式でなかったこと──全て大公とエドガルドの仕込みである。
「…二度あることは三度」
「しっ、ダメっスよブラウさん」
ぼそり、格言を呟こうとしたブラウがチェレステに止められた。
「ブラウ、その理屈だとまず俺たちが3回目を味わうことになるぞ」
「聞こえねぇなー」
カミロに指摘されて素早く目を逸らす。
しかし、3回目があるとすれば伯爵位への昇爵である。いくら特殊部隊でもそんな前例は無いので、有り得ない──と、思いたい。
「はいはーい、おっ待たせー!」
ばーんと扉が開き、ニルダが入って来る。
休憩室だからノック不要とはいえ、遠慮がなさすぎる。
「ほーらみんな、今日の主役が何しょぼくれてんのよ! 夜会の準備よ、準備!」
「え、まだ早いでしょ?」
アベルは首を傾げる。
昼食後に叙爵と昇爵の式典だったから、まだおやつの時間にもなっていない。
夜会は文字通り、夜になってからだ。夕方から準備しても十分間に合うはずだが。
「そりゃ男性陣はね。──でも!」
ニルダが拳を握り、ようやく上体を起こしたリョウに全力で振り向く。
「女性は準備に時間が掛かるのよ! ほらリョウ!」
「え」
「入浴して全身磨き上げるところからよ! 今度こそ付き合ってもらうからね!」
リョウの腕をがっしりと掴む、その目が怖い。
…そういえば、前回はニルダの任務の都合で事前準備が省略されたのだったか。
リョウが助けを求めるようにこちらを見ているが──アベルは悟った笑みを浮かべた。
「…頑張れ、リョウ。後で迎えに行くよ」
「…………うん」
言いたいことを半分以上呑み込んだような顔で、リョウが頷いた。
「アベル、あんたも気合い入れて準備しなさいよ」
「えっ」
「私が、全力で準備する、リョウの、エスコート役なんだからね! 前回の比じゃないわよ、覚悟しときなさい」
「嘘でしょ!?」
アベルは叫ぶが、時既に遅し。
リョウの腕を引っ張り、ニルダは勢いよく休憩室を出て行った。
呆然とするアベルの肩を、ブラウがそっと叩く。
「…俺らもちょいと早めに準備しようぜ、アベル。俺も今日はうちの奥方を連れて行くし」
「……そう、だね……」
──結果。
ニルダの宣言通り、夜会用のドレスに身を包んだリョウは前回と比べても別格だった。
ドレス自体は社交界デビューの時と同じ、ワインレッドと薄紅が美しい変わった形のドレスだが──髪と目の色が違うのだ。
枯草色の髪は茶色掛かった艶やかな黒髪に。夕焼け色だった目は吸い込まれそうな琥珀色に。
アベルの直感は正しかった。
このワインレッドのドレスは、本来の髪と目の色の方が似合う。
…と言うか、似合い過ぎて怖い。
化粧を施した肌はいつもより一段明るく、結い上げた黒髪との対比が眩しい。
その髪を飾るのは、ムーンストーンがあしらわれた銀細工だ。何と、オーレリアからのプレゼントである。
男爵から子爵に上がる面々は、この1ヶ月、オーレリアから貴族教育を受けていた。
男爵と子爵では、貴族社会での立ち位置や求められる立ち回りが大きく変わる。
ついこの間再教育を受けたアベルも、基本の振る舞いは完璧だったはずのカミロとブラウも、新しい知識を詰め込み、意識の切り替えをするのにかなり苦労した。
だが、一番大変だったのは間違いなくリョウだろう。
公国の歴史、近隣諸国との関係、その他諸々。前回の教育では省略されていた基礎知識の部分をオーレリアとは別の教師から教わる傍ら、オーレリアのマナー講座も受けていた。
時々魂が抜けたようになっていたのは気のせいではない。
その教育の最終日、笑顔のオーレリアは全員に合格を言い渡し、男性陣には貴族向けの正式書類で使える高級なペンを、リョウには髪飾りを手渡した。
装飾品を贈るのは、基本的に極めて近しい親族か恋人だけ。
リョウは、オーレリアから身内扱いされているということだ。
ちなみに、リョウが今日身に着けている他の宝飾品は、以前パレンシア家の夜会で身に着けていたものと同じ。
ただし、いつの間にかブローチに蔓草モチーフの銀のパーツが追加されていたり、腕輪の細工が細かくなっていたりして、パッと見には以前と同じだとは分からない。
…多分これもオーレリアの仕業だろう。本人に訊いても答えてはくれないと思うが。
アベルがプレゼントしたイヤリングには細工が加えられていないあたり、いかにも作為を感じさせる。
「えっと…アベル?」
衣装室に迎えに行った時、移動中の廊下、そして夜会会場である大広間の扉が開くのを待つ今。
じっと無言でリョウを見詰めてしまい、とうとう本人に困惑の表情をさせてしまった。
「ご、ごめん。その…あまりにも綺麗だから、つい」
扉を開けるために控えている同僚が、噴き出しそうになっている。
しかし頑なにこちらを見ないのは──恐らくリョウを見たら最後、彼らも目が離せなくなると分かっているからだろう。
今のリョウには、それくらいの存在感がある。
何より印象的なのはその琥珀色の瞳だ。
金色にも見える明るい色合いなのに、底が知れない。宝飾品が霞んで見える。
アベルの褒め言葉に素直に照れて、潤んだ色合いはもう──
(…いや待て、落ち着け俺!)
アベルはギリギリのところで我に返った。
まだだ。多分まだ早い。色々と。
大体今は、夜会の会場に入る直前なのだ。
でも──
「…」
目を逸らそうとするリョウの両頬にそっと手を添えて引き寄せ、アベルは素早くリョウの唇に口付けた。
「…!?」
唇が触れ合ったのは一瞬。
扉に張り付く同僚たちには見られていない。
時間差で赤くなるリョウに、アベルはにっこりと余裕がある風を装って笑い掛けた。
──多分今、自分も同じくらい真っ赤になっているけれど。
「そろそろ出番みたいだよ。──行こうか、リョウ」
扉の向こうから合図の音がする。
呼吸を整えて手を差し出すと、呆然と目を見開いていたリョウは一度ぎゅっと目を閉じ──優雅に微笑んで、その手を重ねた。
「──ええ、アベル」
大広間の扉が開く。
貴族向けの微笑を浮かべたアベルとリョウは、万雷の拍手の中、その1歩を踏み出した。
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こうして彼女は、公国の住民となった。
その後の活躍は、皆も知っての通りだ。
けれど、公になっていないこの経緯こそが、彼女のことを語る上でなくてはならないものだと私は思っている。
──かつてそこに在った、反転の世界樹。
その存在を忘れないためにも、
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「アベル、起きてるー?」
開け放した窓の外から声がして、アベルははっとペンを止めた。
穏やかな春の日差しが降り注ぐ午後。
昼寝のために部屋に戻ったはずが、また書き物に夢中になってしまった。
「起きてるよー」
間延びした声で応え、即座にノートを閉じる。
これはまだ書きかけだ。いつかは見せようと思っているが、今はまだ、己の胸に秘めておきたい。
「イノシシを仕留めて来たから、解体手伝ってくれない?」
屋敷の入口付近に、リョウの姿があった。
足元には大きなイノシシが横たわっている。足元と言うか、横たわっているのにリョウの腰くらいまで高さがあるが。
現役を退いて数年経つというのに、その能力には全く衰えが見えない。
「分かった、すぐ行くよ」
夕食までに解体を終わらせるのは骨が折れそうだ。
アベルは苦笑して、窓から直接、外に飛び出した。
窓が閉まる直前、室内に暖かな風が吹き込んだ。
ぱらり、薄いノートの表紙がめくれる。
そこには長い文章ではなく、少し癖のある文字が並んでいた。
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リョウ・アンガーミュラーと、子孫たちへ。
アベル・アンガーミュラーより、
──溢れんばかりの、愛を込めて。
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というわけで、『アベル・イグナシオ回想録 ~国境で捕らえた敵国人は、俺の命の恩人でした~』、エピローグとなります。
一応、この続きと言いますか、第2幕のお話も考えてはいるのですが、着地地点がまだはっきりしていないので…一旦これで終了となります。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
ある程度形になったら連載再開しますので、その時はよろしくお願いします!(←卑怯戦法)
なおこの作品の完結記念として、拙作『スーパー派遣令嬢は王宮を見限ったようです ~無能上司に『お前はもう不要だ』と言われたので、私は故郷に帰ります~』にSSを掲載しております。よろしければそちらもどうぞ。
Q:何で別作品に? → A:思いっ切り関係があるからです。
…というわけで、以下、読まなくても良い蛇足です。
最後の最後で重要キーワードを投下したこの作品、私の中では『アンガーミュラー家・ご先祖様編』と呼んでおります。
『スーパー派遣令嬢(以下略)』の主人公、クリスティン・アンガーミュラーの遠いご先祖様のお話ですね。描写として『背が高い』くらいしか共通点がありませんが。
あと、拙作『丸耳エルフとねこドラゴン』の中で言及があった『変種の世界樹』という話、それついて掘り下げる物語でもありました。
(変種の世界樹=反転の世界樹、です)
チョイ役として『トパーズ』氏が出て来ましたが、彼は『丸耳エルフとねこドラゴン』に出て来るドラゴン、地の氏族の長老様です。今作は時系列がかなり前なので、長老様ではなく族長様、つまり現役世代として活躍しております。
以上が他作品との主な絡みになります。あとちょいちょい小ネタみたいなのはありますが。
恋愛ものを書いてみようと思って色々と考えた結果、書けそうなのがシリアス系・王道展開の物語でした。
…結果的に『王道』かどうかは…盛大に『??』マークが付くことになりましたが…。
まあアベル氏視点ですのでね。女性向けを目指していたはずの恋愛ものなのに、終始男性視点って時点でかなり特異ですよね。
そういう意味でも楽しんでいただけますと幸いです。
…ちなみにこの後、多分本日中に別作品の連載を開始します(←別作品じゃなく続きを書け)
シリアス読んだ後って別のテイストのお話読みたくなりません?
しょっぱい物食べた後に甘い物食べたくなるとか、そんな感じで。
書くのもね…ずーっと同じテンションだと何かこう…気を遣うようになるんですよね…。
まあつまり、今作とは全く別の、物語的にも繋がりの無い、気楽に読めそうなやつを書こうかと。
そちらでもお会いできますと幸いです。
ではまた、ご縁があることを祈っております!




