68 英雄の帰還(2)
この国で生きて行く権利。
あまりにささやかな要求に、大公が眉を寄せる。
「…その程度で良いのか?」
「はい。私が今一番欲しいのはそれです」
リョウは頷いた。
「──私は本来、帝国の人間です。だから…これからもこの国に居られるようにしてください」
大公はなるほどと呟いた後、改めてリョウに問い掛ける。
「…分かった。では、どのような立場を望む?」
「立場、ですか?」
「と言うより、どのように暮らしたいか、か。普通の平民として市井に紛れて生きるか、貴族となって生きるか…ああ勿論、住む場所も自由だ。公都に居ても良いし、故郷に似た田舎に住んでも良い」
選択肢の幅が広い。
何にでもなれるし、どこにでも行ける。
リョウはアベルの傍に居ると言ってくれた。平民でも貴族でも、公都には居て欲しい──そう思っていると、リョウは予想外の答えを出した。
「──このまま、特殊部隊に居させてください」
「え…」
アベルは思わず呻く。
大公は軽く目を見開いた後、少しだけ口の端を上げた。
「──なるほど」
大公はエドガルドに視線を向ける。
「…神凪リョウ。正式に特殊部隊員となるなら、相応の覚悟が必要だ。意に沿わぬ命令を受けることもある」
「──そうならぬよう、この国は細心の注意を払っているのではありませんか?」
忠告に、極めて冷静に返された言葉。
エドガルドと大公が、揃って目を見開いた。
言われてみれば確かに、アベルたちは理不尽な命令をされたことはない。どんなにきつい内容でも理由や背景を説明され、多少思うところはあっても納得して任務に出ている。
──それはもしかして、とても稀有なことなのではないか。
アベルは初めてそう思い至った。
大公がゆっくりと苦笑を浮かべる。
「…そう思われているなら、光栄だな」
否定も肯定もしない。けれど恐らく、図星だったのだろう。
深く息をついた大公は、表情を改めてリョウに向き直る。
「──お前の希望は分かった。特殊部隊に居てくれるというなら、願ってもないことだ。そうなっても不自然ではないように取り計らおう」
諸々の根回しは大公がしてくれるらしい。リョウは安堵したように表情を緩めた。
「はい、お願いします」
「…しかしそれだけでは足りないな。褒賞金もつけるか」
「え…、いえ、私はお金は要りません」
その発言に、アベルは咄嗟に口を挟む。
「リョウ、褒賞金は貰っておいた方が良い」
「え」
「だな。あって困るもんでもないしな」
「これからこの国に住むなら、生活基盤を整えるのに初期費用が必要だろう?」
「公都は何でも揃いますけど、物価が高いっスからねぇ」
「同感だ」
ブラウたちも次々アベルに同意する。
リョウは真顔で大公に向き直った。
「やっぱり褒賞金もください」
大公とエドガルドが同時に噴き出した。
そのまま一旦帰宅するというカミロと別れ、アベルたちは特殊部隊の隊舎へ向かう。
道行く文官や使用人たちがちらちらとこちらを見て、だが話し掛けることなく通り過ぎて行く。
いつもなら煩わしさを感じる視線も、今日はそれほど気にならない。
多分、隣にリョウが居るからだ。
(我ながら現金…)
隊舎の扉の前には、ニルダが待っていた。
「リョウ!」
「ニルダ」
こちらの姿を認めるなり、ニルダがリョウに走り寄り、その勢いのまま抱きついた。
「──っの、おバカ!」
抱きついたまま、思い切り叫ぶ。
「ホントに、ホントに心配したんだからね! 何でもかんでも一人で背負い込むんじゃないわよ!」
「…ニルダ…」
涙混じりの声で言われ、リョウが困り果てたように呻く。
だが、ニルダの言うことももっともだ。これはリョウが自分でどうにかすべき問題だろう。
…とばっちりを受けたくないから止めないわけではない、決して。
暫くすると、リョウは恐る恐るといった様子でニルダを抱き締め返した。
「その…ニルダ、心配掛けてごめん。でも、もう大丈夫だから」
「…」
今までとは違う、柔らかな響きを帯びたリョウの声に、ニルダがそっとリョウを見る。
至近距離で見詰め合う形になり、リョウは照れくさそうに微笑んだ。
「…ただいま、ニルダ」
「…っおかえり、リョウ!」
ニルダがまたぎゅっとリョウを抱き締め、リョウも笑顔で応じる。
(…微笑ましい光景のはずなのに、何かモヤッとするのは何故だろう…)
内心が顔に出ていたのか、アベルを見たブラウが苦笑してニルダの肩を叩いた。
「はいはい、感動の再会はそのへんにしとけ。アベルが羨ましさで溶けそうになってるからな」
「えっ」
リョウが振り返る。アベルは慌てて表情を整えた。
ぱっとリョウを解放したニルダが、にやあ、ととても嫌な顔で笑う。
「おやおやあ? アベルってばやきもち? やっだぁもう」
先程の涙声は何だったのか。
突っ込みを入れたいところだが、上手く躱されるのは目に見えている。
アベルは渋面で応じた。
「やきもちも焼いて当然でしょ。リョウの隣は、俺のなんだから」
「…?」
「っ!?」
ニルダがきょとんと首を傾げ、リョウがビシッと音を立てて固まる。
数秒後、ニルダはようやく言葉の意味を理解したらしく、あんぐりと口を開けてリョウを見た。
目が合ったリョウの顔が、みるみるうちに真っ赤になって行く。
(あ、可愛い)
などと呑気に思っていると、
「──う、嘘でしょー!?!?」
ニルダが絶叫した。
「あのアベルが!? あの朴念仁で無自覚で歩く媚薬の、アベルが!?」
「ちょっと」
「──リョウ!」
半眼になるアベルを無視して、ニルダはがしっとリョウの両手を掴んだ。
「今ならまだ間に合うわ! やめときなさい、こんな唐変木!」
ひど過ぎやしないか。
アベルが憮然としていると、ええと、とリョウが口を開いた。
「大丈夫だよ。その…私が選んだ、から」
「え…」
リョウの顔は真っ赤だ。
けれどその目が思いのほか真剣で、その場の全員が言葉を失った。
数秒後、ニルダが大変真面目な顔で頷く。
「──分かったわ、リョウ」
キリッとした目でアベルを一瞬睨み、
「この朴念仁がお馬鹿なことしたらすぐに言って。私が全力で社会的に葬るから」
「ちょっ」
「分かった」
「そこは分からなくて良いから、リョウ!」
アベルは必死に叫ぶ。
広い人脈を持つニルダだったらやりかねない。
…いや、リョウに不快な思いをさせる気は全く無いが。
あーあ、とブラウがアベルの肩に手を置いた。
「逃げ場がなくなったな、アベル」
「いや最初から逃げなきゃならないような状況を作る気は無いけどね?」
「心配すんな。そうなったら俺が徹底的に追い込むから」
「それのどこが『心配すんな』なの!?」
突っ込むが、ブラウはとても楽しそうに笑うばかり。
「大変っスね」
チェレステが肩を竦める。
「あ、ちなみに自分は全面的にリョウさんの味方なんで」
「当然だな」
モーリスまで腕組みして深く頷いている。
状況を理解して、アベルは頭を抱えた。
──味方が居ない。
「えっと…アベル?」
リョウだけが、心配そうにこちらに手を伸ばしてくれる。
その手をしっかりと掴み、アベルは真剣な目で告げた。
「リョウ、俺、君を幸せにするから。裏切ったりとか、絶対にしないから」
ヒュウ、と横でブラウが口笛を吹く。
それに反応したら負けだと思ってじっとリョウを見詰めていると、リョウは数秒戸惑うように目をしばたいた後──ふわりと花開くように微笑んだ。
「──ありがとう、アベル。私もアベルを幸せにできるように、頑張るから」
『!?』
「…っ!!」
本当に、この恋人には敵わない。
驚きに固まる仲間たちの目の前で、アベルは思い切りリョウを抱き締めた。




