56 クーデター(3)
バルトルドは軽く目を見開いたが、周囲の兵士たちは不気味なほど無反応だった。
どの程度操られているかはそれぞれ違うのだろう。
リョウがさらに踏み込み、カタナを振るった。
間合いの外のはずなのに、正面の兵士数人が盛大に吹っ飛ぶ。
「──制圧しろ!」
バルトルドが鋭く叫んだ。
親衛隊の隊長にしては、やけに雑な指示だ──一瞬バルトルドを見遣り、アベルは気付いた。
──バルトルドの左手が、不自然な形で右手を押さえている。
(もしかして…)
バルトルドは、指揮官であると同時に優秀な剣士でもあったはずだ。至近距離に居るのに自ら仕掛けて来ないのは、彼が傀儡術に抵抗している証ではないか。
「ちっ…」
モーリスも気付いたらしい。無表情で斬り掛かって来る兵士を投げ飛ばし、鋭く叫ぶ。
「アベル、リョウ、お前らは先に行け!」
視線の先は、バルトルドの横、不自然に空いた空間。
その奥には、上に続く階段がある。
「この阿呆な状況を引っ繰り返してこい!」
「けど、モーリスたち2人じゃ──」
「誰が2人だってー?」
閉まったはずの扉がバーンと開き、複数の人影が走り込んで来る。
その先頭に立つクラウスが、陽気な態度で何かの入った瓶を兵士たちに投げ付けた。
瓶が割れて灰色の煙が上がり、兵士たちが激しく咳き込む。
「何だありゃ」
「高級レストラン御用達、超微粒子のコショウだぜ。唐辛子入りだから吸い込まないように気を付けろよな」
ぱちりとウインクする横で、マスクを装備した他のレジスタンスのメンバーも次々瓶を投げる。
やり方がえげつない。
「…なるほど」
悶絶する兵士たちの奥、素早く退避したエドガルドが目を細める。
「平民ばかりだと聞いていたが、随分姑息な手を使う」
「それが取り柄だからな」
カツコツと足音を立てて入って来たラファエロが、低い声を響かせた。
鮮やかな青の長衣は所々汚れているが、目には強い光が宿っている。
確かな決意が、そこにはあった。
「──バルトルド・ハインツ。投降する気はないか」
「…」
バルトルドは暫しの沈黙を挟み、小さく息を吐いた。
「…いついかなる時も皇帝陛下を支え、守ることが、我々親衛隊の役割なのですよ、閣下」
それは恐らく傀儡術によるものではなく、本心からの言葉なのだろうが。
「阿呆が!」
モーリスが声を荒げた。
「上が間違ってたらぶん殴ってでも止めるのが、部下の役割だろうが! 考え無しに従ってんじゃねぇ!」
「……そうだな。それが出来ていれば、陛下は──」
言葉が不自然に途切れる。
一瞬で表情が抜け落ちたバルトルドに、モーリスが身構えた。
「…バルトルド…」
ラファエロが苦渋の表情を浮かべた後、首を横に振って顔を上げる。
「…クラウス、皆、済まないが道を拓いてくれ。私は皇帝のところに向かう」
「アイアイ。任せとけ。──つーわけで、共同戦線と行こうぜマイブラザー」
「手ぇ抜くんじゃねえぞ。──アベル、リョウ、お前らは行け」
「だな。この面子じゃそれが妥当だ」
クラウスがモーリスとブラウと肩を並べる。
ナイフを両手に構え、ちらりとこちらを見遣った。
「アベル、リョウ。うちのボスを頼むぜー」
「…分かった」
リョウが頷き、正面へと向き直る。
行く手には、まだ多くの兵士が居る。コショウの不意打ちで一度は行動不能になったものの、傀儡術の影響が強いのか、既に全員が立ち上がっていた。
無表情のバルトルドが、長剣を引き抜く。
ラファエロに向けて踏み出そうとするその前に、モーリスが飛び込んだ。
「手前ぇの相手は俺だ!」
バルトルドの剣を手甲で弾き、モーリスが吼える。
「──行こう!」
アベルはリョウとラファエロを促して駆け出した。
前から殺到する兵士たちを先頭に立ったリョウの一閃が吹き飛ばし、横から魔法を放とうとする兵士にはブラウとアベルが投擲したナイフが突き刺さる。
「気を付けろよ!」
「そっちもね!」
ブラウと短い言葉を交わし、アベルはラファエロの背後を守りながら謁見の間を駆け抜けた。
後を追って殺到する兵士たちに、
「後ろがガラ空きだぜ〜」
クラウスのコショウ瓶が炸裂し、足止めする。
階段を駆け上がり始めると、それ以上の追撃は無かった。
「ここを上がれば、呪術の中心だ」
ラファエロが呟く。
「これだけ大規模な術だ。呪術師は間違いなく、そこに居る」
街で騒ぎを起こしていた時、帝都を覆う巨大な術式が動き始めたのを感じたのだという。
だからラファエロたちは、こちらが正門を開けるのを待たずに強行突破して来たのだ。
もう時間が無い。アベルは頷いて、速度を上げた。
階段の上の扉は開いていた。
リョウが躊躇なく飛び込み、ラファエロとアベルもそれに続く。
ウォン、と奇妙な音がして、ラファエロが顔を強張らせた。
「まずい──」
「弐式、穿!」
眼前に浮かんだ黒い紋様を、リョウが蒼白く光るカタナで貫く。
そのまま斬り上げると、紋様は霞のように消えて行った。
奥に立っていた男が、顔を歪めて舌打ちする。
「──凪の一族か。邪魔だな」
「…兄上」
ラファエロが男を見詰め、何とも言えない顔をする。
ラファエロの兄──皇帝、サリエル・シュルトハイム。
落ち窪んだ眼窩に濃い紫色のクマ。その中で赤い目だけが、爛々と異様な光を宿す。
自分で引き千切ったような不揃いの白髪に、土気色と言うよりもはや灰色に近い、シワだらけの肌。
かつて大公に思慮深い笑みを向けていた帝国のトップの面影は、もはや無い。
豪奢な衣装だけが、彼が間違いなく皇帝であることを示していた。
「──兄上、何故このようなことを」
ラファエロがもう一度呼び掛けると、サリエルはようやくラファエロに視線を向けた。
「……ラファエロ。大人しく私の呪術の糧になればよかったものを」
じゃらり、大量の腕輪を着けた左腕が、ラファエロを指差す。
「──」
「!」
リョウがラファエロを背後に庇い、カタナを振った。
ギィン!と激しい金属音が響き、黒く巨大な針のようなものが宙に舞って──虚空に消える。
針を見たラファエロが、ゾッとした顔で呻いた。
「このような術まで…!」
「邪魔者を排除するのに必要だからな」
実の弟を邪魔者呼ばわりして、サリエルはゆるりと歪んだ笑みを浮かべる。
「…ああだが、感謝してやらんでもないぞ。お前たちが騒ぎを起こしたお陰で、我が渾身の呪術の起動は成った。後はあの世界樹を術式の中に呑み込み、本格的に動かすだけだ」
あの男が石化したせいで、術式の大幅な変更を余儀なくされたが…と、リョウを見遣る。
「あれがなければ、話は簡単だったのだがな。凪の一族の月晶華が3人。世界樹の結界を突破するのも容易かったはずなのだが」
「…」
リョウは黙ったまま、カタナの柄に手を掛ける。
リョウの予想通り、この男が凪の一族を襲ったのは、反転の世界樹が溜め込んだ瘴気を手に入れるためだった。
『タダで操られてやる気はない』──リョウの記憶の中で見た、宝生の不敵な笑みを思い出す。
呪術はまだ本格的に動いていない。
止めるなら、これが最後のチャンスだ。




