57 クーデター(4)
皇都に渦巻いていた重苦しい空気は城に近付くにつれて濃くなり、呪術の中心と言われるこの場所は、異様な雰囲気に包まれていた。
氷室のように冷え切った、背筋の凍りそうな空気と、その場に座り込みたくなるような重圧。
これが呪術の中心。瘴気が集まる場所。感知能力の無いアベルでも、瘴気が目に見えそうだ。
ラファエロが目を細め、サリエルに呼び掛ける。
「──死者の蘇生は、犠牲を増やすだけで誰も成し得たことのない禁忌の術だ! 義姉上もそんなことは望んでいない!」
途端、サリエルの顔が憤怒に歪んだ。
「黙れ、半端者が! 知った風な口を利くな!」
床に無数の蛇を思わせる紋様が浮かんだ。ぞわり、背中を嫌な冷たさが這う。
「死者蘇生の秘術は、術師の実力と対価が足りなかったから失敗してきただけだ! 今度こそ、私ならば──」
「無理だ」
静かなリョウの声が響き、場が止まった。
「死人が生き返ることはない。──死者の魂は、この世界に存在しないから」
「なに…」
サリエルがリョウを睨み付ける。
リョウは、奇妙に凪いだ目をしていた。
「生き物が死ぬと、魂は速やかに肉体から離れ、『あちらの世界』に渡り、あちらで新たな生を受ける──だから、いくらこちらで蘇らせようとしても、魂が戻って来ることはない」
あちらの世界で、別の存在として生きているから。
それは、昔からよく聞くお伽話。
だが今、リョウはそれが事実であるかのように語っている。
(…もしかして、本当に?)
リョウは凪の一族。しかも、世界樹の意思のことを『母親』と言っていた。
普通の人間が知らぬことを知っていても、おかしくはない。
死者蘇生の呪術がこの世の何処かにある死者の魂を呼び戻す術として作られているなら、その前提が間違っていることになる。
何千人犠牲にしても、成功するはずがない。
「──適当なことを言うな!」
叫ぶサリエルの表情に、僅かな動揺が見えた。
血走った目でリョウを見遣り──不意に、何かに気付いたように眉を寄せる。
「……そうか。貴様が『神凪リョウ』か」
口の端が吊り上がる。
歪んだ笑みを浮かべたサリエルは、お前のことは知っている、と呟く。
「世界樹の愛し児。当代唯一、真の意味での『月晶華』──『鉄生』は随分と貴様のことを気に掛けていたぞ」
「鉄生…?」
知らない名前が出て来た。響きからして、凪の一族のようだが──
「…まさか」
ラファエロが顔色を変えた。
リョウは、全く感情の見えない表情をしている。──まるで、凍り付いているように。
サリエルが右腕を掲げた。
そこには、皇帝には不釣り合いな、入れ墨のようなものがあった。
「…兄上…!」
ラファエロが叫んだ。
「彼女の仲間を『喰らった』のか…!」
「!?」
サリエルは目を細め、
「汚い言葉を使うな。奴は私の『糧』になったのだ。──凪の一族の知識は、とても役に立つ」
人間離れした笑みを浮かべる。
「…他者と融合して、その命と知識を吸収する禁呪」
リョウが呟き、サリエルの腕を見詰めた。
「──鉄生だけじゃない。何人犠牲にした?」
「…!」
まさか、最初から気付いていたのか。
指摘されたサリエルは、つまらなそうに目を細めた。
「それを聞いてどうする」
「お前が人間を辞めているかどうかを判断する」
「…人間を辞めているか、だと?」
リョウの言葉を反芻し、サリエルは喉の奥で嗤った。
「当然だ。甦りは奇跡の業。成功させるためには、人の身など不要」
ずるり、サリエルが一歩踏み出し、両腕を広げた。
「──私は、神と化した!」
掲げた両手から、真っ黒な『何か』が放出され──それは一瞬で、獣のような姿を取った。
「…!」
リョウがカタナを一閃すると、四つ足の黒い何かが消し飛ぶ。
だが、
「──私に従え!」
次々と黒い獣──瘴魔を生み出しながら、サリエルがリョウにギラついた目を向ける。
「貴様は『カンナギ』──神に仕える巫の役割を与えられた存在! 神である私に従うのが道理だ!」
凪の一族の名前には意味がある。トパーズの言っていたことを思い出す。
『神凪』の名が、神に仕える者を意味するのなら──彼女が仕えるのは、きっと世界樹だ。
まかり間違っても、人間を辞めて狂ったこの男ではない。
殺到する獣を次々斬り裂き消し飛ばすリョウは、無表情。
金色の目は、異様に静かな光を湛えている。
──だが、瘴魔の数が多過ぎる。
リョウの刃を逃れた小型の瘴魔が、ラファエロを狙って飛び掛かって来た。
「…!」
アベルはラファエロを背後に庇い、ナイフを振るう。
切り裂いた瞬間、ぞわ、と全身が総毛立った。
恐怖、殺意、悲哀、怨嗟──様々な冷たい感情が、真正面から浴びせられる。
自分の感情ではないことはすぐに分かった。だが、身体がついて行かない。
一瞬で指先が冷え切り、硬直した瞬間──心臓の裏側が、急激に熱を持った。
「アベル!」
「!」
リョウの声と共に、身体の感覚が戻って来る。
目の前に迫っていた別の瘴魔をナイフで跳ね上げ、落ちて来たところを一閃する。
また冷たい感覚に襲われたが、もう硬直することはなかった。
多分、瘴魔を倒すたびに感じるのは、その瘴魔を構成する瘴気の大元、様々な負の感情そのものなのだろう。
理解しても、普通なら耐えるのは難しい。
だが──背中の熱が、アベルを正気に戻してくれる。
「リョウは前に集中して!」
ナイフを振るいながら、アベルは叫んだ。
「君の背中と、ラファエロは、俺が守る!」
守るだなんて烏滸がましい。
頭の中で冷静に呟く自分が居る。
リョウは自分より、ずっとずっと強い。
多分、アベルとラファエロがこの場に居なければ、とうの昔に皇帝に刃を届かせていただろう。
けれど、アベルがここに居るからこそ、出来ることもある。
「──分かった!」
リョウの声に熱が戻った。
金色の双眸が、一際強い光を宿す。
溢れ出る瘴魔を、リョウは再度、カタナの一閃でまとめて消し飛ばした。
「小癪な真似を…!」
サリエルを中心に、場の空気が渦を巻く。
アベルにもはっきりと感じ取れるほど、瘴気が濃くなっていた。
視界の端に黒いものが映るのは、瘴魔の欠片か、それとも濃集した瘴気そのものか。
再び襲い掛かって来た無数の瘴魔を、リョウがカタナで迎え撃ち──
「!?」
その姿が、リョウがカタナを振るう前に黒い霧と化した。
カタナは黒い霧の一部を切り裂き消し飛ばすが──残りが一瞬で集合し、伸び切ったリョウの腕に咬みついた。
「っ!」
「リョウ!」
リョウは左手で顎を殴り付けて引き離し、返すカタナで今度こそ瘴魔を消滅させる。
ぱたぱたと、血が床に滴った。
サリエルがにたりと嗤う。
「終わりだ。私に従え、カンナギの娘!」
サリエルが両手を複雑な形に組んだ途端、リョウがその場に膝をついた。
「リョウ!」
咄嗟に駆け寄るが、リョウは顔を上げることも出来ない。
真っ青な顔に、脂汗が浮いている。
「まずい…」
サリエルの手元とリョウの顔を見比べたラファエロが、色を失って呟く。
「傀儡術だ」
「な…!」




