63 居場所(1)
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彼女が選ぼうとした道は、私にとってあまりにも衝撃的だった。
自分諸共、大切な存在を滅ぼすということ。
一体どれほどの覚悟で、彼女はカタナを抜いたのか。
…その覚悟を、私は真っ向から否定した。
たとえ彼女が心の底からそれを望んでいたとしても──彼女を失うことだけは、どうしても受け入れらなかった。
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宝生たちと里人たちの尽力により、リョウは何とか命を繋ぎ止めた。
呼吸と鼓動は戻った。けれど、意識が戻らない。
そんなリョウを横抱きにして里に戻ると、カミロたちが野営用のテントを用意してくれていた。
かなり数が多いのは、里人たちの分もあるからだろう。家は全て破壊し尽くされて、とても休める状態ではないのだ。
「帰ったか。救護室はこっちだ」
カミロがやって来て手を差し出す。リョウを受け取ろうとしているのだと分かったが、アベルは首を横に振った。
「俺に運ばせて」
「…そうだな。その方が良いか」
カミロが苦笑して、テントの入口を開ける。
中には一足早く、ドロテアが居た。簡易の椅子に腰掛け、コップを手にしている。匂いからして、中身は疲労回復効果のある薬湯か。
「リョウは奥のベッドに寝かせな」
「はい」
ドロテアの指示に従って、リョウをベッドに寝かせる。
野営設備の中でベッドがあるのは救護室だけだ。回復術師や軍医が患者を診るのに、高さがあった方が便利だからだという。
しかし、いつの間にこんなものをここまで持ち込んだのか。
「いつもの道具を持って来て正解だったね」
リョウの脈を診たドロテアが、溜息と共に呟く。
「この設備は、ドロテアさんが?」
「私が派遣されるからには、必須だからね。あとは、里人の分のテントや食糧なんかも大公の指示さ」
それに伴い、特殊部隊から追加の応援人員も来ているという。
なるほど、道理でここには居なかったはずの仲間が外を歩いているわけだ。
リョウへの術で力を使い果たした宝生たちや里人たちは、彼らの案内でそれぞれテントへ入って行った。
モーリスたちも既に応援人員に合流し、瓦礫の撤去や炊き出しの手伝いを始めている。
普通に考えるならアベルもそちらに行くべきなのだが──
「あんたはここに居な」
ドロテアが強い口調で言い放った。
リョウの傍を離れたくない心境を見透かされたようで、ドキリとする。
「まだ意識を取り戻したわけじゃないからね。月絆の紋…だったか。万が一容態が急変した時のために、お前はここで待機だ」
心臓マッサージをするよりも、アベルが手を繋いだ方が早いし確実だ。
完全に便利な道具扱いされている気がしないでもないが、傍に居られるのなら望むところ。アベルは一も二もなく頷いた。
「承知しました」
椅子を引っ張って来てリョウのベッドの横に陣取り、そっと手を握る。
呼吸は浅くゆっくりで、一見すると息をしているとは思えない静かさだ。
握る手の温かさに縋り、アベルは額に手を当てて祈る。
(帰って来て、リョウ)
今なら、多くの人の命を犠牲に皇妃を蘇らせようとした皇帝の気持ちが少し分かる。
大切な人を喪うかも知れない恐怖。
命は繋ぎ止めたはずなのに、意識が戻らないだけで、心の底から叫びたいような、深い海の底でもがいているような──そんな心地になる。
実際に大切な人を喪ったサリエルは、一体どれだけの絶望を抱え、呪術に縋ったのだろうか。
自分の命で彼女が助かるなら、アベルだって喜んで命を差し出すだろう。
──もっとも、それこそ彼女の望まない結末だという確信はあるが。
「アベル」
どれほどの時間が経ったのか。
ブラウが木のカップを持って入って来た。
「ほらよ、とりあえずスープでも飲んで落ち着け。お前が倒れたら元も子もないだろ」
「…ありがと」
ブラウが差し出したカップは1つだけ。リョウがまだ意識を取り戻さないことは織り込み済み──その事実一つとっても、胸に痛みが走る。
内心を誤魔化すようにスープに口をつけると、野菜の甘さと野草のわずかな苦みと共に、ふわりと生姜の風味が広がった。
「…これ…」
「覚えがあるか?」
驚いて顔を上げると、ブラウがにやりと笑った。
「宝生曰く、瘴魔と戦った後は、必ず生姜入りの野菜と野草のスープを飲むんだと」
身体を温めれば心もほぐれる。『月晶華』たちの定番なのだそうだ。
(それじゃあ、10年前、リョウは…)
訓練兵だったアベルを助けてくれたあの時、リョウは既に瘴魔と戦った後だったのか。
もしかしたら、単にアベルのために作ってくれたのかも知れないが──
改めて、スープを口にする。
喉を通って胃を温めるその温度に、アベルはほんの少しだけ、肩の力が抜けた。
──目に浮かんだ涙は、きっと湯気のせいだと言い訳して。
リョウが目を覚まさないまま、一夜が明けた。
里の広場にリョウとドロテアを除く全員が集まる中、宝生がアベルたちに頭を下げる。
「──改めて、今回の助力と尽力に深く感謝する」
凪の一族には、里長や長老に相当する役割は無いのだという。『月晶華』の筆頭である宝生が、実質的な一族の顔役なのだそうだ。
宝生の一礼に、アベルたちは敬礼で応えた。
「こちらこそ、神凪リョウ殿の助力と──公国の者たちへの配慮に感謝を」
公国の間諜や工作員は、川幅が狭くなっている場所を使って帝国側へ潜入していた。それを黙認してくれていたのは彼ら凪の一族だ。
暗にそれに対する礼を述べると、宝生は穏やかな顔で頷いた。
「──それで、これからのことだけど…」
アベルがモーリスに視線を向けると、モーリスは真面目な顔で口を開く。
「公国では既に、凪の一族の受け入れ態勢が整っている。一時的にそちらに避難し、情勢が落ち着いてからそれぞれ身の振り方を決めて欲しいとのことだ。公国で新しい暮らしを始めるも良し、ここに戻って来るも良し、新天地を求めて旅立つも良し──帝国レジスタンスの…暫定政府トップのラファエロ・シュルトハイムも了承している」
「…仕事が早いな」
宝生が驚いた顔をする。
アベルも今朝聞いたのだが、クラウスの『以心伝心』で公国に居るエドガルドと繋がり、ラファエロと大公の間で迅速に取り決めがなされたという。
決定事項はモーリスに伝えられ、今こうして開示されているわけだ。
「宝生、そちらはどうしたい? 大公はこう言ってるけど、ここに留まりたいならテントを貸すことも出来るし、破損の少ない家を修理することも出来ると思う。…今リョウを動かすのは危険だから、どのみち俺とリョウとドロテアさんはここに留まる予定だし」
アベルが言うと、宝生たちは顔を見合わせる。
真っ先に進み出たのは、元『月晶華』だと言っていた老夫婦だった。
「ワタシたちは公国に滞在させとくれ」
「ここに留まっても、これ以上出来ることは無いしのぉ」
それを皮切りに、里人たちは皆、公国へ渡ることを希望する。
薄情なのではなく、自分たちが負担になることを懸念しての行動だろう。アベルが頷くと、凍牙とアオイも一歩踏み出して来た。
「俺たちも公国へ行かせてくれ」
「皆の護衛役が必要でしょう? …公国では間違いなく不要でしょうけど」
声に苦笑が混ざる。
公国のことを信用してくれているのだろう。しかし護衛は必要なくとも、腕の立つ身内が居た方が里人が安心できるのは事実だ。
残る宝生は、ちらりと救護室の方を見遣った。
「──俺は念のため、ここに残る」
明らかにリョウを心配しての言葉。その目に宿る思慮深い色に、アベルは思わず胸を押さえそうになる。
「まあ大丈夫だろうが…世界樹が無くなったことでここにどういう変化があるか、まだ読めないからな。防御できる人間が居た方が良いだろう」
(あ…)
リョウ個人ではなくここに残る全員を案ずる宝生に、アベルは心の底から己を恥じた。
何とか動揺を押し殺し、分かった、と頷く。
「この場所に詳しい人間が居てくれるのは助かるよ。──そしたら、こっちは…」
「悪い、俺は先に帰って良いか?」
ブラウが即座に手を挙げた。
ブラウのパートナーは、生粋の貴族で身体が弱い。帝国に赴くことは極秘扱いだったが、察しが良いので恐らく勘付いているだろう。今頃心労で倒れているかも知れない。
「そうだね、奥方を早く安心させてあげた方が良い」
アベルが頷くと、ブラウは一瞬目を見張り、がしがしと頭を掻いた。
「…おう、ありがとよ」
口調に照れが混ざっている。
なら、とモーリスが口を開いた。
「チェレステ、お前は先に帰れ。道中の安全確保はお前が適任だ」
「任せてくださいっス」
チェレステが真面目な顔で請け負う。
ということは──
「俺はここに残る」
「え、でもモーリス、ニルダが待ってるんじゃないの?」
ニルダは今回の作戦の詳細を知っている。モーリスこそ先に帰った方が良いのではないか。
アベルが案じると、モーリスが鼻を鳴らした。
「あいつのところには逐一情報が入って来てるだろ。あっちはあっちでやるべき事をやってるはずだ。──なら、情報共有をしやすいように、俺はここに残った方が都合が良いだろうが」
ニルダはニルダの役割があり、モーリスにはモーリスの役割がある。
突き放しているのではなく、信頼しているからこその言葉。
「…分かった」
何故かその関係性が、少し眩しい。
アベルは目を細めて頷いた。
今回の週末集中更新はここまでです。
物語も佳境に入って参りました。
多分次の土曜日にはエピローグまで行けるかと…。
頑張りますので、応援よろしくお願いします!




