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アベル・イグナシオ回想録 ~国境で捕えられた敵国人は、俺の命の恩人でした~  作者: 晩夏ノ空


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48 凪の一族の里(3)


「こいつなら危機感知もある。適任だろ」

「けど…良いの?」

「当然っスよ。俺と繊月さんたちに任せてくださいっス」


 チェレステの言葉に、リョウはようやく頷いた。


「──ありがとう。みんなをお願い」

《任された》

「了解っス!」


 取り急ぎ、宝生たちを里の中に運び込む。


 繊月が魔力を放つと、森の中から数匹のケットシーが飛び出して来た。


《俺の仲間だ。今動けるのはこいつらだけだが、夜になればもっと増える》

《任せておけよな!》

「マジか」


 真っ黒、白黒、茶色っぽい縞模様。

 それぞれ異なる模様のケットシーが、キリッとした顔で胸を張る。


 可愛らしい見た目をしているが、ケットシーは魔法に長けた種族だ。これだけ居れば、下手な人間よりよほど頼りになる。


《あと、リョウ》


 繊月が真面目な顔でリョウを見上げた。


《…世界樹の気配がおかしい。様子を見てやってくれ》

「…うん」


 リョウは頷き、里の奥へと視線を投げる。

 その後ろ姿が何故か今にも消えそうに感じて、アベルは思わず声を掛けた。


「リョウ、俺も一緒に行くよ」

「え…」


 リョウが驚いた顔でこちらを見た。


 ブラウが頷く。


「そうだな。国外じゃ基本、単独行動禁止だからな」


 アベルにだけ見えるように、ぱちりと片目を瞑る。

 流石のフォローだ。


「…分かった」


 リョウが頷き、こっち、とアベルを促した。


 そのまま、里の奥へと進む。


 破壊された家屋の間を抜け、すぐに鬱蒼とした森の中に入った。

 隣を歩くリョウは無表情で、内心は窺えない。


 程無く、リョウの足が止まった。


「──ここから先が、世界樹の領域」

「…」


 枝先ではなく葉の先に赤い実がついた不思議な低木が、道の左右に生えている。それが目印になっているらしい。


「本来なら、私たち凪の一族の月晶華しか入れないんだけど…」


 リョウがちらりとアベルを見遣る。


「…多分、アベルは入れると思う」

「え…?」

「──『月絆の紋』があるから」


 つまり、アベルにはリョウの術が掛かっているから、結界に弾かれないと。


(…結界の認識、結構ザルなのかな…?)


 しかしそれなら、世界樹の元までリョウと共に行ける。


 世界樹をこの目で見られる──そう認識した瞬間、背中がぞくりとした。


 今見る限りでは、この先は普通の森だ。世界樹は巨大な樹だというが、その影も無い。


 しかしリョウは、世界樹は結界で姿を隠しているのだと言っていた。

 世界樹の領域の中に入れば、恐らくその姿を目にすることが出来る。


「行こう」


 リョウが足を踏み出し、半歩遅れてアベルも続いた。


 赤い実の木の横を通り過ぎた、瞬間──



「うわっ…!?」



 ざあ、と、猛烈な風が吹いた。



 冷たいわけでもないのに、一気に身体が冷える。

 この感覚には覚えがあった──城の地下室で濃い瘴気を間近に感じた時の、あの冷たさだ。


 何とか目を開いて、アベルは呆然とその場に立ち尽くした。


「…え……」


 視界一杯に、茶色と緑のまだら模様。

 それが苔むした巨木の樹皮だと、数秒遅れて理解する。


 リョウの姿が少し遠くにあった。目の前にあるように思えた巨樹は、そのさらに奥にある。


 大き過ぎて、遠近感がまるで役に立たない。見上げてもどれくらいの高さなのか全く分からない。

 それなりに大きいはずの周囲の木々が、まるでおもちゃのようだ。


 これが…凪の一族が守り続けて来た、反転の世界樹。


「──世界樹」


 リョウの呼び掛けに、世界樹の枝が──枝と言っても1本1本がそこらの木よりよほど大きいが──ざわざわと動く。


 そして──巨樹の根元に、少女の姿が浮かび上がった。



「え…!?」



 緑色掛かった長い黒髪。

 薄緑色のシンプルなワンピース姿で、足元は裸足。

 人ではないことはすぐに分かった──後ろの樹皮が、透けて見える。


『…』


 半透明の少女は、リョウに向かって微笑み掛ける。


 アベルがリョウの隣に歩み寄ると、少女は不思議そうにアベルを見て──すぐに、何か理解したように微笑んだ。


 全てを見透かすような琥珀色の瞳。


 顔立ちがどことなくリョウに似ているのは、気のせいだろうか。


「リョウ、彼女は…?」

「…世界樹の、意思…って言うのかな。そういう存在。私にとっては、母親…みたいな感じ」


 リョウの言葉に、少女は嬉しそうに頷く。

 見た目通りの年齢ではないらしい。そして、話すことは出来ないようだ。


「世界樹、その…」


 リョウは少女を見詰めて言い淀んだ。

 少女は小さく頷いて、左手を差し出す。


 その指先から肘のあたりまでが、黒く染まっていた。



「…っ」



 リョウが奥歯を噛み締めた。


 アベルも直感的に理解する。それは恐らく、瘴気による汚染だ。

 これが少女の全身に広がった時、反転の世界樹は完全に『堕ちる』のだろう。


 そうなれば、もう取り返しはつかない。


『…』


 少女がふわりと浮き上がり、黒くなっていない方の手でリョウの頭を撫でた。


 その表情はあくまでも優しく、美しい。

 人ならざる者だけが持ち得る、全てを超越した微笑み。


「…世界樹。あなたを利用しようとする奴は、きっと止める。宝生たちも助けてみせる。だから…もう少しだけ、待っていて」


 リョウが頭を撫でていた少女の手を取り、祈るように額に当てた。


 ──『世界樹を助ける』とは、言わなかった。


 それでも少女は、穏やかに微笑んで頷く。

 そしてちらりと、アベルを見た。


『…』


 話せないはずの少女の口が、小さく動く。



 この子をよろしくね──そう言われた気がして、アベルは黙って頷いた。






 その後、公国に応援を呼びに行くというチェレステを見送り、アベルたちは帝国首都、帝都へ向けて出発した。

 結界の外からは世界樹は見えない。

 けれど、あの少女の視線を感じる気がして、アベルは深く息を吐いた。



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