44 出発準備(1)
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幼馴染の恋愛事情に疎い自覚はあった。
ブラウが結婚する時も、青天の霹靂のように感じたものだ。
そもそも自分自身の色恋沙汰を心底面倒に思い、自分の本心にすら気付いていなかったのだから、さもありなん、ということだろう。
…それを抜きにしても、ニルダとモーリスのことは衝撃的過ぎたのだが。
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「…すっかり忘れてたわ」
丁度やって来たニルダに訊いたら、真顔でそんなことを言われた。
「夜会が終わったら話すって言ってたよね」
「……あんたも忘れてたらよかったのに」
それは確信犯の台詞ではないだろうか。
アベルは思わず半眼になる。
考えてみたらあの夜会の前に顔を合わせていた時も、アベル以外は全員ニルダとモーリスの事を知っていたのだ。
ニルダが必死にリョウの言葉を遮っていたのは、アベルに知られたくなかったからに他ならない。
「何で黙ってたのさ」
恨みがましくアベルが訊くと、ニルダは決まり悪そうに視線を逸らした。
「…だってあんた嫌な顔しそうだったんだもの」
「へ?」
「アベル、モーリスのこと苦手じゃない」
その通りだが、本人が居る前ではっきり言うのはどうなのか。
モーリスに目を遣ると、本人は平然と言い放った。
「まあ、俺もお前のことは気に入らないからな」
「それ直接言う?」
お互い様と言えばそれまでだが、面と向かって言われると少々傷付く。
モーリスは険のある視線をアベルに向けた。
「別に根本から嫌いなわけじゃない。言い寄って来る連中をきっちり断るでもなく、曖昧に濁したままへらへら笑って逃げてるのが気に入らないだけだ」
余計に拗れるだけじゃねぇか、と吐き捨てられ、アベルは思わず視線を逸らす。
どう考えても正論だ。
チェレステが苦笑した。
「モーリスさん、中途半端なの嫌いっスからね」
「まああれは俺もどうかと思う」
「私も」
ブラウとニルダまで同意する。
アベルはぐうの音も出ない。今までのツケが回って来たのだ。
しかし出来れば、リョウの前では言わないで欲しかった。
ちらりとリョウを見遣ると、何だか気の毒そうな目で見られた。
「……歩く媚薬じゃ仕方ないと思う…」
「リョウ、何でそれ知ってるの!?」
フォローどころかトドメが来た。
アベルが叫ぶと、ニルダが胸を張る。
「会ったその日に私が教えたわ」
「何で!?」
「あんた絡みでトラブルに巻き込まれる可能性が高そうだったから」
「うぐっ…」
実際、パレンシア伯爵家での夜会ではアベル狙いのご令嬢に絡まれた。その後フェデリコに話し掛けられ、有耶無耶になったが。
「歩く媚薬だろうが何だろうが、その都度断りゃ良いんだよ。思わせぶりな態度で逃げる方が相手に失礼だろうが」
つまりモーリスは、筋を通さないアベルの態度に苛立っていたと。
至極真っ当な理由に、アベルはがっくりと肩を落とした。
当たりが強いから何となく苦手だとか思っていた自分が子どものようではないか。
「…返す言葉もごさいません…」
「自覚があるならさっさと何とかしろ」
「ハイ」
アベルが素直に頷くと、モーリスは溜息をついてニルダに向き直った。
「──で、何か用があったんじゃないか?」
「ああそうそう。これ」
この切り替えの速さ、モーリスがずっと大人に見える。
こういうところが後輩に慕われる要因なのだろうか。
遠い目をするアベルをよそに、ニルダが細長い布の包みを掲げた。
「隊長からお届け物。リョウにって」
「私に…?」
ニルダから包みを受け取ったリョウは、はっと表情を変えた。
丁寧に包みを開けると、細長い棒のようなものが出て来る。
緩やかに湾曲した黒塗りの鞘に、細い糸が幾重にも巻かれた柄、樹の年輪のような繊細な模様が浮かび上がる鍔──
「…カタナか?」
モーリスが呟いた。
リョウは頷き、一歩下がってそっとカタナを鞘から抜く。
音も無く引き抜かれた刀身は、僅かに青み掛かった黒銀。
装飾も殆どない武器だが、不思議な存在感がある。目に見えない何かが刀身から立ち昇っている──そんな気がする。
「すごいっスね…」
チェレステが感嘆の溜息をついた。
「とんでもない業物っスよ、それ」
「チェレステ、分かるのか?」
ブラウが訊くと、チェレステは頷いた。
「直感っスけどね。良い武器には何かこう…生命力みたいなのがあるというか」
制作者の念か、使用者の意識か、それとも切られたものたちの怨念か。
そんなものが、チェレステの危機感知能力に引っ掛かるのだろう。
「それはお前の武器か」
モーリスが訊くと、リョウは頷いた。
「…こっちに来る直前まで持ってたんだけど…川に落ちた時に手を離してしまって」
「あ、だからなのね。これ、かなり下流で国境警備の部隊が見付けたらしいのよ」
珍しい武器だからと大公に届けられ、リョウのものだと判明した。
「一応、城の研ぎ師が一通り整備したんだけど、専門外の武器だからちゃんと出来てるか分からないらしいわ。どう?」
リョウは鞘から抜いたカタナを眼前に掲げる。窓からの陽光が刀身に反射して、ぬめりを帯びたような青い光を放った。恐ろしいほど綺麗だ。
ゆっくりと鞘に戻されるまで、アベルは魅入られたように刀身を見詰めていた。
「…大丈夫だと思う。錆も無いし、握りも重さも変わってない」
「なあ、良かったら試し斬りしてみないか?」
ブラウが提案する。そわそわしているのが丸分かりだ。
隊舎の中庭の奥には、武器の試用に使う的や丸太が備えられている。
あそこの備品なら、消耗品扱いなので斬っても問題無い。
そう説明を受けて、リョウは頷いた。
「なら、行くか」
モーリスが当たり前の顔で扉を開ける。
ぞろぞろと全員で廊下を通り、中庭を突っ切って奥のエリアに入った。
3方向は石壁で、中庭に繋がる残り1方向はレンガの壁。
出入り口はレンガの壁に作られたそれほど広くない隙間のみで、中庭からは直接見えないよう、衝立のようなレンガの壁が互い違いに配置されている。
壁の高さは成人男性の2倍ほど。
暗器など、形状や隠し場所を明かしたくない武器を試す時に他人に見られないようにするためだ。
「斬るなら…これかしら」
ニルダが藁の巻かれた丸太を持って来る。
芯の丸太は樫の木、太さは成人男性の二の腕を超える。
その周りにぐるりと藁を添えて、同じく藁で編んだ縄で束ねている。剣の稽古の際によく使われるタイプのものだ。
それを三脚式の台座に据え付け、試し斬り用の目標物にする。
ちなみに、特殊部隊には剣の使い手は少ない。潜入捜査など、荒事以外の任務に就くことが多いため、ぱっと見でそれと分かる武器は携帯し難いのだ。
当然、カタナ使いなど皆無である。
「リョウ、良いわよ!」
ニルダがリョウの後ろ、アベルたちの所まで下がる。
リョウは一歩踏み出し、ちらりとこちらを見た。
「…もうちょっと下がれる?」
「これくらい?」
「うん」
リョウに言われるまま、全員がレンガの壁の際まで移動する。
それを確認すると、リョウは丸太へと向き直った。
「──」
カタナを左手で持ち、腰の横に添える。
右足を半歩前に出し、腰を落として──
「──ふっ!」
右手が霞んだと思ったら、次の瞬間、リョウはカタナを斜め上に振り抜いた状態で動きを止めていた。
1拍置いて、ゆっくりと直立の体勢に戻りながらカタナを鞘に収める。
カチリと鞘と鍔が触れ合った直後、丸太が思い出したように動き出した。
「え…」
斜めの切り口から滑るように動き、上側だけ地面に落ちる。
丸太も藁も、残った下側の切り口はささくれすら無く、恐ろしく綺麗だ。
鋸で切って研磨しても、こうはならない。
「…うん、大丈夫かな」
リョウが小さく呟いて、アベルはようやく我に返った。




