59 反転の世界樹(1)
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皇帝を弑したことで、帝国は大きな時代の転換点を迎えた。
だが、私たちにとってそれは小さな一区切りに過ぎなかった。
──当代唯一、真の意味での月晶華。
私はその日、その言葉の意味を思い知ることになる。
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皇帝を倒したという事実は、ラファエロが大々的に喧伝するまでもなく皆に知れ渡っていた。
サリエルがリョウに斬られたと同時に、傀儡術が解けていたのだ。
兵士たちの半数以上が一斉に崩れ落ち、異様な状況に残った兵は戦意を失った。
勝利に沸くレジスタンスたちと民衆。
その陰で、アベルたちはひっそりと帝都を脱出した。
「ま、帝都の外は大丈夫だとは思うが、気を付けて行けよな」
帝都を囲う城壁の西、隠し通路を案内してくれたクラウスが気楽な顔で笑う。
「お前もな。レジスタンスの連中と一緒くたにされるんじゃねぇぞ」
モーリスが渋面を作る。
クラウスは、このままラファエロのもとに留まることを決めていた。
公国が秘密裏にレジスタンスに協力していたのだ。事後処理にも連絡役は必須だし、双方の事情を知るクラウスが適任なのは間違いない。
…本当に大丈夫か、と思わなくもないが。
「じゃ、またなー」
ひらりと手を振って、クラウスがあっさり踵を返した。
「俺たちも行くか」
ブラウが促し、モーリスの異能で全員に身体強化が掛かる。
走り出す前、アベルは一瞬帝都を振り返った。
仕掛けられていた呪術はサリエルが死ぬと同時に停止し、崩壊した。
──崩壊という表現が適切かは分からないが、ブラウはそう感じたそうだ。
それに伴い、無理矢理集められていた瘴気は周囲に飛散し、かなり希薄になっている。
帝都の雰囲気が明るくなっているのは、民衆が沸き立っているからというだけではないのだ。
とはいえ、瘴気はそのまま消えるわけではない。
一旦飛散しても、この辺りの瘴気が行き着く先は同じ。水が上から下へ流れるように、全て反転の世界樹へ流れ込む。
既に限界を迎えている反転の世界樹に帝都に集められていた瘴気が殺到すれば──結果は考えるまでもない。
だからアベルたちは、急ぎ凪の一族の里を目指すことになった。
アベルが先頭に立ち、一行は走り出す。
皆、疲労はあるはずなのに、その速度は往路よりもずっと速かった。
1日半後、アベルたちは凪の一族の里へ到着した。
「皆さん! 無事だったっスね!」
入口で待機していたチェレステが、パアッと顔を輝かせる。
その隣に居るのはカミロだ。応援として来てくれていたらしい。
「よう、おつかれさん」
「おつかれ。警護ありがとう」
アベルが礼を述べると、チェレステとカミロは軽く驚いた顔をした。
「え、なに?」
何か変なことを言っただろうか。
アベルが首を傾げると、カミロはすぐに首を横に振った。
「ああいや、気にすんな。──状況は聞いてるぜ。帝国の方は片がついたみたいだな」
「うん。とりあえず、呪術師は片付いた」
クラウスの『以心伝心』は、隊長にも繋がると聞いている。そちら経由で伝わったのだろう。
「里の人たちは?」
「相変わらず、石化したままだ」
それは、まだ宝生の術が効いているということ。つまり──
「間に合ったみたいだな」
「…うん」
ブラウが呟くと、リョウが安堵を滲ませて頷いた。
その肩をモーリスが叩く。
「早く術を解いてやれ。もう大丈夫なんだろ」
「うん。行ってくる」
リョウが足早に里へと入った。
アベルたちもそれに続くと、リョウは入口広場に集められた里人の石像の中、宝生に迷わず歩み寄っていた。
何事か呟いた後にカタナを抜き、刃を下にして両手で捧げ持つ。
「──」
一瞬、耳鳴りのような音がして、すぐに聴こえなくなった。
よく見ると、カタナの刀身が細かく振動している。何かに共鳴しているのだろうか。
リョウは軽く息を吸い込み、真っ直ぐ下に──地面にカタナを打ち込んだ。
冗談のようにあっさりと、石畳にカタナが突き刺さる。
瞬間、リョウを中心として放射状に風が吹き出した。
「うわっ…!?」
チェレステが一瞬態勢を崩す。
暴風はすぐに収まり、固唾を呑んで見守るアベルたちの前で、石像がゆっくりと色を取り戻した。
「…あ…」
「…」
「これは…」
髪の色も目の色も、服の色も様々な里人たちが、一斉に動き出す。
カタナを鞘に収めたリョウが深く溜息をつき、ホッとしたように微笑んだ。
「…良かった」
零れた声は、今まで聞いたことのない柔らかな響き。
「リョウ」
宝生が目を開き、名を呼んだ。
そこに含まれる親しげな雰囲気と隠しようのない愛情に、アベルは言葉を失う。
宝生は一歩踏み出そうとして大きくよろけ、リョウに支えられた。
「無茶したね」
「まあ…これくらいは大目に見ろ」
苦笑する宝生とリョウのもとに、2つの人影が歩み寄る。
「リョウ、宝生…」
「凍牙、アオイ」
宝生に肩を貸して、リョウが2人に向き直った。
柔らかな表情を浮かべるリョウに対して、凍牙とアオイは視線を落としている。
「…ごめんなさい。私たちが油断しなければ、こんなことには…」
「本当に済まない」
傀儡術で操られている間の記憶は、基本的に残るらしい。皇帝親衛隊のバルトルドが言っていた。
当然、凍牙もアオイも、石化する前の自分たちの行動のことは覚えているだろう。顔には強い悔恨が浮かんでいた。
リョウが首を横に振る。
「いいよ。私は気にしてない。…2人が無事で良かった」
微笑むリョウに2人は息を呑み──アオイがリョウを抱き締めた。
「──ありがとう、リョウ」
「宝生も、止めてくれてありがとうな」
「良いってことよ。後で秘蔵の酒でも飲ませてくれ」
宝生が軽口を叩くと、凍牙は苦笑して頷いた。
「…」
親し気に言葉を交わす『月晶華』の面々を、アベルは複雑な気持ちで見守る。
本当に親しい──家族同然、あるいはそれ以上の間柄なのだろう。そこに他人が入る余地など無かった。
リョウの仲間が助かって良かったと心の底から思うと同時に、その関係性に嫉妬や気後れのようなものを抱く自分も、確かに居る。
アベルの視線に気付いたのか、リョウがこちらを向いた。
「宝生、凍牙、アオイ。彼らは公国の特殊部隊員。今回の件で、力を貸してくれた」
「そうか…」
宝生がリョウから身を離し、息をついて姿勢を正す。
「凪の一族『月晶華』筆頭、永山宝生。凪の一族を代表して礼を言う。──本当に助かった。ありがとう」
丁寧に頭を下げる所作が、どこかリョウに似ている。
ずっと一緒に暮らしてきた仲間なのだから当たり前だ。
埒もないことを考えながら、アベルは公国軍式に敬礼した。
「こちらこそ、神凪リョウ殿の助力に感謝いたします。──あと、個人的には、10年前のことも」
「10年前…」
首を傾げる宝生に、10年前にリョウに助けられたのだと事情を話すと、すぐに合点がいったようだった。
「──ああ、あの時の少年兵か!」
穏やかな目が、アベルを真正面から見詰める。
「…つーことは、お前が『銀月』だな。その気配、『月絆の紋』はまだあるんだろう?」
凪の一族には気配で分かるらしい。
アベルが頷いて本名を名乗ると、宝生だけでなく、凍牙もアオイも他の里人たちも、何やら微笑ましいものを見る目になった。
(…?)
「えっと…他の人たちのことも紹介させて」
何故かリョウが挙動不審だ。
互いに名乗り合うと、今度はざっと状況を確認する。
鉄生は皇帝に吸収されていた、とリョウが説明すると、凍牙とアオイが目を伏せた。
「…そうか。だからあの時…」
凍牙とアオイは、鉄生に手紙で呼び出された。
だが本人には会えず仕舞いで、指定の場所──皇城の応接室で呪術の罠に掛かり、そのまま傀儡術を掛けられてしまったのだという。
「…多分、その時にはもう…取り込まれていたんでしょうね」
本人の記憶や知識を吸収するのだから、筆跡を真似るくらいは容易いだろう。
里人たちも目を伏せる中、宝生がリョウに訊いた。
「皇帝は、お前が倒したんだろう?」
「…私は『人でなくなった部分』を滅ぼしただけ。とどめを刺したのは、皇帝親衛隊の隊長だよ」
「そうか…。──あいつは、ちゃんと往けたってことだな」
宝生の目に、言いようのない光が揺れる。
鉄生と宝生。名前の響きが似ているから、恐らく親族だろう。
それが呪術師に取り込まれ、仲間を罠に掛けるのに利用され、呪術師諸共、仲間によって滅ぼされた。
その胸中はいかばかりか。
宝生は軽く首を振って苦笑した。
「あいつも、お前に斬られてホッとしてるだろうよ。──そんな顔するな」
「…ごめん」
謝るリョウの頭に、宝生がぽんと手を置く。
彼らにとってはいつものやり取りなのだろう。手慣れた様子に、アベルはまた心が波立つのを感じる。
(厄介だな、自分…)
と──
「…!」
リョウがはっと里の奥を振り仰いだ。
直後、その先の風景が変わる。
「え──」
「な……!?」
釣られたようにそちらを見た皆が、目を見開いた。
里の向こうに、巨大な──空を覆わんばかりの巨大な樹が、忽然と姿を現していた。
「結界が…消えたのか」
宝生の呟きが、ひどく耳に残った。




