67 英雄の帰還(1)
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彼女が私の隣を選んでくれたことは、私にとって望外の喜びだった。
きっと彼女にも、様々な葛藤があっただろう。
相手に自分の思いを伝える、ただそれだけのことに、どれほどの勇気が必要か。
──その一歩を踏み出すのに必要なのは、きっと武力でも財力でも地位でもない。
自分を信じるということ。
あるいは──行動してから考えろ、と背中を思い切り叩いてくれる、仲間の存在。
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翌日から2日掛けて、アベルたちは公都へ帰還した。
最寄りの公国軍駐屯地からは馬車だったので、移動自体はそれほど大変でもなかった。
馬車の中でアベルはリョウに凭れて寝てしまい、カミロや宝生に生温かい目で見られていたらしいが。
特殊部隊専用の裏門から公都に入り、城に到着すると、門兵がすぐさま中に通してくれた。
「特殊部隊アベル・イグナシオ隊長補佐他5名、到着されました!」
門兵が大公の執務室の前で声を張り上げる。言葉遣いがやたら格式張っているのに首を傾げていると、内側から扉が開いた。
「──よく帰った」
扉を開けたのは、ブラウとチェレステ。
その奥、執務机の向こうで、大公が立ち上がって微笑んでいる。
それは目上の者や礼を尽くしたい相手への対応だ。
頭が真っ白になっていると、ドロテアがさっさと執務室に入る。
(…あ、そうか)
一行には宝生も居る。身内だけではないのだから、大公が礼を尽くすのはそれほどおかしなことではない。
気を取り直して入室すると、アベルとモーリス、カミロ、そしてリョウは横一列に並んで敬礼した。
「特殊部隊アベル・イグナシオ、カミロ・グリハルバ、モーリス、並びに神凪リョウ。只今帰還いたしました」
ピシリと動作が揃う。
大公は頷き、ドロテアからも帰還の口上を受けて、宝生へと視線を移した。
「久方振りだな、宝生殿。健勝そうで何よりだ」
「お久しぶりです、大公陛下。此度の神凪リョウの保護と我ら凪の一族への助力、心より感謝いたします」
宝生が深く頭を下げる。
「なに、我が国にとっても無関係な話ではなかったからな。──お陰で帝国と事を構えずに済んだ」
ここから程近い国境線、峡谷を挟んで睨み合いとなった帝国軍と公国軍。
大規模な戦端が開かれる前に、帝国軍は内側から崩壊したのだという。
詳しく聞くと、帝国軍が瓦解したのは丁度リョウが皇帝を斬った時間。やはり、帝国軍のほとんどは傀儡の術で操られていたのだろう。
一部は抵抗したが、多くは大人しく捕虜となった。
帝国暫定政府のラファエロとの水面下の交渉により、その大部分は既に帝国に還されているそうだ。
(…その交渉、全部クラウスと隊長が中継したんだろうな…)
能力の正しい使い方というか、酷使というか。
クラウスは帝都に残って正解だったと思う。本人はやさぐれていそうだが。
──ともあれ結果的に、帝国軍とは散発的な小競り合いだけで済み、公国軍に死者は出なかった。
一触即発の状態だったことを思えば、これ以上ない結末と言える。
「それに──反転の世界樹のこともな」
大公は一瞬痛ましげに目を伏せた後、軽く頭を振って表情を切り替えた。
「反転の世界樹が堕ちれば、この国にも甚大な被害があっただろう。それを止めてくれた凪の一族には、本当に感謝している」
「それこそ、我々の使命ですから。──ですが、そのお言葉は有難く」
大公が差し出した手を、宝生がしっかりと握り返す。
その後宝生は里人たちと合流するため、兵士の案内で部屋を出て行った。
凪の一族の人々は、暫定的に大公の屋敷の離れに滞在しているそうだ。リョウも一緒にそちらへ行くのかと思っていたら、彼女は当たり前の顔でアベルの隣に残った。
それが、何だか嬉しい。
(不謹慎かな…)
「さて──」
大公が軽く息をつくと、背後に控えていたエドガルドがさっと椅子を引く。
椅子に座る大公と入れ替わるように、エドガルドがこちらを見た。
「──皆、ご苦労だった」
『はっ』
いつもの任務帰りと同じ声、同じ言葉。
帰って来たのだと実感する。
「此度の功績により、ここに居る全員、大公より褒賞を賜る。──アベル・イグナシオ、ブラウ・エンリケス、ならびにカミロ・グリハルバ」
『はっ』
呼ばれた3人が一斉に姿勢を正すと、エドガルドは続けた。
「男爵位から昇爵、子爵位を授ける」
『謹んでお受けします』
お決まりの台詞を、声を揃えて返す。
言ってから、アベルは内心でうへえ、と呻いた。
ブラウは子爵家の入り婿だから、個人で子爵位を取ることで婚家との釣り合いが取れる。カミロは既婚者で壮年、しかも愛妻家として有名なので、寄り付くご令嬢は居ないだろう。
問題はアベルだ。
20代前半独身で子爵に昇格となると、どう考えたって目立つ。
結婚相手を探すご令嬢に、優良物件と見倣される可能性は極めて高い。
だからといってリョウと早々に結婚するのも、逃げを打ったような印象を与えるだろう。それはそれで癪だ。
…いや、そもそもはっきりと結婚の約束を交わしているわけではないのだが。
(今は恋人同士になれただけでも嬉しいし、結婚とか時期尚早ってやつだよね…)
一人で悶々と考えていると、エドガルドの視線がモーリスとチェレステに移った。
「モーリス、チェレステ。お前たちは男爵への叙爵とする」
「謹んでお受けします!」
「それは…」
チェレステは即応したが、モーリスは珍しく言い淀む。
大公が苦笑した。
「今まで散々断られたが、いい加減覚悟を決めても良いだろう。お前の働きにはそれだけの価値がある」
「ですが」
「それに」
モーリスの言葉を遮り、大公がにやりと笑った。
「ニルダ・アルモンテから申請書類が上がって来ていてな。──モーリスとの婚姻許可願だそうだ」
「……は!?」
ひらり、大公が1枚の書類を掲げる。
紙の上の方、確かにそんな文言が見えた。
「ニルダは男爵、お前は無爵──結婚できないわけではないが、少々手続きが面倒だろう。この際だ、貰えるものは貰っておけ」
大公がとても悪い笑みを浮かべている。
「そうすれば、お前の家名を考える手間が省ける。『アルモンテ』で良いな?」
(うわあ…)
全力で外堀を埋めに掛かっている。
畳み掛けられたモーリスは、暫く顔を赤くしたり青くしたりと忙しかったが、やがて深々と溜息をつき、改めて敬礼した。
「──謹んで、お受けします」
覚悟を決めた目で応じるモーリスに、大公が満足そうに頷く。
敬礼を解いたモーリスが渋面を作った。
「…その書類、本来は婚姻を結ぶ2人で出すものでは?」
「おや、そうだったか? 最近物忘れがひどくてな。もうサインしてしまったし、お前の了承も貰えたんだから良いだろう」
大公があからさまに視線を逸らして嘯く。
多分、大公とニルダが共謀してやったのだろう。国のトップが何をやっているのだ。
──まあこういう人だからこそ、国の舵取りが出来るのだろうが。
「──さて、待たせたな、神凪リョウ」
リョウに声を掛けたのは、エドガルドではなく大公本人だった。
「暫定的に特殊部隊に配属したとはいえ、お前は本来、この国の人間ではない。──しかし」
淡々と事実を並べた後、大公は少しだけ笑みを浮かべた。
「お前の功績は、我々が一番よく知っている。地位、金銭、土地、生活の保証──あらゆる褒賞の用意があるが…何か欲しいものはあるか?」
大公が提示したのは褒賞そのものではなく、リョウの希望を訊ねる問い掛けだった。
「欲しいもの…」
「何でも構わん。出来るだけ希望に沿おう」
言われて、リョウは少し考える仕草をする。
地位も金銭も、リョウが欲しがるとは思えない。土地など一番要らないだろう。
アベルが考えていると、では、とリョウが顔を上げた。
「──この国で生きて行く権利をください」
強い決意を乗せた声だった。




