7 凪の一族(3)
「…世界樹が、造り出した…?」
アベルの呟きが病室に落ちる。
リョウは小さく頷いた。
「…反転の世界樹は、数百年前…瘴気が爆発的に増えた時代に、数人の男女を造り出したそうです」
それが本当に世界樹が一から造った人間なのか、それとも肉体は現地調達して魂を造ったのか、その逆か、普通の人間の記憶を消して世界樹にとって都合の良い存在としたのか、それは分からない。
けれど、その数人の男女が凪の一族の祖先なのだという。
「…そんなことが可能なのか?」
「分かりません。ですがその後も数十年に一度の周期で、反転の世界樹の根元に、親の居ない幼児や赤子が現れています」
突然現れたその者たちも、凪の一族の誰かの養子となって一族の一員として扱われる。
リョウが奇妙に凪いだ笑みを浮かべた。
「…私も、ある日突然反転の世界樹のもとに現れた人間の一人です」
『!?』
アベルは思わずリョウを凝視する。
見た目は、どこをどう見ても普通の人間──ヒューマンだ。エルフのように耳が尖っているわけでも、ドワーフのように背が低いわけでもない。
(本当に…?)
リョウは当時、3歳くらいの幼児の姿だったという。
「…捨て子ではないのか?」
「反転の世界樹は、世界樹が自ら作り出した結界の中にあります。子どもを捨てるにしても、あんな場所にわざわざ行く人間が居るとは思えません」
それに、と、リョウは続けた。
「捨てられたにしても、それ以前の記憶が無いのは不自然でしょう。…私は自分の名前しか覚えていませんでした」
「…」
アベルは絶句する。
もし、本当にリョウが世界樹に造られた存在だとしたら──それはヒトの理から外れている。
凪の一族とは、こちらが思っている以上に特殊な一族なのかもしれない。
「──話を戻します。凪の一族が狙われることが、戦争や内乱の根拠になる、という話ですが…」
リョウの視線が鋭くなった。
「…魔力を使って魔法を発動するように、呪術は瘴気を使います」
大公が顔色を変えた。
「まさか…」
「──瘴気は魔素と共に流れているので、普通の街や村には極めて薄い濃度でしか存在しません。だから普通は、呪術も個別に掛けて行くしかない。大した威力にはならないんです。…けれど今、反転の世界樹は、瘴魔が生まれるほど限界近くまで瘴気を溜め込んでいます。それを呪術に使ったら…その術が成立してしまったら、どれほどの規模になるか、私たちにも想像がつきません」
例えばそれが人を殺す類の呪術だったら小国一つ簡単に滅ぶだろうし、人を意のままに操る傀儡術だったら、軍関係者全員か、最悪帝国民全員が操り人形になる可能性もある。
通常は術を掛けたい相手の血液と名前が必要だが、それすらも不要かも知れない。
その言葉に、アベルもようやく事態を理解する。
10年ほど前に即位した当代の皇帝は当初こそ穏健派で知られていたが、数年前から突然、近隣諸国を次々併合し始めた。
政略結婚や金銭を使った政治的なものではなく、軍事力を使った力任せの侵略だ。そのたびに多くの血が流れている。
公国が無事なのは大公の外交手腕の力も大きいが、一番はお互い攻めにくいあの峡谷のお陰だ。
だが、傀儡と化し、恐怖や躊躇いの無い兵士が大量に居るなら地形は大した問題にならないし、人を直接殺せる呪術ならそれこそ地形は関係ない。
「…反転の世界樹は、既に皇帝の手に落ちているのか?」
「いいえ。反転の世界樹の結界は、容易に破れるものではありません。…私の仲間が傀儡と化した今、時間の問題なのは間違いありませんが」
凪の一族の『月晶華』は、通常、反転の世界樹の結界をそのまま通り抜けられる。
しかし呪術に掛かれば、恐らくその時点でその者は異物として認識されるだろう──それがリョウの見立てだった。
だが、彼らには凪の一族としての知識がある。
世界樹の結界を破った前例は無いが、術に長けたアオイと宝生、攻撃の術に長けた凍牙の力を総動員すれば、それも可能になるだろうとリョウは言う。
「…敵の呪術師が反転の世界樹の瘴気を自由に使えるようになれば、間違いなく多くの命が失われます。それによってさらに瘴気が発生し、呪術師が使える力が増えて行く。その連鎖だけは、止めなければいけません」
呪術師ではない存在が、呪術を止める方法は三つ。
術の媒体となっているものを見付けて破壊するか、術者に術の行使を止めさせるか、殺すか。
「媒体を見付けられれば良いのですが、恐らく術師が隠しているでしょう。探すのは困難です。反転の世界樹を狙っている以上、術の行使を止めさせるのも現実的ではありません。──殺すのが一番確実です」
「…皇帝か、それに近しい人間を、か」
「はい」
大公が難しい顔をした。
相手は一国のトップ、もしくはその側近。ただでさえ手を出しにくい相手の上、呪術を使って人を操るというのなら、その傀儡たちを使って自分の守りを固めているはずだ。
それに、懸念はもう一つある。
「…呪術を掛けられた人間が、我が国に入り込んでいる可能性は?」
「……可能性としては十分にありえます。帝国に一度でも行ったことのある人間は、疑って掛かるべきでしょう」
ただ、とリョウは続けた。
「術の強度や掛かり方にもよりますが…私なら気配で分かります。──あの時、凍牙もアオイも、普段と気配が違いましたから」
それを一度感じて覚えたから、次からは呪術の気配はすぐに分かる。
そう断言するリョウの前で、大公は少し考える表情になった。
やがて、
「──状況は理解した」
大公は頷き、少しだけ表情を緩めた。
「…宝生殿が言っていた通りの人物だな、君は」
「宝生をご存知なのですか?」
リョウが目を見開く。
アベルも驚いた。まさか、大公はあの男と既知の関係なのだろうか。
「10年前、アベルが川を越えてこちらに戻って来たすぐ後に、宝生殿が秘密裏に我が国を訪ねて来てな。色々と話を聞いた」
リョウほど詳しい説明は無かったが、凪の一族が特別な存在であること、あの森を守っている事は伝えられていたのだという。
「その時に、私と宝生殿は密約を交わしている」
「密約?」
「──アベルが川を跳び越えたあの場所を、我が国の斥候や間諜が帝国へ渡るために使う事を黙認する代わり、凪の一族が公国に助けを求めて来た時は身の安全を保障する、とな」
「え?」
そんな話は初めて聞いた。
斥候や間諜は、特殊部隊の仕事だ。
アベルは特殊部隊の所属なのに、あの場所が帝国への侵入経路として使われている事を知らなかった。
思わず呻くと、ブラウが肩を竦め、小声で言ってくる。
「お前には秘密だったんだよ。お前、またあっちに行ったら戻って来そうもなかったしな」
「そんなことは…」
反論し掛けて口籠る。
確かにあの頃は、リョウにまた会いたいと夢にまで見ていた。
事件後すぐ『月の眼』の能力に目覚めて特殊部隊に配属されたのだが、あの精神状態で帝国へ諜報活動に行ったら、任務そっちのけでリョウを探し回っていただろう。それくらいの自覚はある。
リョウの存在は、それほど大きかったのだ。
大公はこちらのやり取りを見て苦笑していたが、一つ咳払いして表情を改める。
「──宝生殿との約束だ。君の身の安全は我々が保証する。皇帝とその身辺についても、早急に調査しよう。…その代わり、一つ頼みがある」
「…なんでしょうか」
「我が国に、呪術を掛けられた人間が居るか否か。その調査に協力して欲しい」
現状、呪術の有無を感知できるのはリョウだけだ。特殊部隊員の中でも感知系の能力持ちなら対応できる可能性はあるが、確実とは言えない。
リョウはすぐに頷いた。
「勿論です」




