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アベル・イグナシオ回想録 ~国境で捕えられた敵国人は、俺の命の恩人でした~  作者: 晩夏ノ空


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58 クーデター(5)


 先程リョウは瘴魔に腕を咬まれ、出血した。


 ここは呪術の中心だ。術者が直接対象の血に触れなくても、傀儡術は成立する──


「…っ」


 リョウは俯いたまま、咬まれた腕を強く押さえつけている。

 その顔を覗き込んで、アベルは息を呑んだ。


 ──金色の目に、強い光。


 リョウはまだ諦めていない。


「…!」


 アベルは立ち上がり、背後から襲い掛かろうとしていた小型の瘴魔を斬って捨てた。

 異様な気配に呑まれそうになるのを耐え、瘴魔の攻撃からラファエロとリョウを守る。


 サリエルが嘲笑した。


「無駄だ。じきにカンナギは私のものになる」

(うるさい)


 傀儡術に集中力を割いているのか、瘴魔は先程より多くない。


 それでも、アベル一人では限界がある──焦燥が胸に満ちた頃、リョウが不意に立ち上がった。


「…」

「リョウ!?」

「成ったか」


 サリエルが満足そうに嗤う。


 が。



「──()()()()



 小さな呟きを残して──



「………え?」



 次の瞬間、リョウはサリエルの眼前に踏み込んでいた。


 ──ィン。


 微かな音が響き、何かが宙を舞う。

 サリエルが呆けた顔でリョウを見ている。

 少し離れた場所に、どさりと音を立てて転がったのは──




 ──多くの腕輪を着けた、サリエルの左腕。





「な…!?」


 周囲の瘴魔が一斉に消える。

 肘と手首の間あたりで斬断された腕の切り口には、腕ごと斬られた腕輪がついていた。


 サリエルの腕に残った部分と斬り飛ばされた方についている部分が同時に外れ、床に落ちてカランカランと乾いた音を立てる。


 左の肘から先を失ったサリエルが、一歩後退る。


「──ひとつ、訂正しておく」


 リョウが静かな声で呟いた。



「私は『(かんなぎ)』じゃない。私は、『神を()ぐ者』──()()()の名を持つ月晶華」



「…!?」



 リョウの顔に何を見たのか、サリエルの瞳に初めて恐怖が浮かぶ。

 リョウは振り抜いたカタナを、そのまま両手に持ち替えた。


「──神を名乗った時点で、勝負は決まってたんだよ」

「貴様…!」


 目を見開くサリエルの前で、リョウがカタナを袈裟懸けに振り下ろす。



「壱式、斬!」



 白銀の一閃が、渦巻く瘴気諸共、サリエルを叩き斬った。



「──!!」



 サリエルは為す術もなく吹っ飛び、背中から床に叩き付けられる。


 左肩から右脇腹にかけて、豪奢な衣装が斜めに切り裂かれている。

 だがその中身は…()()()()()()()()()


「…ふ、は、はははは…」


 仰臥したまま、サリエルが笑いだす。

 真っ黒な炭のような、乾き切った胴体を覗かせて。


「その程度で、私を殺せるとでも思ったか」


 リョウは確かに『斬った』はずだ。


 実際その斬線は、心臓を捉えていた。

 だが、服が切り裂かれているだけで、出血はおろか傷口すら見えない。そもそも、これが人の身体だとは思えない。


 もはや人間ではない。『神になった』というのは、言葉通りの意味だったのか。


「100人分だ…私は、100人分の命を持っている! 望みを叶えるまで、止まることはない!」

「…100人も、犠牲にしたのか…」


 アベルの背後で、ラファエロが表情を歪める。


「──殺せるさ」


 リョウが静かに呟いた。



「少なくとも、『神である部分』は」


「なに…?」



 眉を顰めたサリエルの横で、切り落とされた左腕が胴体と同じ色に染まり、()()()()()()()



「!?」



 それが合図だったように、サリエルの身体が徐々に黒い液体へと変貌していく。



「な…!?」



 両足の爪先から膝下、膝上、太腿を経て腰、右の指先、掌、手首から肘、二の腕、そうして──



「何故、何故、何故…!? 貴様、何をした!」



 服だけ残して胴体までもが黒い液体と化し、サリエルは狂気じみた声で叫んだ。


 残っているのは首から上だけ。

 黒い液体に浸った首が、声を出せるはずもないのに、怨嗟の呻きを上げる。


「私を殺せるはずがない! 私は、私は…!」


 リョウはただ静かにサリエルを見下ろし、呟いた。


「…首から上は、()()人間だったんだね」


 でも、と、真っ二つに斬られて床に転がる腕輪を見遣る。


「──形代(かたしろ)は破壊した。じきに、今まで溜まっていた反動が来る」

「なにを、──……!?」


 それが、意思を伴う最後の言葉だった。


 サリエルの顔が一気に土気色へと変わり、目玉が零れんばかりに目を見開く。



「あ、あ、あ、ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛…──!?」



 目に見える何かがあったわけではない。

 ただ──サリエルに何か致命的なことが起きたのだと、理解する。


 苦痛と恐怖の表情で絶叫する生首を、アベルは凍り付いたように見詰めていた。


「──どうした!?」


 階段からモーリスとブラウとクラウスが駆け込んで来る。

 その背後に続いた人物に、ラファエロが目を見張った。


「バルトルド! …そうか、傀儡術が解けたのだな」

「ラファエロ様、ご無事で…──いえ、私が言える立場ではありませんな」


 一瞬安堵の表情を浮かべた皇帝親衛隊隊長は、首を横に振ってサリエルへと視線を移す。


「これは…」

「…呪術の反動だ。兄上──皇帝は、とうの昔に人間を辞めていた」

「人間を、辞める…?」

「呪術には、そういった類の術もある。…人でなくなった部分は、既に(たお)された。あとは…」


 ラファエロがサリエルに近寄る。

 断続的に絶叫するサリエルには、もはや周囲の状況が見えていないようだった。

 ラファエロはぐっと拳を握り、視線を落とす。


「──バルトルド」


 数秒後、ラファエロは強い光を宿した瞳でバルトルドを見遣った。



「皇帝に、引導を渡してくれ。──こんな状態でも、頭を叩き斬れば、殺すことは出来るはずだ」


「…!」



 バルトルドが息を呑む。

 しかし、と言い掛けるバルトルドに、ラファエロは頭を下げた。


「頼む。──モーリスの言った通りだ。我々は、皇帝が間違いを犯した時、殴ってでも止めるべきだった」

「それは…」

「私には今の皇帝を殺せる力が無い。だから、頼む」

「──」


 躊躇(ためら)うバルトルドに、クラウスが長剣を押し付けた。

 一旦は武装解除したのだろうに、わざわざバルトルド自身の武器を渡したのだ。


 バルトルドは手に戻った長剣を見詰め、やがて静かに頷いた。



「──それが、親衛隊隊長の役割…でしょうな」



 すらり、剣を引き抜く。

 サリエルに歩み寄る足取りは、淡々と、けれど重々しく。


 長剣を正眼に構え、バルトルドは暫し瞑目した。



「……皇帝陛下。せめて、安らかに──」



 振り上げられた剣は、一直線にサリエルの頭部に振り下ろされる。



 その一瞬、サリエルの絶叫は確かに消えていた。



 頭部を叩き斬った剣はその勢いのまま床に叩き付けられ、折れ飛んで壁の帝国旗に突き刺さる。




 ──斬られる直前、正気を失ったはずの皇帝の顔に、確かに安堵の表情が浮かんでいた気がした。





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