46 凪の一族の里(1)
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訓練兵時代、一度だけ侵入してしまった『帝国』という国。
おおよそ10年振りに足を踏み入れるその国は、私にとってほぼ未知の領域だった。
知識としては知っている。
だが私はそれまで、帝国に関係する任務を割り当てられたことは一度もなかった。精々、公国を訪れた帝国の要人を遠く離れた位置から警護した程度だ。
…恐らく、私が『神凪リョウ』に関係する情報に心を揺らさないようにという配慮だったのだろう。
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翌日出発したアベルたちは、丸一日かけて帝国へ入った。
無論、正規の手続きを経ての入国ではない。
侵入経路は、昔アベルがリョウに教えられ、帰還した地点。つまり特殊部隊が帝国に潜入する際に使っているルートだ。
森を抜けた先、何の目印も無い場所で峡谷を飛び越え、特に妨害もなく対岸に着く。
「…静かだね」
リョウの仲間が操られているから、この侵入経路のこともばれているかと思ったのだが。
アベルが疑問を口にすると、リョウは冷静に応じた。
「操ると言っても、記憶を覗けるわけじゃないから。『公国側に渡れる場所を教えろ』とか命令しない限り、情報は手に入らないんだと思う」
そう説明するリョウの姿は、本来の黒髪金目に戻っている。
出発する直前、ニルダが元に戻したのだ。
それを目の当たりにしたモーリスとチェレステは驚きに固まっていたし、知っていたはずのアベルとブラウも視線が釘付けになった。
──雰囲気が全く違うのだ。
その姿に慣れたのは、出発してから半日以上経ってからだった。
…閑話休題。
「なるほど、万能じゃねえってことか」
モーリスが顎に手を当てて呟く。
その意味では、呪術よりアベルたちの異能の方が反則的な能力と言える。それぞれ条件や制限はあるが、記憶を覗いたり他人の情報を無断で取得したり出来る者はそれなりに居る。
「集落はこっちっスね」
チェレステが先導しようとするのを、リョウが止めた。
「待って。…本当にこっちから行った?」
「はいっス」
「……大量に罠があったと思うんだけど」
「そこはほら、俺は危機感知が出来るんで」
リョウによるとそちらの細い道は獣道で、狩猟用の罠が大量に仕掛けられているらしい。
チェレステの能力の前では無意味だが…アベルたちには少し危険か。
「えー、大丈夫っスよ。俺が先導するんで」
「…その場合、チェレステが踏んだところを正確に辿って歩かなきゃならない。出来る?」
「えっ」
どうやら、想像より罠の密度が高いらしい。
リョウは獣道の入口に近寄り、腕くらいの太さのある木の枝を拾って少し奥へ放り投げた。
枝が地面に落ちた瞬間──
──バシィッ!
左右から跳ね上がった細いワイヤーが、枝を3つに切り裂いた。
『……』
「………罠?」
「罠」
「処刑道具の間違いじゃなくて?」
「対瘴魔を兼ねてるから、そういう意味合いもある」
いや、どちらかというと処刑が主目的ではあるまいか。
アベルが内心で呟く横で、ブラウが身震いした。
「いや無理だわ。俺には」
そりゃあそうだろう。こんな罠、起動したら避けるのは無理だ。
「リョウ、もうちょっと安全なルートはある?」
「少し遠回りになるけど、あるよ」
「じゃあそっちに行こう。こんな所で怪我したら目も当てられない」
改めて、リョウの先導で森に踏み入る。
1時間ほど道なき道を進むと、少し拓けた場所に出た。
中央付近に井戸があり、端のほうに薪割り用の台座と、大雑把に分割された丸太が転がっている。
唐突に現れた生活感のある空間。
どうやら村の入口ではなく、通用口のような所を通って来たらしい。
「…」
リョウ目に緊張が滲んでいる。
幸か不幸か、ここからはまだ石化した人々は見えない。
「入口はどっちだ?」
モーリスに問われ、リョウははっと顔を上げた。
「こっち。──回り込むけど、良くない気配がするから、なるべく集落の側に入らないようにして」
「呪術か?」
「…いや、これは多分、うちの術」
「えっ」
「侵入者を排除する術を、誰かが踏み抜いたんだと思う。里の人間以外は外に弾き飛ばされるようになってるから、気を付けて」
「弾き飛ばされるって、どれくらい?」
「森の外に出るくらい」
「…豪快だな」
一度起動したら解除するまでそのまま動き続ける、特殊な術。
魔素が豊富な世界樹の根元だからこそ使える術なのだという。
「なるほどな。魔力じゃなくて魔素を使うから、術者がエネルギーを供給しなくても動き続けるのか」
ブラウが呟いた。
改めて、魔法とは違うのだと実感する。
魔素は空気中に漂っているから、それを使って術を維持することが出来る。
逆に言えば、空気中の魔素が少なければ、術は維持出来ない。
使い手の魔力に依存する魔法とは根本的に異なるのだ。
「行こう」
リョウの案内で広場の端を抜け、暫く歩くと、背の高い石壁が見えて来た。集落の外側をぐるりと囲う塀のようだ。
リョウはその塀から一定の距離を取り、進んで行く。
程無く、門のようなものが見えた。
「あれは…」
門の前、動かない3つの人影がある。
一つは、スキンヘッドの大男。
それに対峙するのは、大振りのカタナを携えた男と、髪の長い女。
身構え、睨み合った状態で石になった彼らの顔は、リョウの記憶の中で見た。
「…宝生、凍牙、アオイ」
リョウが小さく名前を呟く。
「仲間か?」
「そう。私と同じ『月晶華』の、宝生と凍牙と、アオイ」
「この人たちが…」
リョウは宝生の肩にそっと触れて、目を細めた。
「…やっぱり、みんなが石になってるのは宝生の術で間違いないみたい」
触れただけで分かるものらしい。リョウの目に厳しい色が浮かぶ。
「解除は出来ないのか?」
「出来るには出来るけど…」
今解除すると、操られたままの凍牙とアオイと戦うことになる。それは危険過ぎるとリョウは言う。
「…宝生は、凍牙に腕を斬られたけど、まだ呪術に掛かり切ってない。でも、石化が解ければ一気に呪術が動き出すと思う。この3人が敵に回ったら、正直対処出来ない」
「そんなにヤバいのか」
モーリスが呻くと、リョウは頷いた。
「凍牙は対人戦に長けた剣士だし、アオイは回復術を使える上に体術は私以上。宝生は防御の術に特化してるから、2人の補助に徹されたらこちらの攻撃は一切通らなくなる」
「まじかよ」
組み合わせが最悪だ。
だから、と続ける。
「──彼らに掛かった呪術を解かないと、石化の術も解除できない」
「けど、石化の術はタイムリミットがあるんだよね?」
石化の術を維持するのに、宝生は生命力を削っている。それは魔力とは違う、生きるための根本的な力だという。
自然に石化の術が解ける時は、それ即ち、宝生の生命力が尽きる──宝生が死ぬ時だ。
アベルが指摘すると、リョウは厳しい表情になる。
「…概算で、もってあと10日。それまでに何とかしないと…」
「呪術師を探し出して、呪術を解除させるか、媒体を壊すか、でしたっけ」
チェレステが言う。
モーリスが低い声で付け足した。
「それか、呪術師を殺すか…だな」




